第二十三話 宿泊勉強会
「頼む! 力を貸してくれ!」
「…色々と事情は聞きたいけど、まずは内容を教えてもらおうか」
試験一週間前となった朝、教室に入った瞬間に颯哉から声を掛けられ何事かと思えば、意味の分からない懇願をされた拓也。
両手を合わせて力いっぱいの声量を張り上げられ、こちらとしても手を貸すのはやぶさかではないがそれも内容次第。
…この時期にこいつの頼みともなれば大体察しはつくが、一応大人しく話は聞いてやろう。
「そろそろテスト勉強でもするかと思って、昨日手を付けたんだが……これがさっぱりでな! 勉強教えてくれ!」
「……お前ってやつは」
予想的中。テストが近くなってきたこともあって部活動の練習も一時的に休みになったのだろう。
そのタイミングで試験対策を始めようとしたことはまだ偉いが……いや、大して偉くもないな。
本来ならもっと早くから事前に準備を心がけておくのが普通であり、それをしてこなかった颯哉は今になって焦りだし、俺に助けを求めてきたのだろう。
「ちなみに、どこが分からないんだ? 俺にも助けられる限界はある。自分の勉強もあるしな」
「教えてほしいのは数学だ。公式とか応用とか言われても訳わからなくてさ……」
「ふむ……」
てっきり複数教科がまるっきり分からないままで、それら丸ごとを俺に委ねてくるのかと思っていたが、そうでもないのか。
まぁこいつのことだしそれ以外の科目でもピンチなことには変わりないのだろうが、中でも危ういのが数学なのだろう。
拓也にとっては数学はそこまで苦手科目というわけでもない。
すべての内容を理解しているというまでではないが、大半の箇所は問題の解き方のコツも把握しており、さらに唯による指導によってその精度は格段に上がっている。
これならば、颯哉のテスト対策を見守ることも不可能ではない。
ただ拓也には一点、どうしても確認しておきたかったところが残っていた。
「お前、真衣に教わればいいんじゃないか? あいつも成績は悪くないし、飛びぬけてってほどでもないけど頼む相手としては順当だろ」
「あー……それなんだけどな」
彼が聞いておきたかったのは、颯哉の恋人でもある真衣の存在だ。
彼女も学力は騒がれるほど優秀というわけではなくとも、それなりにはこなせるし教師役としては拓也以上の適任のはずだ。
なのに颯哉は真っ先に拓也を頼った。
その理由を聞き出そうとすれば、彼は少しばつが悪そうに話してくれた。
「もちろん真衣にも頼もうとはしたんだが……多分、というか確実に、俺と真衣がいたら勉強そっちのけで遊ぶ未来しか見えん」
「真面目に聞いた俺が馬鹿だったよ」
無駄に深刻そうな顔をするものだから一体全体何があるのやらと思って聞き入ってやれば、想像以上にくだらないことだった。
普段の彼らの様子を見ていれば、そう思う気持ちも分からないでもない。むしろ俺だってそう思う。
しかし張本人の口から語られるのは、そこはかとなくむかつくものがあった。
「てことで……頼む! もう頼りにできるのがお前しかいないんだ!」
「………はぁー…。いいよ、俺が教えてやるから頭上げろ」
「っ! 恩に着る!」
がばっと下げていた頭を上げ、頼りにできる筋を手に入れた颯哉は豪快に笑い、対称的に拓也は力なく笑う。
受け入れておいて今更だが、一回は突っぱねておいた方がこいつのためになったやもしれん。
「場所はどうすんだ? やっぱ俺の家か?」
「そうしてくれるとありがたい! なんせ今日は泊まり込みで勉強だからな!」
「なるほど…って泊まっていくのかよ!?」
颯哉の家で勉強会をすることも一瞬考えたが、それよりは拓也以外に誰もいないこちらでやった方が集中できるだろうと思ったので提案した。
しかし、次に放たれた泊まり込みという単語は完全に聞いていなかったため、さすがに度肝を抜かれた。
「そんくらいしないと間に合わねぇしな! 俺の学力を舐めるな!」
「威張るな!」
おかしなところでドヤ顔をかます颯哉を叱り付けながら、今日のスケジュールを考える。
唯には悪いが、今日の料理はなしだな。颯哉が我が家で泊まりに来るのなら上がらせるわけにはいかないし、鉢合わせるわけにもいかない。
(少し残念だけど、たまにはこういう日もいいだろ。男同士で過ごすっていうのも悪くはないし)
勢いのままに決まってしまった宿泊だったが、別段気が重いわけでもない。
何度か自宅に颯哉を上がらせたことはあったが泊まりはなかったし、いつもとは変わった雰囲気で過ごす夜も楽しいものだ。
そう考えてしまえば今日の夜も楽しみだ。
苦労するところもあるだろうが、そこは気合いで乗り越えるしかあるまい。
「…ちなみに、このこと真衣には秘密にしてくれな? 勝手にお前の家に泊まったなんて知られたら暴れられるから」
「……あぁ、了解した」
補足すれば、男同士の中で一つの共通認識が生まれたくらいか。
真衣の嫉妬の炎に巻き込まれるなど望んではいないので、これは徹底して守ることとしよう。
◆
キーン、コーン、カーン……
放課後になり、拓也は颯哉と共に帰る……わけではなく。
迎えに来た真衣にくっつかれながらもこの後のことに関して悟られないように気を配る颯哉を見送った。
途中まで一緒に帰宅しても良かったのだが、それでは真衣に気づかれる可能性もあるし颯哉にも宿泊の準備というものがある。
ゆえに一度別れた後で拓也の自宅まで来てもらい、そこで出迎えてやればいい。
唯に連絡も忘れる前に済ませたので、心おきなく家の中で待ち続けられる。
その間に自分の勉強を進めてしまうのもいいだろう。
自宅で軽く着替えも済ませて勉強をしていると、壁に備え付けられているインターホン
の受信を知らせるモニターが鳴った。
ペンを置いて誰が来たのかと確認してみると、そこにはバッグを肩にかけた颯哉が立っていた。
『おーい! 来たから開けてくれ!』
「へいへい。ちょっと待ってろ」
こちらでエントランスの扉を開けてやらなければあいつは通れないので、さっさと開いて通してやる。
そこさえ抜けてしまえば俺の家まではそうも時間もかからない。
少し待機していれば家のチャイムが鳴らされ、問題なくたどり着けたようだ。
「お邪魔しやーす。お前の家も久しぶりだな!」
「前に一回来たのが先月だったか? そこまでスパンも空いてないだろ」
「いーや! 俺にとっては遥かに長く感じられたね! なにせ部活の練習に耐え忍びながら過ごしたあの時間があったのだから……」
「…バスケの練習がきつかったのはよく伝わったから、はよ入れ。颯哉の声がでかすぎて近所迷惑になりかねん」
「へっへっへ。そんじゃ上がらせてもらうぜ!」
玄関で靴を脱いで家に入れば、そこで颯哉は違和感を覚えたらしい。
見えない何かを警戒するように周囲をきょろきょろと見渡しているが、拓也にはその行動の意味が理解できない。
「…何してんだよ。そんな物珍しいものもないだろ」
「いやお前、珍しいものはないけど……ないこと自体がおかしいだろ!? なんだこの整頓されまくった部屋は!?」
「あ……」
そこで思い至ったが、颯哉は唯の手によって掃除された部屋の現状を知らなかった。
以前に訪問してきた時には部屋は物で溢れかえっていたし、彼にとってはそれが見慣れた光景でもあった。
だからこそ、この見違えるほどに磨き上げられた空間を見て驚嘆しているのだ。
拓也自身も、唯がいなければ自分が掃除に身を乗り出していたなんて考えられないので、この反応も理解できるが……さて、どう説明したものか。
馬鹿正直に言うわけにはいかない。
そんなことをすれば唯がこのマンションに住んでいることも白日の下にさらされてしまうし、それだけは避けなければ。
そうなると、残った言い訳としては………
「…さすがに汚かったしな。俺も反省して片付けたんだよ」
「あのお前がか? 信じらんねぇけど、実際に片付いてるしな……」
俺一人でここまで片付けたと言い聞かせる。これくらいしか思いつかなかった。
唯の手柄を横取りしているようで気が引けてしまうが、ばれてしまうよりは全然いい。
颯哉も半信半疑といった様子だが、現実として片付いている部屋を目の当たりにして信じざるを得ないといった感じだろう。
まさかこの建物に顔見知りがいるだなんてことには考えも至らないし、ともかく誤魔化してしまえばこっちのものだ。
「ともかく上がれ。勉強するために来たんだろ?」
「おっと、そうだった。時間も無駄にできないし早く始めようぜ!」
「時間を無駄にした原因はお前なんだが……それはいいか。もう用意はしてあるから」
肩にでかめのボストンバッグを抱えた颯哉をリビングに案内して荷物を置かせる。
見た感じとしては中身は着替えや勉強道具が大半だろうし重さもそれほどではないと思うが、ひとまず机の近くにでも寄せておこうか。
「んじゃ早速やるか。夕飯までに時間はあるし、そこまででお前の苦手な範囲を聞いておきたい」
「任せろ! えーっと、ノートはどこに入れたっけかな……」
夕食まではおよそ二時間ちょい。それまでにある程度の教える範囲も絞りたいので、この時間はそのために使うことになるだろう。
「そういえば親御さんには泊まること言ってあるのか?」
「しっかり言ってきたぞ! まぁ、返事聞く前に飛び出してきたが」
「……あとで電話かけないと駄目だな」
どこまでいこうと奔放なこいつに振り回されるのは、家族でも友人でも変わらないらしい。
余計な心配事を向こうの家族にかけさせるわけにはいかないので、しっかり連絡を入れておこうと心に誓った。
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