第十七話 寂しさの申し出
「…きて。原城君、ご飯できたよ! 起きて!」
「……ん?」
誰かに呼ばれたような気がして、拓也は目を覚ます。
体を揺さぶられているような感覚に従ってその方に目を向けると、唯が拓也の体をゆすっている最中だった。
「あ! 起きた起きた! 今ご飯できたから、一緒に食べよう?」
「…もうできたのか。悪いな、寝ちまって」
自分でも気が付かない間に寝過ごしてしまっていたようだ。
彼女に一人で仕事をさせておきながら自分は寝るという失態を犯したことを申し訳なく思いながら謝ると、これっぽっちも気にしていないと言わんばかりの笑みで返された。
「それくらいいいよ! 原城君だって疲れてたんだろうし、休んでって言ったのは私なんだから。それより早く食べよう? せっかく作ったのに冷めちゃうよ」
「そうさせてもらうよ。…おぉ、めちゃくちゃ美味そうだ」
ソファから立ち上がりテーブルの方を見れば、そこには丁寧に食器に盛られた料理が並べられていた。
唯は肉じゃがを作ると言っていたので、それを期待して見てみれば現実は想像以上だった。
小皿に盛られた肉じゃがを湯気を立ててその存在感を主張しており、一切の煮崩れを起こすことなく添えられておりその出来栄えの高さを見せられる。
それだけでなく、白飯の横に置かれた豆腐とわかめの味噌汁は出汁をきかせた香りがここまで漂ってきており、否応にも食欲を叩き起こされる。
最後に小鉢に入れられたほうれん草の胡麻和えは栄養バランスまで考えられていることを示しており、文句のつけようのないメニューだった。
「さっ! 食べて食べて。私もお腹減っちゃった」
「それじゃあ……いただきます」
椅子に座って食事の挨拶を済ませれば、箸を手に持って料理に手を伸ばす。
まず拓也が口にしたのは今回のメインでもある肉じゃがであり、出来立てのそれを迷わず口に運んだ。
「…美味い」
「それならよかった。まだあるからどんどん食べてね!」
拓也の一言が嬉しかったのか、上機嫌になった唯も自身の手ずから作った料理を食べていく。
しかし、今しがた肉じゃがを食した拓也は、予想をはるかに超える味わいに感動している真っ最中であった。
肉じゃがは少し口に含んだだけでほろほろと崩れていき、中まで染みている味付けが口中に広がっていった。
その味も少し薄めの塩気を感じさせるが、それが逆に味わいの奥深さを感じさせて絶品だった。
たった一口でこれだけ感動していると、目の前の唯からくすくすと笑いがこぼれる。
「すごい美味しそうに食べてくれるね。作った側としてはそれくらい感動してくれてると、やりがいもすごいよ」
「実際、とんでもなく美味いしな。こんなもんが食えるとは思ってもなかったし、幸せもんだよ俺は」
「嬉しいことを言ってくれるね。なら私はさながら幸せの運び人かな?」
そんなくだらない会話をしながら、出された料理に舌鼓を打つ。
味噌汁は味噌の塩梅が程よく仕上げられており、出汁の風味も感じられて大満足だ。
しかしこのふんわりと包み込むような上品な香りは……
「これ、昆布だしか?」
「よくわかったね! そうだよ。個人的に昆布だしが一番好きだからよく使ってるんだ」
「へぇ……」
偶然の一致かもしれないが、俺も数ある中では昆布だしの風味が好きだ。
主張が決して強くはないが、確かに存在感を感じさせるあのふわっとした雰囲気を好んでおり、それが秋篠と意見が被っていたというのは少し嬉しく思える。
そのままほうれん草の胡麻和えにも手を出せば、今口にした味噌汁との差によってその味が引き立てられている。
しょっぱさを感じる料理が多い中で、わずかな甘さを出してくる胡麻とほうれん草に足された醤油のバランスも完璧であり、お互いがお互いの味を邪魔し合わないように調整されている。
栄養バランスから味まで、何から何まで考え込まれた夕食。
彼女のすごさは十分に知っていたつもりではあったが、まだまだ知らない面もあったのだと思い知らされながら、夢中になって食事を続ける。
それをニコニコとしながら見守る唯の視線を感じながら、拓也は料理を食べ終えていくのだった。
「はぁー……ご馳走様でした」
「はい、お粗末様でした」
夕食を食べ終わり、空腹が満たされたことで充足感も上昇したようだ。
熱を出した時に作ってもらった粥で料理上手だということは予測できていたが、まさかこれほどまでだったとは。
「まじで美味かったな……。やっぱり出来立てっていうのと手作りのものは違うな」
「ふふっ、そこまで言ってもらえたら作った甲斐があったよ」
笑いながら空になった食器を片付けていく唯に続いて拓也も席を立ち、食べ終えた食器をキッチンの流しに運んでいく。
そこで洗い物を済ませてしまおうとスポンジと洗剤を手に取れば、なぜか隣で唯が待機し続けていた。
「洗い物くらい俺がやっておくから、ソファに座ってていいぞ? そこまでやらせるつもりもないしな」
「えっ? で、でも私が食べた分くらいはちゃんとやらないと……」
この期に及んでまだそんなことを口にしている彼女に溜め息が漏れてしまう。
彼女の世話好きや責任感は重々承知しているが、これは重症だ。
「あのな、お前は今お客さんなんだからそこまでしなくてもいいんだよ。皿洗いくらいなら俺でもできるし、気を使わなくてもいい」
「…そこまで言うなら、じゃあ……」
渋々と、非常に渋々ではあったが、何とか納得してくれたようだ。
食器の数はそこまで多くもないし、時間もそこまでかからない。
流しでまず水洗いをしてから、洗剤をつけたスポンジで汚れを落としていく。
コップ、箸、皿と順々に進めていき、もう少しで終わりだというところでふとソファに座っている彼女を見た。
のんびり食休みでもしてくれているかと思っていたら、唯はどこか落ち着かない様子でそわそわとしており、明らかに挙動不審だった。
(……何やってんだ?)
そのおかしい様子に疑問が浮かぶが、忙しなさが限界に達したのだろう。
ソファから勢いよく降りた彼女はまっすぐにこちらに戻り、拓也に声を掛けてきた。
「…あの……原城君、手伝うことない? 何もしないと何だか落ち着かなくて……」
「…はぁ。それなら、水で流した食器があるから空拭きするのをやってくれるか? そこなら手が空いてるから」
「うん! 任せて!」
心機一転。
見違えるようにテンションが高くなった唯は、ひどく嬉しそうに皿洗いの手伝いに入ってきた。
これでは休んでもらおうと思っていた拓也の考えが台無しだが、あれだけ退屈そうに待っていた彼女の寂しそうな顔を見てしまえば、ノーとは言えなかった。
「これで最後っと。終わったね!」
「そりゃ二人でやれば早いわな」
使用していた食器も少なかったため、洗い物には十分もかかっていない。
それも、一人ではなく二人でやっていたのだから当然だ。
途中参加してきた唯の心情は察することができないが……なぜ、あんなにも置いてけぼりにされた子供のような表情をしていたのだろうか。
今はリビングでお互いにまったりと体を休めているが、拓也の中でそんな疑問が尽きない。
目を細めてのんびりと過ごしている唯だが、まるで豹変したかのようなあの雰囲気は早々に忘れられるものではなさそうだ。
(…今はいいか。すぐにどうこうなるものでもない)
少なくとも、ぶしつけにそのことについて聞けるほど俺は勇気がない。
ここで問いただしたところでのらりくらりとかわされてしまうだろうし、彼女もそんなことは望んでいない。
ならばせめて、仲のいいご近所ではいるとしよう。
俺にできる最大限なんて、そのくらいなのだから。
「…ねぇ、原城君っていつもご飯はスーパーの惣菜とかで済ませてるって言ってたよね」
「あぁそうだな。全部が全部そうってわけでもないけど、それこそ弁当とかを買ってくることが多いな」
唯に聞かれて反射的に答えてしまったが、これは事実だ。
拓也の手で料理をしようとすればまず食材をだめにする可能性の方が高いし、それなら始めから出来上がっているものを購入してきた方が早い。
だから今までは学校帰りに近所の食料品店に立ち寄って、何かないかと物色するのが日常だった。
「それだと野菜とか取れないし、そのあたりはどうしてるの?」
「一応野菜ジュースなんかで補うようにはしてるぞ。固形では滅多に食べないが」
「…それ、大丈夫なの?」
「今まで病気になったこともなかったんだ。お前に言っても説得力ないかもしれないけど」
一度雨に打たれて風邪は引いたが、それまでは健康そのものだったのだ。
特に体調で問題があったこともなかったし、それで大丈夫だと考えて生活を続けていた。
そしてそれを聞いた唯は、何かを決意したかのような必死さを出して拓也にそれを告げてきた。
「だったらさ。今度から私がご飯を作ってもいいかな?」
そう提案されて、一瞬思考が止まった。
本人は何気なく言ったことかもしれないが、その重大さを理解していく内に拓也の頭も冷えてきた。
「…ちょっと待て。それはさすがにだめだ」
「どうして? 原城君の生活バランスは整うし、良いことだと思うんだけど」
「俺にとっては良いことでも、お前にとっては良くないだろ。メリットがない」
唯の言う通り、拓也にとってはこれ以上ないことだ。
生活能力皆無である身からすれば日々の料理一つ取っても苦労が絶えないし、それがなくなるというのはでかい。
だが、唯にとってはどうだ。
一方的にこちらに有利なこの誘いを受ければ、まず彼女の自由な時間は減るし、それは高校生である俺たちからすれば大きすぎる枷になる。
そう思って彼女の提案を断ろうとしたが、それよりも前に唯が追撃を加えてきた。
「メリットならあるよ。私は料理自体が楽しいし、それを美味しいって言ってくれる人が傍にいてくれるのは嬉しい」
「…他のやつに遊びに誘われたりしたらどうするんだ? そこまで縛るつもりなんて全くないけど、俺に気を使って断る、なんてことだってあるだろう」
「それも大丈夫。そもそも私、学校の人と遊びに行くことが無いんだ。そういう誘いは全部断ってるの」
「…そう、だったのか?」
意外な事実ではあったが、彼女は学校の友人と遊びに行くということをしていないらしい。
遊びたい盛りの高校生であればむしろそれをしないことが不自然にすら思えるが、思い起こせば秋篠が誰と遊んだという話は聞いたことが無かった。
「私が誰かと遊んだってなったら今度は別の子とも、ってなっちゃうからね。収拾がつかなくなるから、行ってないんだ」
「人気者ゆえの苦労か…」
彼女はそこまでことを重大に捉えていないが、それは相当に苦しい選択だろう。
彼女を慕う者からすれば、プライベートでも秋篠と遊んだなんて事実は周囲のやつらを出し抜くのに最高のカードになるだろう。
本人が否定したとしても、それを言い出した輩がいれば我先にと秋篠の予定を意地でも聞き出そうとするはずだ。
それを避けるために、この少女は全ての遊びの誘いを断るという辛すぎる選択をしたのだ。
「それと、交換条件じゃないけど一つ許してほしいことがあるの」
「それは何だ? よほどの無茶でもなければ別にいいけど」
「学校から帰ってきたあと、原城君の家で時間を過ごしてもいいかな? もちろん、嫌なら嫌だって言ってくれていいよ」
「…そんなんでいいのか?」
提示された条件はひどくあっさりとしたもの。
拓也としては友人が遊びに来る程度のことだし、それくらいなら料理という報酬が無くても許可は出してもいいくらいだ。
しかしそれを条件に出してくるということは、これが彼女にとってかなり大事なことなのだろう。
「私も一人で家で過ごしてるけど……結構寂しいんだ。だから私は料理を作る代わりに原城君の家に来る許可が欲しい。……ダメかな?」
それは、彼女が初めて漏らした本音だったのかもしれない。
寂しいという人間にとって当たり前の感情を、それでも他者に向けられなかった感情を。
初めて共有できる相手を見つけられて、頼りにできる相手を見つけて手を伸ばしてきた彼女の願いに、俺は───
「…分かった。気が済むまでこの家を使ってくれ」
「っ! ありがとう!」
胸の前で両手を握りしめ、喜びの声を上げる彼女の姿は迷子の中から親を見つけられた子供のようで……どうしようもなく、目を離しようもない可憐さを前面に出していた。
(……! あっぶねぇ……!)
「…? どうしたの? いきなりそっぽ向いたりして…」
「…何でもねぇよ。気にしなくていい」
赤くなっていく自分の顔を自覚しながら、その事実を無理やり誤魔化す。
…言えるわけがない。これ以上ないほどに嬉しそうな彼女の笑みを見て、思わず頭をなでてしまいそうになったなど。
俺の反応は気になったのかしつこく問いただしてくる秋篠をやり過ごしながら、俺は熱くなった顔を冷やすことに専念する。
こうして俺たちの、奇妙な共同生活は始まった。
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