第十五話 コンプレックス


 五分ほどの休憩を挟んだ拓也たちは、そこで休みを中断し再び掃除に戻ることにした。


「よし! 残りもちゃっちゃとやっちゃおうか! …とは言っても、残りもそんなにないけどね」

「でかいところはあらかた手を付けたしな。あとは何をするんだ?」


 かつて物が散乱していた床は見る影もなく取り除かれ、この部屋に引っ越してきた当初の姿を取り戻している。

 こうしてみるとフローリングの広さを改めて実感するし、すっきりとした空間は居心地の良さを感じさせてくる。


 もうすっかり忘れかけてたけど、もともとはこんなに綺麗な部屋だったんだな……。

 拓也がそんな少しの感動を味わっていると、隣に居た唯から指令が下される。


「とりあえず床に掃除機を一回かけて……。窓もやろうかな。どっちがやりたい?」

「その二択だと……。窓かな。そっちの方が安心できる」

「…? 安心ってどういうこと?」

「あ……いや何でもない」

「その言い方は何でもなくないよね!? ほら、言ってごらんなさい!」


 言ってから失言だったことを自覚した。

 とっさに取り繕ったつもりだったがその反応が逆に不信感を買ってしまったのか、引きつかれてしまった。

 思わずぽろっと出してしまった言葉だったが、これを他でもない彼女に説明するのは……。

 だがしかし、食いつかれてしまった以上、下手に誤魔化したところだバレるのも時間の問題。そう考え、この後の展開を予測しながら俺は観念して話した。


「その……怒らないで聞いてくれよ?」

「…私が怒るようなこと言おうとしてるの?」

「いや違う! そうじゃなくて、その…お前の身長だと窓の上のところまで届かなそうだし、俺がやった方が早いだろうな、って…」


 最後の方は若干早口になってしまっていたが、理由は述べた通り。

 家の窓はいくつか設置されているが、その中でもリビングのものは面積が非常に大きく、全面を手入れするのは手間がかかる。

 拓也でさえそうなのだから、小柄な唯では上に手を伸ばすこともさらにきついだろうと思ってのことだったのだが……。


 恐る恐る彼女の顔を見てみれば、最初は理解しきれず疑問を浮かべていたが、次第にその意味を把握し始めた段階で顔を膨らませ、俺の腹を叩きつけてきた。


「むぅー! 馬鹿にしないでよね! これでも頑張ればできる…はずなんだから!」

「わ、わかった。俺が悪かったよ!」


 叩きつけられる拳はポカポカと軽いものだったので痛みは全くないが、拓也の精神的ダメージは甚大だ。

 この分では意地でも窓掃除をしようとするだろうし、大人しく譲っておいた方が賢明だろう。



 …それと、自分では窓くらいやれると断言したかったのだろうが、冷静に振り返って断定していない辺りが彼女らしいと思ってしまった。

 本人には反応が怖いので、決して言えないが。





     ◆





「…秋篠のやつ大丈夫か? 転んだりしてないよな?」


 別室に移動して掃除機をかけている俺だが、こうしている間にも不安が絶えない。

 ここからでは彼女の様子が確認できないし、この感情は募っていくばかりだ。

 まるで子供を見守る父親のような心境になってしまうが、あながち外れてもいないような気がする。


 …この前まで、他者との関わりの一切を拒んでいた俺が他人の心配をするなんて、変われば変わるもんだな。

 少し前までの俺にこの現状を説明したとしても絶対に信じないだろう。これまでの過程を理解している俺でさえ、信じ切れていないのだから。


 それもひとえに、唯の垣間見せる強引さと、包み込んでくるような気遣いがなせることだ。

 まだの出来事に枷をはめられていることは確かだが、それも少しずつ、少しずつ外れてきている。

 これが良い変化であることを今は祈っておこう。


「こんなもんかね。床に落ちてた埃もかなり取れたし上出来だろう」


 それまでかけていた掃除機の電源を切り、改めて部屋の全体像を見つめる。

 全てに共通することではあるのだろうが、やはり磨けば光るものだ。

 埃一つなくなった床は当初の輝きを完全に復活させ、見違えるほどに整理された空間がそこにはあった。


 かつては汚部屋であった面影など皆無であり、その事実を言ったところでこの部屋を見た者からすれば信じてはもらえないだろう。

 そう確信してしまうくらいには、この変貌ぶりが自分でも驚くべきものだと思っているということだ。


「やり残した部屋はないはずだし、あとは……?」


 掃除機をかけ忘れている部屋はないか。ここまでで巡ってきた部屋に漏れは無かったはずだが、意識していない間に抜かしていた場所があったかもしれない。

 なので一度自分が通った場所を振り返ろうとしていると、廊下からトットット…という軽い音が聞こえてくる。

 こんな音を立てる者に心当たりなど一つしかなく……。


「…原城君、ちょっといい?」

「やっぱ秋篠か。いいぞ」


 …予想通り。扉からひょこっと顔を出したのは唯だった。

 少し申し訳なさそうに……違うな。あの表情は悔しそうにしているときの顔だ。

 大体何があったのかは想像がつくが、一応静かに話は聞いておこう。


「その……別にできないわけではないんだけど! …ちょっと苦しいところがあったから、手伝ってもらってもいい?」

「はいはい。お付き合いしますよ」

「できなかったわけじゃないからね! やろうと思えばできるんだから!」


 どう考えても強がりだと分かるのに、一向に認めるつもりがない唯を微笑ましく思いながら、彼女の苦戦していたという箇所に案内されていった。




「あそこなんだけど……届きそう?」

「あー、あれか。そりゃ秋篠じゃきついわけだ。」


 彼女が指さすのは我が家でも一際大きな窓ガラス。それに比例して高さもそれなりに確保されており、彼女の身長ではまず手が届かないだろう。

 しかしそれも、話が彼女ならという前提のことだ。

 拓也もそこまでの高身長というわけではないが、このくらいの高さならば手は届く。


 直前まで使われていたであろう雑巾を唯から受け取り、拭き残されていた上部を一気に磨いていく。


「身長が高いといいよね……。こんな苦労することもないもん」

「逆に高すぎても、それはそれで違う問題が出てきそうだけどな。結局何事も中間くらいがちょうどいいんじゃないか?」

「うぅー…。身長がある人はない人の苦痛なんてわからないんだよー…」


 フォローのつもりで言ったんだが、むしろ拓也の言葉で追い打ちをかけてしまったようで落ち込んでしまった。

 別に身長くらいでそこまで気にすることもないと俺は考えてしまうが、これも唯が言っていた通りその当人にしか理解できないことがあるのだろう。


 だとしたら俺にできるのは、その点に触れずに励ましてやることくらいだ。


「そんなに渇望しなくてもいいと思うけどな……。俺からすれば、それも秋篠の魅力の一つだと思ってるし」

「ふぇっ!? な、なに急に……!」

「お前からすればコンプレックスなのかもしれないけど、それも個性だって言えるし、磨き方によってはいくらでも輝かせられるもんだ」

「………」

「だからそんな卑下すんな。少なくとも俺は良いと思ってるよ。……どうした?」


 窓を拭きながら彼女にとっての欠点を褒めれば、返事が返ってこなくなってしまった。

 不思議に思い彼女を見やれば、顔中を真っ赤にして口をパクパクと忙しなく動かしている唯がそこにいた。


「…そんなに照れなくてもよくないか? このくらい言われ慣れてるだろ」

「…学校の人たちに言われることもあるけど、原城君のはそれとはまた違うんだよ!」


 ぷいっと首をそっぽに向けてしまったが、俺の言葉とクラスの連中が言うことに差異なんてそこまでないだろう。

 俺もあいつらが秋篠に対してそれがいいと口にしているところを耳にしたこともあるし、それは本人の耳にも届いているはずだ。


 当人からすれば聞き飽きたことだと思っていたんだが……この反応を見るに違うのか?


「違うって……。そこまでずれたことを言ったとも思えないんだが」

「学校ではみんな冗談交じりに言ってくるというか……慰めるみたいな感じで言ってくるというか…」

「それはダメだろ。本人が気にしてることなら冗談で口にすることでもないし、しっかりと本心で言うのが礼儀ってもんだ」


 大人数の前で、一人のコンプレックスを晒しものにする。

 それは一時の話題としては盛り上がるのかもしれないが、コミュニケーションとしては最悪の類だ。


 慰めの言葉というのも、本人がそれで救われるのなら別に文句はないがこの様子を見るにあまり嬉しくはなさそうだし、正しいとは思えない。


 …勝手な持論ではあるが、こういったことに関しては素直に認めてやることが何よりも大切だと思っている。

 上から哀れみの言葉を投げかけるのでなく、下から持ち上げるわけでもなく、ただ対等にその要素を認めること。


 気取った言い回しや遠回しな遠慮などしなくとも、直接意思をぶつけようという心意気さえあれば伝えたいことは伝わるのだから、そう難しいことでもないはずだ。

 それがやりにくいからこそ、彼女の周辺の環境は出来上がっているという話でもあるんだろうがな。


「まぁ辛くなったら言ってくれ。その時は話くらいは聞くよ」

「…慰めてくれたりはしないんだ?」

「時と場合にもよるし、それが必要ないことだってありうるからな。まずは事情を聞いてからだ」

「ふーん…。でも、大丈夫だと思うよ。さっきの言葉でちょっと元気出たから!」

「そりゃよかった。手助けになれたなら何よりだ」


 他愛ない一言で心の重りを軽くしてやれるのなら、いくらでも言ってやる。

 それが結果として彼女を支えることにもつながり、両者のよりよい関係構築にもなるだろう。


 窓を磨きながら過ごす二人の時間には、温かな空気が流れているのだった。

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