第十四話 ただの褒め言葉


 拓也の汚部屋を一通り見渡した唯は、するべきことや優先度の高いものを真っ先に片付けるべきだと言った。

 そうなると、まず床の清掃からだろうか。


「どこから手を付けようかな……。見た感じ散らかってるのは服とか雑誌が多いし、それを選別するところからかな?」

「俺はそういう作業は不慣れだし、秋篠の指示に従うよ」

「そうだね……。じゃあ私は服をまとめちゃうから、原城君には本をお願いしていいかな? 集めたものはリビングに置いていこう」

「あぁ。いるものと不用品は分けて置いた方がいいか?」

「うん。あとから仕分けるのも大変だし、できそうならそれもやってもらおうかな」

「分かった」


 やることが決まればその次はそれをこなしていくだけだ。

 拓也たちが住んでいるマンションは2LDKということもあり、それなりの広さがある。

 高校生が一人で住むには過剰なくらいであり、始めは俺も別の場所でいいと親に話していたのだが………。

 両親曰く、ここはセキュリティもしっかりとしているし、あそこなら安心もできると押し切られてしまった。

 家賃だって安くはないだろうに、本当にどこまでも自分のことを考えてくれている親には感謝しかない。


 っと、今はそれよりも落ちている雑誌の選別だ。

 これは……大分前のものだな。捨ててしまってもいいか。こっちは……新しいものだし残しておこう。

 ある程度の量をまとめていけば、その束をリビングに置きに行く。

 そこでは髪を結った秋篠が作業をしており、なんと服にアイロンまでかけてくれていた。


「よいしょ…っと。静かだと思ってたらそんなことしてたのか。ありがとな」

「あ、勝手にアイロン使っちゃったけど良かったかな? 結構しわがついてたから気になっちゃって……」

「それは全然いいけど、そこまでやると負担じゃないか? 軽くたたむくらいでも十分なんだぞ?」

「だめだよ! こういうのは一回一回やっておかないと後が大変なんだから!」

「そうか……。なら引き続き頼むよ」

「お任せあれ! …ふんふふ~ん」


 鼻歌まで歌いながらアイロンをかけている様子を見ると、何だか変な気分になってくる。

 同級生とは言え、女子が当たり前のように我が家にやってきて掃除をしているというのは……なんというのか……。



(……新婚夫婦? …ありえない話だけど、そうとしか見えないよな)


 可憐な雰囲気を振りまく彼女の姿は見惚れるほどに美しく、その手さばきも付け焼刃の俺とは比べ物にもならないくらいに見事なものだ。

 何十、何百と繰り返されてきたのであろうその所作は……夫を支える妻を連想させてしまう。


「ん? 何かあった?」

「…何でもない。あっちの部屋やってくるよ」


 頭のおかしい妄想もこれくらいにしておこう。

 おかしな方向に進みかけていた思考を振り払い、リビングから逃げるように出て拓也は雑誌の収集を再開させた。





     ◆





「とりあえず雑誌はこれくらいか……。不用品はビニール紐で縛ったし、ゴミの日に出せればオーケーだな」


 集められた雑誌や本の束は合計して四つほどの束になった。

 それも不用品だけでこの数なので、自分がいかに物の後始末をさぼってきたのかよくわかる勢いである。


 あとはまだ読むと判断して残しておいた雑誌たちだが、これは寝室の本棚にでも並べておこう。

 そうしておけば区分もしやすいし、また捨てる時に苦労せずに済む。


「下の段に並べておくか。あそこならスペースも空いてるし」


 本棚にはまだ何も入れていない空間があったはずなので、そこに押し込んでしまおう。

 これで雑誌の方はひとまずの片がついた。

 寝室に赴き、手に持った本の山を一つずつ並べていけば……完全に終了だ。


「ふぅ……。まだ終わったわけではないけど、こうしてみると達成感があるな」


 周辺を見渡せば俺の集めた本の山と、今も唯が整頓してくれている服がなくなっただけで様相が大きく見違えるようだった。

 この光景を見てしまえばいかに自分がずぼらな生活を送っていたのかもわかるし、心なしか部屋の空気も入れ替わったようにさえ思えた。


「そういえば、もう服の方は終わったのか? リビング行ってみるか」


 彼女が担当してくれている服の整理は経過を見ていないので完了しているのかどうかが分からない。

 ちょうどこちらの作業も一段落したところだし、次の指示を仰ぐついでに見に行ってみよう。




 リビングにつながるドアをガチャリと開け、そこにいるであろう唯に声を掛ける。

 彼女は先ほどまで使用していたスタンド式のアイロン台を片付けており、向こうも作業が終わったのだろう。


「すまん。こっちは一旦終わったんだが、次は何をしたらいいんだ?」

「あ! タイミングぴったりだったね。私も終わったから言おうと思ってたんだよ」


 若干よたよたとしながらアイロン台を運ぶ様子は見ている分には微笑ましいが、危なっかしくもある。

 …あれでこけたりしたら怪我もするだろうし、言ってくれればいいんだがな。


「危ないぞ。それでこけたりしたらせっかくの綺麗な肌が傷つくだろ。ほれ、貸してみろ」

「きっ…!? …原城君。い、今なんて……」


 なぜか俺の発言に動揺した様子を見せる秋篠だが、別におかしくもないだろう。

 実際に乳白色を思わせる白肌は美しいの一言だし、そこにかけられている努力だって並大抵のものではないはずだ。

 俺は肌の手入れに関しては詳しくもないが、そのくらいは理解できる。

 女性にとってそれが傷ついてしまうのは避けたいところだろうし、俺としてもそんな目に遭わせたくはない。


「綺麗な肌って言ったんだよ。ほら、それくらい俺に言ってくれれば運ぶよ」

「………」


 先ほどまで張り切った様子だったのに、突然ショートでもしたかのように動かなくなってしまった。

 そんな状態ではいつアイロン台を落とすのか分かったものではないので、無理やり奪い取り元あった位置に戻しておく。

 そのまま彼女の方を振り返れば、少し赤らめた頬をしている唯になぜかジト目で睨まれていた。


「…原城君ってさらっとそういうこと言うんだね。知らなかったよ」

「肌のことか? 不快に思ったんなら謝罪するけど…」

「そうじゃなくて…! もう、今はいいよ!」


 俺の発言は捉えようによってはセクハラだと思われてもおかしくはないし、そこが嫌だったのなら謝ろうかと思ったのだが、違ったらしい。

 ちなみに、こういうストレートな物言いは両親の教育の賜物だ。

 物心ついた頃から仲の良かった両親の姿を見て育った俺に対して、父さんや母さんは周囲の人間とのコミュニケーションの取り方も教え込んでくれた。


 その一つが先ほどのような褒め方だ。

 両親……まぁ主に母さんだったが、女性の些細な変化はすぐに気づくこと。そして良いと思った点があればすぐに褒めることと徹底的に言われてきた。

 言葉で伝えていなければ明確な意思なんて相手に伝わるわけもないし、お互いにわかり合っているからと黙り合っていればいつか取り返しのつかない溝を生んでしまう。

 絶対に年齢が一桁台の子供にするような教育ではなかったが、そのおかげもあって異性の長所を認めることに躊躇いはなくなったし、気恥ずかしさも段々となくなってきた。


 高校に上がってからは異性と話す機会もなくなっていたため、その教育が発揮される場面はとんと消えてしまったが……忘れたわけではない。

 刻み込まれた教えは拓也の中にしっかりと残っているし、体に染みついた習慣は半ば反射的に口にしてしまうものだ。



「はぁー……びっくりした…!」


 漏れ出たようにつぶやかれた唯の一言は、拓也の耳に届くことはなかった。




「どうだ、落ち着いたか?」

「んぐっ…んぐっ…ぷはぁ……。うん、少し休めたよ」


 大がかりな作業もほとんど終わり、やっと一息つける状況になった俺たちは少し休憩を挟んでいた。

 今もコップに入れられた水を飲み干した秋篠が大きく息を吐きだしているし、やはり知らず知らずのうちに疲労は溜まってたんだろうな。


「大分片付けられたな……。これも秋篠の力のおかげだ」

「そんなことないよ。私だって服を片付けたくらいで力仕事は任せっきりにしちゃってるしね」

「さすがにそこまで役割を奪われたら俺も申し訳なさで潰れるよ。確かにひょろいけど、お前よりは力もあるし存分に使ってくれ」

「本当は自分で全部できれば一番いいんだけどねぇ…。この身長のせいで……!」


 たたんだ服をタンスに戻そうとした時、その様子を見かけた拓也は思わず笑ってしまった。

 持ったは良いがタンスの上部に手を掛けられず、何とか放り込もうと悪戦苦闘している彼女がそこにいたのだ。

 冷静に考えれば踏み台でも使えば解決したとは思うが、いっぱいいっぱいの頭ではそこまで発想が浮かばなかったのだろう。

 最終的に見かねた俺が服を持って収納したが、あの時の彼女のむくれ顔はすごかった。


 どうやら拓也が笑ってしまった場面もばっちり聞かれていたようで、自分の役割を奪われたことも合わさって不服と言わんばかりの表情を向けられてしまった。

 苦笑しながらも謝ることで事なきを得たが……彼女にとってはコンプレックスの一環だろうし、あれはデリカシーにも欠けていた。気を付けたほうがいいな。



 …そして、今回の掃除を通じてなんとなく理解してきたが、唯は相当な世話好きなようだ。

 看病の件も然り。自分に与えられた仕事は当然として、自分がサポートすることで他者を助けられるならばその苦労は厭わない。

 それは唯の根幹を支える美点でもあるのだろうが……いささか、度を越えているような気もするのだ。


(普通なら言葉だけで済むようなことにも、一つ一つ行動で返してくる。…何がそうさせてるんだ?)


 一般的にはここまで全力で他者への恩を返すことなどない。真摯な対応といえば聞こえこそいいが、それは一種の強迫観念とも近いものでもある。

 目の前の彼女を見やれば目を閉じて汗をぬぐっており、そこには純真な恩義に対する感謝が込められているのだろう。

 しかし、今の拓也にはどうしても……それだけとは考えられなかった。


「お水が美味しいね……。これからもっと暑くなりそうだし、嫌になっちゃうよ」

「…そうだな。夏も本番だし、暑いのはそこまで好きじゃないしな」


 彼女を形成してきたもの。もしかしたら、答えはその中にあるのかもしれない。

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