第十三話 究極の二択


 唯から切り出されたまさかの誘い。

 それは俺の思考を強制的に中断させて……直後の、彼女の補足によって再開された。


「ち、違うよ!? 遊びに行くっていうよりは今回のお礼として何かしたいなって思ってて…! 何もせずにいるっていうのも私の気が引けるっていうか……。でも、原城君にもちゃんとお返しはしたいし!」

「…秋篠、ストップストップ。暴走してるから」


 自分でも発言の脈絡のなさに気が付いたのか、目まで回しながら言い訳をする始末。

 これ以上喋らせていれば、いらないことまで言い出しかねなかったのでこちらで無理やり押さえ込んでおく。


「え、えぇっと……。つまりお礼として今日のご飯でも一緒にどうかなーって思ったんだけど……どうかな?」

「…飯云々はともかくとして、お前はまず自分の言葉の危険性の高さを自覚しろ」


 展開が急すぎたため頭が追い付くのに時間がかかったが、これは前回とまた同じことだろう。

 数日前に傘を貸した時のように、受けた恩義に対する返礼をしようとするあまり、その責任感が先行してしまい勢いのままに提案をしてしまっているだけだ。


 しかし、唯の純粋な思いとは裏腹に、男の家に上がり込むことの危険度を無視してしまっている。

 彼女から持ち掛けられたことだとしても、そこに付けこむ様な真似をしないとは限らないというのに……一体何を言っているんだ。


「…ちゃんと理解はしてるし、その上で言ったことだよ。それに原城君なら、他の人よりも安心できるから」

「それは買いかぶりすぎだ。今までのが全部演技で、部屋に入った途端に豹変することだってあるかもしれないんだぞ」

「そうやって前もって忠告してくれるところが信用できるんだよ。それに…こう言ったらあれだけど、原城君の家に行くのは全部が全部お礼のためってわけでもないよ」

「ん? それはまたどういう……」


 俺は秋篠が家に来たいと言ったのは恩を返すためだとばかり思っていたが、それだけではないというのはどういうことなのか。


「口にしたくもないけど……ゴキブリって一匹見つけたら十匹いると思えって言うくらいでしょ? 退治してもらった申し訳ないんだけど、すぐにあの家には戻りたくはないというか……」

「…なるほど」


 それを聞いて、少しではあるが納得した。

 確かに拓也は彼女の家からゴキを取り除いてきたが、それで全てがいなくなったかというと断言はできない。

 他にも隠れているやつがいる可能性は十分にあるし、そんな状態で家に戻れば先ほどの記憶がフラッシュバックしてくることだってあるだろう。


「俺の家を避難先にするってことか……。そういうことなら、まぁ…」

「ほんと!?」

「待て待て。まだあくまで考えるだけだ」

「そ、そっか。ごめんね…」


 興奮したように身を乗り出してきた唯を窘めながら、この誘いを受けるべきか否かを熟考する。

 少し深く考えてみれば、ゴキという目に見える脅威は取り除けてもまだ彼女の不安自体は残っている。

 そんな状況下で別れれば、また最初のように廊下で座り込むようなことにも…なることもありえるのかもしれない。


 でもなぁ……クラスの女子を男の家に入れるっていうのも……。

 残された道は二つ。

 一つは彼女の申し出を断り、不安を抱えさせたままこの場で別れること。

 もう一つは、申し出を受け入れて家に上げ、一度心境が落ち着くまで我が家で休ませることだ。


 どちらにもリスクがあり、どちらを取っても後悔が生まれそうなこの二択を前に、俺が選んだのは………


「…はぁ。しゃあない。来てもいいぞ、俺の家」

「…! やったぁ!」


 ……彼女の申し出を受けることだった。


 こうなってしまえばもうどうしようもない。

 せっかく彼女が安心できるようにと時間を割いて不安要素を取り除いたのに、これでまた自宅の外で待たれでもすれば、こちらも気がかりで仕方がなくなる。

 ならば目の届く範囲でゆっくり休んでもらった方が何倍もいい。


 …別に俺が何か変な行動を起こさなければいいというだけで、そんなつもりも毛頭ないしな。

 せっかく得られた彼女の信頼を裏切るようなことも、社会的に抹殺されてしまうことも御免だ。


「今からくるか? 準備があるならここか家の方で待ってるが」

「なら、少しだけ準備してこようかな。…ここで待っててもらってもいい?」

「了解だ。逃げたりしないから、焦らずやってこい」

「そんなことできないよ。ちょっと行ってくるね!」


 そう言い残し家の中に入っていく唯。

 あまりの思い切りの良さに呆気に取られてしまうが、そこで俺は重要な事実に気が付いた。


「…あいつ、もう家の中入れてるよな」


 一切の躊躇いなく足を踏み入れていったため気づくのに遅れたが、少なくとも自宅にいることに不安を抱えた人間の動きではなかった。

 あまりにも自然な動作だったので疑問に思うことすら忘れてしまいそうだったが……うん、忘れておこう。

 友人の家に上がることに高揚しているだけ。それだけのことだ。




「お待たせ! 待たせちゃったかな?」

「そこまでの時間でもなかったし、これくらい構わないよ。着替えてきたのか?」


 家から出てきた唯の恰好は制服ではなく、白のTシャツにズボンという極めてラフな姿になっていた。

 ただそれだけのラフさでも素材の良さを引き立たせているのだから、凄まじいものである。


「着替えるのは別にいいんだけど、そこまでする必要あったか? 制服でも問題なかった気がするけど」

「確かに上がらせてもらうだけなら制服でもよかったけど……原城君、部屋汚れてたでしょ? せっかくの機会だし、お掃除でもさせてもらおうかなって!」


 着替えてきたのは俺の部屋を掃除するためだったらしい。

 このラフな服装も汚れても構わないものとして選んできたものだったのだろう。

 以前に俺の家まで来た時にあの惨状は見られているし、知られていること自体は別におかしくない。

 しかし他人の家でそこまでしなくてもいいというのに……。


「…客人にそこまでしてもらったら、俺の方が情けなくなるよ。掃除は俺の方でやっておくからゆっくりしてろ」

「でも……あの量を原城君一人でできる?」

「………」

「できなそうだね……。なら殊更、私も手伝うよ! 何より私も使わせてもらう空間なんだから、綺麗な方がいいしね」


 正論を突き付けられてしまえば返す言葉がない。

 片付けはやろうやろうと思いながら今日まで引き延ばしてきたし、おそらく今日も手をつけたところでそこまで進まないだろう。

 ならば申し訳ないが家事に関してはエキスパートと思われる秋篠に協力をしてもらい、整頓をした方がいいのかもしれない。


「…じゃあ申し訳ないけど、手伝ってくれるか? 俺一人じゃ多分進まないんだ」

「任せて! こう見えても綺麗好きだからね!」


 大きく胸を張って宣言をする秋篠を微笑ましく思い、無意識に上がっていた口角を自覚しながら七階に上がっていく。




 俺の家に到着しドアを開ければ、俺にとっては見慣れた、しかし秋篠宅と比べれば雲泥なんて言葉でも生ぬるいくらいにものが散乱した景色がそこにはあった。

 普通ならばこんな有様を見られたくないと思うのかもしれないが、既に彼女には一度見られているし、俺もそこまで隠し通そうとは思っていない。


 恥であることはもちろんそうだが、俺の生活レベルの結果こうなったものでしかないし、それを隠そうとしたところでいつかボロが出てくるのは必然だ。

 だったら最初から隠さずにしておいて、ありのままの姿を受け止めてもらった方が何倍も楽だ。


 …そういう点では、秋篠って明らかに引いたりしてなかったよな。

 看病の時に上がる際にも緊張や驚きこそしていたが、この部屋に軽蔑に近い感情は持っていなかった。

 何か理由があるのだろうか。


「ほれ、入ってくれ。言わなくても知ってると思うけど、散らかってるから気をつけてな」

「はーい。お邪魔しまーす! …やっぱり片付けがいがありそうだね!」


 俺の部屋を見て目を爛爛と輝かせている。

 無二の綺麗好きという発言が嘘ではないということがよく伝わってくるが、どうしてここまでしてくれるのだろうか。


「…少し思ったんだけど、引いたりしないのか? 片付け程度もできないような男なんて生活能力皆無だな、とかさ」

「え? そんなことしないよ! 人がみんな家事ができるだなんてことはありえないし、誰にでも得手不得手はあるものだからね」

「…なるほどね」


 それを聞けて良かった。

 彼女は家事という一面だけでなく、もっと多面的な要素から人を見ているんだ。

 もちろんできるに越したことはないだろうが、できないのなら他のもので補ってしまえばいい。

 そんな彼女の言葉は、俺にも優しく響いてくるようだった。


「時間は限られてるし、早くやっちゃおうか。これは腕が鳴るね!」

「お手柔らかに頼むよ」


 心に火がついた様子の秋篠を止められる者はこの場にはいない。

 小さな先導者の後に続き、俺も部屋に入っていくのだった。

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