第五話(2,566文字)

マンションの前には、緑の服を着た清掃業者たちの乗った車が到着し、降りた彼らはゾロゾロとマンションの玄関ホールへ入っていった。


清掃用具等を満載まんさいしたワゴンを押しながら進む業者の一人はエレベーターに乗り込み、それ以外の、大きなかばんを持った業者たちは階段を上り始めた。

まともな照明もないような、暗い、ところどころに蜘蛛クモの巣が張っているその階段を業者たちは上ると、マンションの廊下に出た。


そこからは黒い曇り空が嫌でも目につき、薄寒い風がゆるやかに吹いているのが、彼らの肌を冷たく、そして優しく撫でる。

その廊下の先を進み、業者たちの一人はある部屋のドアをノックした。

分厚い金属のドアが、ノックのにぶい音を三度上げる。


少しするとドアが開き、その真っ暗な部屋の中から、背の低い、乱れた髪の、病的に白い肌をした女性、もといナオが、その顔や手やスーツに真っ赤な返り血を浴びたまま、業者たちを出迎えた。


そして、ナオはその節々ふしぶしが震えた、少しかすれている声で、

「ご苦労様です」

と、暗い顔をして、業者たちへぎこちない会釈えしゃくをして言った。

後、なんとか笑顔をつくって、「お早いですね、助かります。ありがとうございます。」と元気そうな振りをして、部屋へゾロゾロと入っていく業者たちへ言った。


その、入っていく業者たちの列の最後尾、ワゴンを押している人の、その更に後ろにもう一人、スーツを着た一人の男がいた。


彼はナオの上司にあたる人間だった。


男はその低い声で血まみれのナオへ、

香里こうり、話があるんだが、その前にまずは、その服、着替えとくか?」

と、部屋の玄関ドアの所に立って、ポケットに手を突っ込みながら言った。

気付いたナオは「あぁ、中田なかたさん、こんにちは。」と挨拶すると、

「服は着替えますから、ちょっとだけ待ってていただけませんか。これから業者の方から着替え受け取るので、」

と上司の男、もとい中田なかたへ言った。

中田なかたは「構わんよ、タバコ吸って待つし」とナオへ返すとマンションの廊下に出て、外が見える柵にもたれかかり、そのふところからタバコの箱とライターを取り出した。

着替えを受け取ったナオは中田なかたへ会釈すると、その部屋の風呂場へ入って中で着替え始めた。


柵にもたれかかって外を見る中田なかたの視線の先、遠目に、何か大きな建物が解体されている現場があった。

中田なかたがタバコの煙越しにその解体工事をよく見ると、その現場を囲む白い壁にポスターが貼られているのを見つけた。


そこには『38年間、ありがとう』とこれでもかと大きく書かれていた。


中田なかたはなんのことかと思ったが、今向こうで解体されているあの建物は、どうやら地元民に愛されていたショッピングモールのようで、それ故に、『38年間、ありがとう』なんて書かれているのだった。


中田なかたは内心「そんなこと知るかよ、どうせ業績悪くて潰れたんだろ」とか思いながら、その解体工事の発する大きな音をただただ不快に思っていた。


業者の一人を呼びつけて、タバコの吸い殻を捨てさせたりして中田なかたは待っていると、マンションの部屋の風呂場のドアが開き、そこからナオが、リボルバーの弾倉を確認しながら出てきているのが見えた。


「お待たせしてしまい、すいません。」と中田なかたに言うナオの服装は、変わらず黒いズボンのスーツだった。

中田なかたはそのナオに気づくと、自身のスーツのふところから封筒を取り出し、ナオへ

「ここに、次の仕事のことが入ってるから、まあいつも通り、また読んどけ。」

と言うと、その封筒をナオへ手渡した。

ナオが受け取った封筒をスーツのふところへ入れているのを横目に、中田なかたは話し出した。


「まあ、その封筒にも書いてることなんだけど、次の仕事からはお前に、矢川やがわアカネってヤツと組んでもらって、ソイツと二人で仕事をしてもらうことになってるんだ。」

ナオはその聞いたことのない名前に少し困惑するも、

「そうなんですね。どんな方なんですか?その、矢川やがわさんって」

中田なかたへ聞いた。

中田なかたは「まあ、そうだな」とまたタバコを一つ吸って煙を吐くとナオへ

矢川やがわアカネは、お前と同い年、21歳の女だ。それも、お前と同じをしてる。」

と言い、またタバコを吸った。

ナオは、自分と同い年でこのをしている人が他にもいることに驚いた。

「同い年の人、それも女の人なんて。私、この仕事してて初めてです。」

「まあ、そうだろうな。ただ、最近は若年層じゃくねんそうも増えてるらしいし、これからは多いかもな。」


ナオはその矢川やがわアカネと、もしかすると仲良くなれるんじゃないかと、ちょっとワクワクし始めた。

同年代の人なんて、ナオにとってはもう何年ぶりかわからなかった。

このに入ってから、ナオの周りには自分より歳上の人間しかほぼいなかったのだった。


「でもどうして、そんなに若い歳でこのをしてるんですかね、矢川やがわさん。どうしたんでしょう」

「そりゃあまあ、何かしらの事情だろ。知らないけど。」

そう言ってタバコの火を消した中田なかたは、ナオの方を向き、

「というか、お前だって若いのに、なんでこの仕事始めたんだ。一度やれば戻れないのに。」

と、マンションの柵に腕をもたれかけてナオへ聞いた。


ナオはその中田なかたから目線を逸らすと、少しうつむいて

「いえ、話すのは、やめておきます。暗い話ですから。きっと、気分も悪くなっちゃいます。」

と、元気のない声で言った。

ナオのその細い手は固く握られていて、少し震えている。


中田なかたはそれに「そ、」と呟くと一息置いて、

「まあそんな話はともかく、次の仕事からは、矢川やがわアカネと組んでやってもらうからな。」

と言った後、

矢川やがわアカネは、仕事の歴でいうと、お前の後輩だ。役立たずだとウチのでも言われてるような、使えないヤツだが、まあ面倒見てやってくれ。」

と続けるとポケットに手を突っ込んで、マンションの階段へ歩き出し、ナオへ「うまいことやれよ。じゃあな」と告げると、そのまま帰って行った。


昔のことを思い出して暗くなっていたナオは、その中田なかたの背へ挨拶して、彼がマンションの廊下の奥、階段へ見えなくなったのを見ると、一息置いて、マンションの外をボーッと眺め出した。


曇り空の下、大きなショッピングモールが、鉄のきしむような音を上げて解体されている。


ナオはふところの封筒を開け、その中に、矢川やがわアカネの顔写真を見つけた。

「頑張ってるだろうに、役立たずなんて呼ばなくってもいいじゃん」とナオは思った。

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