第三話(2,384文字)

秒針の音だけが鳴る、静かで、暗い部屋。


ベッドの上に座り込むナオは、そのぐしゃぐしゃにしたままの髪がかかった目をこすり、アザラシの赤ちゃんのぬいぐるみをベッドのはじへそっと座らせると、それの頭を自身の細い手で優しくでた後、ベッドから起き上がり、服を寝巻きから着替え始めた。


置いてある姿見すがたみには、病的に白い肌をした折れそうに線の薄いナオの身体からだと、昨日より酷くなったくまの浮かぶその目元が映っていた。


スーツを着たナオは髪を整えながらも、その自身の目元の隈に気づいていたが、いつものことだったので特に反応せず、表情を変えないままネクタイをめ始めた。



カーテンを開けた窓の外は相変あいかわらず、黒い色の空にかげっていて、この朝にも関わらず薄暗く、全然晴れやかな気分がしない、嫌でも気が沈む景色だった。


重そうに浮かぶ分厚い雲が、今にも雨の降りそうな色をして、地に寒そうに並ぶ建物たちを無言で威圧いあつしながら、獲物えものにら肉食獣にくしょくじゅうのように恐ろしげに、低速で流れている。


外はそんな景色なので、窓のカーテンを開けても、ナオの部屋に光という光は入ってこず、むしろ、カーテンを開けていなかった時の方が部屋が明るかったような気さえしてくるほどだった。



朝の身支度みじたくを終えたナオは、クローゼットから出した焦茶色こげちゃいろのロングコートを羽織ると、その内ポケットへ金色の銃弾を入れ、加えてナイフを忍ばせると、最後に、腰に差したリボルバーの弾倉だんそうに弾が入っていないことを確認し、それを腰に差し戻すと、電気を消した部屋をもう一度見回して、忘れ物がないことを確認した。


そして玄関へ行く前に、ナオはベッドの上に座らせたアザラシの赤ちゃんのぬいぐるみの頭をもう一度撫で、

「行ってくるね、シロ」

とぬいぐるみ、もといシロへ呼びかけると、「いい子にしてるんだよぉ」とまたその頭を微笑ほほえみながら撫で、シロへ手を振ると玄関へ向かった。


玄関。

靴を履いたナオはなんだか落ち着かなかったので、座ったまま、もう一度リボルバーの弾倉だんそうが空かどうかを確認した。


冷たい銀色のリボルバー、その六つの穴の空いた弾倉だんそうを、ナオはその隈のある目でジッと眺めた。


弾が入ってるかいなかなんて、あの時一度見たからわかっているのだが、ナオはなぜか、それでも確認しなければいけないような気が、確認しないと何か悪いことが起きるような気がしていたので、弾倉だんそうの確認をやらずにはいられなかったのだった。


そうしてナオは、そのずっしりした重みのあるリボルバーを腰へ差し戻すと立ち上がって、靴のつま先を床にトントンとした後、玄関ドアを開けて外へ出た。


すると肌寒い風が、黒く広がる曇り空からナオへと、その暗い影の中を押し寄せてきたが、ナオは気にせずドアの鍵を閉めた。


そうしてエレベーターへと向かっている途中、ナオはまた、リボルバーの弾倉が空になってるかどうかが気になってきていた。


「取りかれたみたいだなあ」と、ナオは心の中で笑い飛ばそうとするも、できず、その気がかりは消えないままだった。

たまらなくなって、ついにリボルバーを確認しようと思ったナオだったが、そこに監視カメラがあるのを見つけると、今はなんとかその気をおさえて、自身の両手をコートのポケットへ突っ込んだ。



そして、外の駐車場にある自分の車に乗り込んだナオはドアを閉めると、その手元でリボルバーの弾倉を確認した。


暗い車内、リボルバーがかすかな陽の光を浴びて、目に痛い銀色に輝いている。

弾倉を見るとやはり、弾は一発も入っていなかった。


腰へリボルバーを戻したナオは一息つくと、その座席にもたれかかり、少しボーっと空を眺め出した。


黒いカラスが、灰色の電柱から伸びる電線にとまって、獲物えものを探しているのか、そのつぶらひとみでキョロキョロと辺りを見回している。


ナオがポツンと「カラスも、かわいい顔してるんだなあ」とか思ったその時、そのカラスは電線から急に飛び降りて羽ばたき、ナオの乗っている車の前へ飛んできて、そのアスファルトの上に着地し、ナオのことを、まるで品定しなさだめでもするかのようにじっくりと眺め出した。


この黒い空の下の、薄暗いアスファルトの上、真っ黒のカラスはほぼ微動びどうだにせず、その真っ黒い目で、温度を感じさせない、まるで剥製はくせいのような眼差しを、ナオへただ向けている。


そして次の瞬間、カラスは真っ赤な血をき出してその場で破裂はれつし、バラけた肉片となった。


真っ赤になったアスファルトの上、黒い羽根がそこらにかれているのが、真っ赤な血の付いたフロントガラスの隙間から見える。


ナオは、何が起こったのかわからなかった。


リボルバーが暴発ぼうはつした?

弾は入ってなかったはずなのに


なんで


恐怖に震え、咄嗟とっさに座席で三角座りの姿勢に丸まったナオだったが、瞬きを一度すると、その景色は一瞬にして、


黒い空の下、薄暗いアスファルトの上には、まだあのカラスが変わらずおり、ナオのことをジッと眺めている。


フロントガラスも、綺麗なままだった。


ナオはその涙ぐんでいる目を何度か擦ったり、閉じては開いたりして、何度も何度もその景色を確かめた。


が、どこにもカラスが破裂した跡なんてなかった。


ナオの頭に「怖い」という文字があふれる。


黒い空では、変わらず、ゆっくりと分厚い雲が流れている。


向こうに見える、自分の住んでいるマンションでも、誰か人々が変わらず生活しているようで、カーテンを開ける人影なんかがポツポツと見える。


リボルバーの弾倉を確認しても、弾は入っていない。


カラスは今、ナオの目の前で羽ばたいていって、黒い空に見えなくなった。


肩で息を切らすナオは、幻覚か何かだろう、と無理矢理結論づけ、に遅れまいと、その涙ぐんだ視界を擦ると、震える手でシートベルトをして、車に鍵をそうとした。


が、うまく挿せず、三度ほど鍵をぶつけた後に、ようやく鍵を挿すことができた。


そうして車を走らせ、ナオは今日もへ向かった。

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