第四章 「10年前の5月・その②」

第1話 「感知」

 JR品川駅ホームの一角。そこには立ち食い蕎麦の店があった。時刻は15時半過ぎ。昼飯時ひるめしどきから離れ、夕飯にはまだ早い時間。それでも店内には人足ひとあしが途絶えない。

 蕎麦汁と天ぷらの匂いが立ち込める店内。カウンターの向こうでは、四人の男性店員と二人の女性店員がせわしなくオーダーに対応する。蕎麦を茹で、天ぷらを揚げて、空になったどんぶりすすぐ。皆、長年この店で働いているのだろう。無駄な動きがなく、阿吽の呼吸で動き続ける。


 店は客が十名も入れば満員なるくらいの広さ。その店内にグレーのスーツに身を包んだ若い男性がいた。

 端麗な顔をサングラスで隠す彼は、歳が20代後半くらい。長身でスマートな体型だが、華奢な印象はなく、まるでフェンシング選手のような品の良さを感じさせる。そして、目を引くのが彼の美しい銀色のロングヘア。それを一本縛りにしている。手入れが行き届き、清潔感に溢れた美しい髪は数多の女性を虜にするだろう。

 しかし、店内にいる他の男性客は、彼の気品ある出で立ちよりも目の前の蕎麦に夢中だった。彼らはさっさと注文し、さっさと蕎麦を食べる。蕎麦をせわしなく啜った音が聞こえては消え、聞こえては消えを繰り返す。そうして彼らは首都・東京の街へと消えていく。行く先は知る由もないが、これが延々と繰り返される。


 それとは対照的に銀髪の男は、紅ショウガ天の載った蕎麦をじっくり堪能していた。彼は紅ショウガ天が好物だった。揚げたての紅ショウガ天。いつ食べても、紅ショウガの食感が心地良い。口の中に広がる酸味の効いた味わい。

 聞けば紅ショウガ天はここ東京ではなく、関西が起源だという。そんな蘊蓄うんちくを知ったのも昔の話。だが、この美味さは日本のどこでも通用するだろうと思っていた。

 男の名前は、四部原しぶはら方広かたひろ。警視庁公安部に所属する巡査部長で、『特任捜査官』という謎に包まれた身分を与えられていた。

「んっ?」と箸を握る手を止める四部原。静かに店内の客へ注意を向ける。

「気のせいか・・・」

 彼は再び箸を動かす。


 すると、四部原のふところでスマホが震える。着信だとすぐ気づくが、彼はそれを無視して蕎麦を楽しむ。

 元々は貴族出身の四部原。蕎麦を食うときぐらいスマホから離れたいし、それがこの国の蕎麦への礼節だと考えていた。結局、彼がスマホを手にしたのは蕎麦を食べ終えて、店を出た後だった。


 自販機で購入した缶コーヒーを手にした四部原。彼は他の客を避けるようにホームの端まで移動する。時折、すれ違う人の中には彼を目にして振り返る者もいた。


 時代が変われば街も変わりゆくか。ホームを歩きながら品川駅と、その周辺を眺める四部原。

 ほんの少し前までは何もなかったのに、こんなにも品川の景色は変わる。ビルが建ち並び、蟻のように人々が行き交う。今もこの駅では工事が進み、また景色が変わっていくだろう。

 四部原は過去の品川を思い出しながら少し黄昏れる。ただし、彼の心の中に映る品川というのは1890年代までに遡るのだが。


 そんなことを考えるうちに四部原はホーム端に辿り着いた。ここなら人気ひとけも無く安心して電話ができる。

 周囲を確認した上で、四部原はスマホを取り出す。着信履歴を見た彼の目つきが鋭くなった。彼はすぐに電話をかけてきた相手へ折り返し電話をした。


 電話相手は数秒足らずで電話に出た。きっと四部原からの折り返し電話を待っていたのだろう。スマホの向こうから聞こえたのは若い男性の声だった。

『もしもし、少佐でありますか?』

 電話相手の男は、四部原のことを『少佐』と呼んだ。向こうは少し興奮気味なのか、若干じゃっかん早口で話した。この反応で四部原はこれが緊急用件だと察知した。


「落ち着きなよ?どうしたんだい?」

 四部原はニヤッとすると、落ち着いた口調で話す。こちらまで慌てずともよい。彼はあくまで冷静だ。

『失礼致しました』と、相手の男は詫びを入れる。そして、肝心な用件を四部原へ報告する。

特別作戦局SOAより緊急連絡です。時空移動タイムリープを感知しました』

「ほう」と、だけ短く答えた四部原。先程ニヤッとした表情が一変し、また眼光が鋭くなる。

 蕎麦を食べている最中、僅かだが魔力を感じた。店の中に他の魔法使いでもいるのかと思ったが、それは勘違い。その正体が時空移動これだったのか。四部原は蕎麦屋での違和感の正体を知る。


 時空移動タイムリープ。それは日本この国で暮らす人々が考えるような心弾むファンタジー的なものではない。時空移動タイムリープとは、魔法を用いたテクノロジーである。それも軍事技術的な要素の。

 リバルシェル王国軍の情報機関・特別作戦局SOA所属する少佐・四部原方広しぶはらかたひろにとって、これは看過できない事態であった。


「大佐から何か伝言は?」

 四部原は電話相手の男に尋ねる。

『はっ!どうやらエルフ魔法とのことです。特別作戦局SOAで詳しい周波数を確認中ですが、観測地点は都内、調布市ちょうふし付近とのことです』

「調布か・・・」

 その地名を聞いて考え込む四部原。調布市あの街には厄介な魔法使いが住んでいることを知っているからだ。

「調布っていうと、あの魔女は関わっているの?」

 四部原は思いついたことをストレートに尋ねる。

静所雷鳴おとなしらいめいですか?それについては調査中ですが、現段階では周波数が合致しないので、可能性は低いかと』

「周波数が合わないか・・・」

 それを聞いた四部原は一旦クールダウンする。

『調布』、『魔法使い』といえば、静所雷鳴おとなしらいめいしかいない。『東京の魔女』と呼ばれ、関東、甲信越、東北に渡る東日本広範囲を古くから治める女。『社長』とも、『お館様』とも呼ばれ、戦上手いくさじょうずな魔法使いだが、彼女は時空移動の魔法は使えないはず。それにエルフ族出身でもない。

 雷鳴が関与していないとすれば、何者の仕業か?思案する四部原は、ふとある人物を思い出す。


中世なかせ、エルフ魔法というのは間違いない?」

 四部原は『中世なかせ』と呼んだ電話相手の男に確認する。

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