第4話 「文学少女の名は?」

 校舎の西端。そこもまた成行にとって不思議な懐かしさを感じる場所だった。実に妙な感覚で戸惑ってしまう。ここもまた10年後の世界と。校舎の壁は塗り直しが効くので、全く同じに見えると言って差し支えない。

 八千代と来たときと違うのは、せいぜい時間帯。その時とは異なり、夕方へ向かいつつある10年前の世界では日が傾き始めている。


「ここは・・・?」と、思わず呟く成行。

「校舎の西側。瞬間移動したの」

 文学少女はニコッと微笑む。

魔法使いなの?」

 危うくと言いかけた成行。もう少しだけ魔法使いであることを認めないでおこう。向こうの意図がみえない限り、あっさり認めるのは危険だ。


「そう、私は魔法使い。キミもだよね?」

 文学少女はクスクスと悪戯っぽく笑う。

「どうしてそう思うの?」

 彼女のペースに飲み込まれないように、あくまで冷静を装う成行。さりげなく周囲の人気ひとけに注意を払う。魔法使いの会話を一般人に聞かれるべきではない。その自覚があるだけ、やはり自分は魔法使いになったのだなと思う。


「キミは瞬間移動したことに驚かないの?」と、言う文学少女。その言葉に成行の表情が強ばる。

 確かにその通りだ。もっと驚くべきだった。音楽室からいきなり校舎の外へと瞬間移動したのだ。もっとビックリして、少し大げさなリアクションをしてもよかっただろう。こんな普通じゃないことに出くわして冷静でいられるのは普通じゃない。


「キミは一体誰なの?」

 成行は文学少女の質問をように尋ねる。

 きっと警戒心を丸出しの表情で彼女へ問いかけているのだろう。そんなことを思いつつ喋った成行だが、文学少女は警戒する素振りを見せない。それどころか、成行との会話を楽しみながら彼女は答える。

「私は小木おぎ美乃みの。高等部二年生よ」

小木おぎ美乃みのさんって言うんだ。どんな字を書くの?」

「えーと・・・」

 美乃は足元を眺めると、近くに落ちていた小枝を手にする。そして、成行の目の前でしゃがむと棒切れをペン代わりに地面に文字を刻む。

「これね」

 名前を書き終えると、美乃は地面を指さす。成行もと、地面に刻まれた彼女の名前を確認する。


『小木美乃』という漢字を目にした成行。これまでの人生で、そのような人物との出会いがあったかを思い出そうとする。幼稚園、小学校、中学校。友人、遊び仲間、ご近所さん。それに家族や親戚。競輪選手。その他、諸々。

 しかし、『小木おぎ』という名字にも、『美乃みの』というという名前にも覚えがない。やはり面識の無い人物だ。


「ねえ、キミの名前は?教えてよ?」

 美乃は成行の顔を覗き込むように微笑む。その優しげな笑顔と、息が届きそうな至近距離で彼女と目が合うとドキドキも増し増しだった。


「えっと―」

 成行は咄嗟とっさに小枝のペンを手にすると、美乃と同じく地面に名前を刻む。

 乾いた土のノートに刻まれた名前。美乃は興味津々にそれを読み上げる。

中津川なかつがわ刑部ぎょうぶくんで合っている?」

 美乃は首を傾げながら成行を見る。彼女は名前の読み方に少し自信がない様子だった。

 成行が地面に刻んだ名前。中津川なかつがわ刑部ぎょうぶ。少しでも自分の筆が止まれば怪しまれると思った成行は、頭の中に浮かんだ偽名を淀みなく刻んだ。


「僕の名前は中津川なかつがわ刑部ぎょうぶ。よろしく」

 成行はフレンドリーに美乃へ自己紹介する。すると、美乃はニコッと微笑むとこう言い放つのだ。

「キミはやっぱり部外者ね?中津川君」

「なっ!何でそんな風に決めつけるの?」

「だって同学年、先輩や後輩に『中津川なかつがわ』って名字の生徒はいないから。私、生徒会に所属している関係で、全校生徒の名前にはアクセスできるの。キミみたいに珍しい名字と名前なら、尚更なおさら覚えていそうなものだけど、記憶にないし」


 美乃は確証があって答えているのか、自信に満ちた表情。さらに彼女は話し続ける。

「もしかしたら、中津川なかつがわ刑部ぎょうぶって名前も偽名とか?」

「そんなわけないよ」と、答えつつも心の中ではマズいと感じている成行。焦らないようにしているのが表情に出ていないか不安だった。

「でも中津川刑部なかつがわぎょうぶって名前、西村京太郎先生の『十津川とつがわ警部けいぶ』シリーズみたいじゃない。何となくだけど」

 真面目な顔で指摘する美乃。「そっ、そんなわけないよ・・・」と、答える成行の声に力が無い。

 咄嗟とっさに思いついた成行の偽名。元ネタは先日BSで再放送していたTVドラマ『十津川警部』から拝借していた。どうやら、成行の浅知恵は文学少女の美乃には通じなかった。瞬く間に看破されてしまった。


「まっ、いいか!」と言い放ち、スッと立ち上がる美乃。

「えっ!いいの!?」

 美乃があっさり追求を投げ出すようなことを言ったので、成行は少し驚く。

「魔法使いには隠し事なんて珍しくないし、話せない事情があるんでしょう?そういうことなら、私にもあるし」

 美乃は優しく語りかけて微笑む。その表情に成行の緊張も一瞬和らぐ。

「けどね、正体不明の魔法使いを放置できないのは事実なの。私は御庭番だから」

 美乃の言葉に、再び成行の緊張が走る。


 御庭番。魔法使いの特殊部隊というべき存在で、成行が暮らす未来でも出会ったことのある魔法使い。これは厄介な魔法使いに出会ってしまった。たとえ過去の世界であっても、関わり合えば自分の正体を追求されるだろう。先程出会った過去アリサよりも厄介な存在だ。


 さらに雷鳴から忠告された当時の魔法使いとの接触を避けること。それが早くも危ない状況。ヘタをすれば、本来の目的である『本の魔法使い』探しが困難になることは必至だ。


 美乃は静かに成行を見つめる。特に殺気立つわけでもなく、成行からの回答を待っている。


 成行は決断を迫られていた。

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