第2話 「エルフのご隠居」

「久しいの時衛門―」

 喋るのは釣り人の背後を守るキジトラ猫。すると、猫へひざまづく時衛門。

「風魔のご隠居におかれましては、ご機嫌きげんうるわしゅうございます」

 いつもの気の抜けたような雰囲気はどこへやら。声の張りが変わり、眼光も鋭く、忍者の顔をみせた時衛門。

 曲輪くるわ時衛門ときえもんは、神奈川県下では『小田原派』に属する魔法使いである。

 そもそも神奈川県下には二つの魔法使い勢力がある。川崎市、横浜市を中心として、鎌倉、三浦半島に加えて、県央けんおう県北けんほく、さらに都心部を治める『幕臣派ばくしんは』。

 そして、小田原、箱根を中心に湘南、丹沢、さらには伊豆半島までを治める『小田原派』。


 幕臣派の指す『幕府』とは、鎌倉と江戸の二つの幕府。これらに仕えた魔法使い達の子孫が神奈川県東部、東京都に近い地域に根差している。

 一方、小田原派は戦国時代に後北条氏に仕えた魔法使いの子孫。かつて、彼らは風魔忍者軍団と呼ばれていた。


何用なにようで来た?」

 ジッと時衛門を見据えながら話す猫。一方、その背後の釣り人は彼を全く見向きもしない。

「はっ!今日はお客人をお連れしました」

 地面へ顔を下げて、猫へ恭しい態度をみせる時衛門。それは雷鳴へ従う際の態度とは異なり、あくまでも自分が格下であることを示し、同時に忠義心を示すようでもあった。


 離れた場所から猫と時衛門のやり取りを見つめる雷鳴。

 猫と喋る男。そんな光景は摩訶不思議だが、周囲の釣り客たちはそのやり取りを全く気にしない。まるで、その空間だけが周囲から隔絶されているかのよう。いや、隔絶されているのだ。魔法によって。


 自分の出番が来るまでは待つ。そう決めている雷鳴はジッと待っている。時折、周囲を気にするが、慌てず、騒がずで、相模湾の空気と匂いをゆっくりと体感する。今朝は海風が穏やかなので、雷鳴の長い金髪も乱れずに済む。


「客人?あやつを連れてきたとは・・・」

 猫の眼が雷鳴へと向く。猫の眼球は最新鋭の監視カメラのように微かにしか動かない。

 だが、猫の視線に気づかない雷鳴ではない。それに気づき、ニコッと微笑んでみせる。

 しかし、猫は素っ気ないもので、すぐに視線を時衛門へと戻す。その反応にも気づいている雷鳴。何だよと言いたげに彼女は肩をすくめた。


「雷鳴様はご隠居へ相談がございます。どうか、ご面会を」

 猫へ語りかける時衛門。すると、猫は身をブルブルと震わせると、しなやかにからだを伸ばして欠伸あくびをする。

「さて、相談とは何か?私は隠居の身。今日こんにち、小田原派は忍者筆頭・風間家かざまけに任せている。それは其方そちも承知のはず。なぜ、私が必要なのか?」

 猫は顔を洗って姿勢を正すと、クリクリとした眼を忍者にんじゃ警官ポリスメンの時衛門へ向ける。その言葉を聞いて、時衛門が顔を上げる。すると、彼よりも先に雷鳴が声を発した。

一計いっけいを案じたい!」

 雷鳴の声に驚いた表情で振り返る時衛門。彼の表情とは対照的に、そこにはニコニコする雷鳴がいた。


「シャーッ!!」

 猫は雷鳴を威嚇するように唸ると、踵を返して釣り人へすり寄る。そして、釣り人に躰を擦りつけて、甘える仕草をした。


「時衛門―」

 不意に聞こえた女性の声。それは時衛門が『風魔のご隠居』と呼んだ釣り人の声である。

「はっ!」

 その声に時衛門は再度、こうべを垂れる。

、時衛門」

 釣り人は釣り糸を海から引き上げ、竿を戻す。そして、フィッシング・キャップを外しながら雷鳴と時衛門の方へ振り返った。

 釣り人は雷鳴と同じく20代後半に見える女性。物静かな雰囲気する美人で、『釣り』よりも、『読書』が好きそうな印象。穏やかで澄んだ瞳は宝石のような輝きを秘めている。そして、何よりもあの尖った耳。それが最大の特徴であった。


「久しいな。小太郎」

 時衛門の脇を通過し、雷鳴は『小太郎』と呼んだ釣り人へ近づく。顔見知りと再会する嬉しさが雷鳴の表情に現れている。


「何が久しいだ。3月のFI戦のときに会っただろう」

 フッと微笑むと、釣り竿や道具を片付け始める小太郎。

 ここでいう『FI戦』とは、今年3月に開催された小田原競輪場でのレースのこと。そこで小太郎と雷鳴は会っている。今日は連休GW明けなので、雷鳴が言うほど久しぶりの再会でもない。

 釣り人の名は、『風魔ふうま小太郎こたろう』。戦国時代からの付き合いである雷鳴はそんな呼び方をしないが、他の魔法使いは彼女をこう呼ぶ。『初代・風魔小太郎』と。かつて後北条氏に仕えた風魔忍者軍団のおさであり、である。


 小太郎の目の前まで来た雷鳴。すると、猫がその行く手に立ちはだかる。ジッと雷鳴を見据えて、彼女を警戒している。

「相変わらず風魔ふうまにんは部下に困っていない様子だな?私も猫の手を借りたい」

 戯れ言と共に猫を眺める雷鳴。彼女は背が高い。猫からすれば、ゴジラがこちらを眺めているようにも感じるだろう。猫はまたも唸り声を上げて威嚇した。今度は猫パンチも辞さない構えである。


「猫をからかうな。猫は賢い。お前が危険な奴だと理解している」

 雷鳴ではなく、猫へ視線を落して語りかける小太郎。

 小太郎が微笑んだのを目にした猫。雷鳴を威嚇するのをやめて、大人しく小太郎の脇へと控えた。


「時衛門、片付けを手伝え。朝飯に行くぞ」

「承知!」

 小太郎の命で、直ぐさま釣り道具の片付けを手伝い始める時衛門。それを目にした雷鳴は彼へこう言う。

「やはり忍者のおさの言うことは無視できんか?」

 そう言う雷鳴の笑みが意地悪だった。


「それは―」

 いつもは人に対して食ってかかったような態度をする時衛門。しかし、そんな彼が答えに窮するのは珍しく、それが雷鳴には滑稽に感じた。

「雷鳴、忍者はもっと大事に扱え。時衛門こやつはな、本当は素直で良い奴なのだ」

 笑って雷鳴の言動をたしなめる小太郎。

「わかってる。今も昔も、忍者の働きには頭が下がる」

 そう言う雷鳴だが、その口調は軽くて、さして敬意を感じない。

「本当にそう思っているのか?」と、雷鳴の言動を疑う小太郎。しかし、呆れた様子をしつつも、厳しく雷鳴を非難することもない。

「無論だ!」と、どや顔で即答した雷鳴。

「ふふっ、どうだか?」

 小太郎は時衛門と共に片付けを続けた。



 ※※※※※



 防波堤を離れた小太郎、雷鳴、時衛門。キジトラ猫も三人に続く。皆でハリアーの止まる駐車場へ向かう。

 この時間になると、日も高く上がり、相模湾がより美しく金色こがねいろに輝く。目が眩みそうな海の姿に名残惜しさを感じつつも、その場を後にする雷鳴。


 時衛門、小太郎、雷鳴の順番で歩く三人。

 小太郎は蒼いロッドケースを背負いながら歩く。その釣り竿の入ったロッドケースを眺めながら、雷鳴は尋ねる。

「小太郎。今朝はどうやって、ここまで来た?」

 釣りをしない雷鳴には詳しいことはわからないが、こういう釣り用のバッグは幾らが相場なのだろうか?そんなことを考えていると、小太郎が雷鳴へ答える。

「他のしのびに運転させた」

「あの馬鹿デカいキャデラックか?」

 少し大げさな口調をする雷鳴。彼女が想像したのはキャデラック・エスカレード。以前、小太郎が運転していたのを覚えていた。


「あのエスカレードは私個人の所有ではない。風魔忍者軍団の所有物だ」

 小太郎は振り返ることなく歩き続ける。

「キャデラックは忍者軍団の所有物か?」

「ああ、軍団の所有物だからな。勝手には使えなくてね」と、答える小太郎。

 それを聞いた雷鳴は時衛門に言う。

「だそうだ、時衛門」

 すると、時衛門はいつもの気に抜けたような調子で答える。

「いやあ、ハリアーは捜査のために借りたことにしているので、全く問題無いですよ」

 時衛門の口調からは悪いことをしているという意識を全く感じさせない。ここまでくると清々しい。


 たわいも無い話をしていると、瞬く間に駐車場へと着いた三人。

「時衛門、悪いが釣り道具を積むぞ」

 ハリアーの前へ着いた小太郎は時衛門へ言う。

「はい、お待ちを―」

 時衛門はハリアーを解錠する。小太郎の釣り道具一式は、ハリアーのラゲージスペースへ積み込まれる。


「後は頼んだぞ」

 釣り道具を積み終えると、小太郎は足元についてきたキジトラ猫へ語りかける。

「ニャ!」

『承知した』と、言わんばかりに鳴くキジトラ。駐車場内の車をすり抜けると、何処ともなく姿を消した。


 小太郎と猫のやり取りを目にした雷鳴は問いかける。

「結局、あの猫は何なんだ?」

「あの猫も忍者だ」と、答える小太郎の表情が誇らしげだ。

「使い魔か?」

 怪訝そうな表情をした雷鳴。

「いや、違う違う。猫に化ける忍者さ。ああやって猫に化ければ、厄介払いを受けないからな。みんな、猫が好きなんだよ」

「ほう。忍者の魔法は、他の魔法とはひと味違うようだな。興味深い」

 小太郎の答えに感心した様子の雷鳴。


「二人共、ハリアーにお乗りください」

 時衛門は運転席へ乗り込んだ。雷鳴と小太郎もハリアーへ乗り込む。この後は小太郎の提案通り、朝食へ向かう。

 運転席に時衛門、助手席に小太郎。雷鳴は来たときと同じく助手席の真後ろへ。

「朝飯は何処へ行く?よもやマクドナルドや牛丼チェーンとは言いまい?」

 雷鳴は小太郎に尋ねる。

 エンジンが始動し、ハリアーはゆっくりと駐車場内を進む。駐車場内には帰路へ就く釣り人が他にもおり、マイカーの近くで片付けしている。


「蕎麦屋へ行こう」

 小太郎は後部席を振り返る。『それでいいよな?』と、同意を求める表情をしていた。

「蕎麦か。それにしよう」

 小太郎の提案を了承する雷鳴。

「時衛門、お前にも蕎麦を喰わせてやる」

 機嫌良さげに運転席へ視線を向けた小太郎。

「感謝致します」と、時衛門も嬉しそうな顔をした。


 ハリアーの外を眺める雷鳴。何度となく見た相模湾の朝だが、今日は一段と風景が美しい。良い日になりそうだ。そう思いながら、次に向かう蕎麦屋へ想いを馳せる雷鳴だった。





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