第47話 永遠の櫻護

その日、僕は持っているスーツのうち

一番良いものを身につけた。


いつもより朝早くに寮を出た僕は、

人も疎な駅に降り立ち、そしてスマホで

【櫻岾】駅の写真を撮った。

藤崎さんから『居酒屋妖怪屋敷』なんて

変な綽名を付けられた定食屋兼居酒屋の

『櫻屋』の外観も、細い山道に入る道も

そしてあの『護摩御堂屋敷』も確りと

写真に収めた。


今日で『櫻岾支店』が閉店する。



その長い歴史は【櫻岾】の土地の興隆と

衰退を経て、今ここに閉幕しようとして

いた。僕にとっては初任店だ。それが

無くなってしまうのは辛いけれど。



「…。」丁度、店の前に来た時だった。

山桜の御神木『護櫻』が、あり得ない

天凱を造る入口に 彼 がいた。

確か、初めて彼を見たのも、こんな

シチュエーションだったなと思いつつ

僕は控えめに声をかける。


「藤崎さん。おはよう御座います。」


「…お?何だ岸田じゃねえか。やけに

早えな。」彼は精悍な顔に凛々しい

笑みを浮かべた。

もう、この人に色々と教えて貰う事も、

一緒になって『怪談』を聞く事も

叶わないと思うと…何だか胸が詰まって

僕は思わず『護櫻』を仰いだ。


まだ、朝の清々しさがあるが、多分

今日も又、暑くなるのだろう。


「この化け櫻も見納めか。でもまあ、

更地にはならずに済んだのは、マジで

良かったな。」彼の視線も『護櫻』の

天にも届く様な大きな葉影に。

「そりゃ、適正価格の倍の値段で

売却するなんぞ、公取が黙ってねえわ。

皆、漸く憑き物が落ちたんだろ。」



結局『櫻岾支店』は五億円で『櫻護』に

売却される事となり、正式に契約も締結

された。これで、長きに渡り店や土地の

色んなものを護ってきた『護櫻』も、

金庫室の一角に陣取る『開かずの間』も

無事に現状保存される事となったのだ。


弁護士の徳永先生が公正取引委員会を

引き合いに出して掛け合ってくれた事が

主な理由だと知れたが、藤崎さんが

言った様に 憑き物が落ちた としか

言えない急転直下の僥倖だった。



「お早う御座います。君たち早いね。」

小田桐支店長が僕らに続いて出勤して

来た。鍵を管理するのは支店長だから

漸くこれで店に入れる。でも、

 「先、行っててくれ。」藤崎さんは

そう言うと、又『護櫻』を眺め始めた。





三時の閉店迄は、通常通りの営業に

なったが、今まで贔屓にしてくれた

馴染みの顧客達が挙って来店しては、

僕らにお菓子や餞別のハンカチなどを

持参して別れを惜しんでくれた。

 特に、藤崎ファンの顧客は凄かった。

彼と一緒に記念写真を撮ろうと長い

行列が出来るのは、まるで

スーパースターそのものだった。

閉店のヘルプで来ている本部の人達も

一様に驚くほど『櫻岾支店』の閉店は

沢山の人々から惜しまれた。



そして閉店の三時の合図を以て。

『櫻岾支店』の長い歴史は幕を閉じる

事となったのだ。



『螢の光』が流れる。



「櫻岾支店、これにて閉店致します!

長らくの御愛顧、御贔屓。心より感謝

御礼申し上げます。」小田桐支店長が

『櫻岾支店』の閉店を宣言する。



『法照寺』の麻川住職や司法書士の

林先生だけでなく『櫻護』の理事達も。

 尤も僕が知るのは徳永弁護士ぐらい

だったが、筆頭理事の本田司法書士や

今回の事で正式に理事に加わる『奥方』

小淵沢真理子さんと、態々休みを取って

来てくれた法人営業第一部の田坂さん。

経営コンサルタントとして独立した

三浦さん、『櫻屋』の大将、それに

【櫻岾】の町の大勢の人達が。


 

皆、この 瞬間 の為に集まっていた。



初めて聞く『螢の光』に、皆の涙腺は

緩む。守本さんも、畠山さんも、

テラーの川辺さん、原さん。ロビーの

橋本さん。そして、この僕も。


「支店を閉める、というのは。しかも

これだけ歴史ある店を閉めるというのは

支店長として非常に名誉ある事です。」

小田桐支店長が感慨深そうに呟く。



この後、荷造りした段ボールを送り出し

僕らの辞令が発表される。そして

『法照寺』に場を移して極々縁のある

人達での宴が催される事になっていた。


「…な、いい加減にしとけ。こっち来い

お前ちょっとヤバいから…ていうかもう

皆んなドン退きするから!」田坂さんが

隅っこで藤崎さんに絡んでいる。いや、

 あの、藤崎さんが泣いている?しかも

マジ泣きだ。 スーパースター の

意外な一面は、田坂さんの献身のお陰で

殆ど人目に晒される事なく、トイレに

連れ込まれ隠蔽された。



辞令が発表されるのは四時。


皆んなそれぞれが別の店に異動になる。

この店は 出世店 のジンクスがあると

以前、藤崎さんから聞かされていた。













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