第46話 光あれ
いつの間にか梅雨に突入していた。
駅から店まで続く山道は、想像通りの
鬱蒼とした木陰に覆われている。
何だか不思議な世界に迷い込んだ気に
させられるが、足下に紫陽花なんぞが
あったとは。花の様な萼片が、色を
濃くして初めて知った。
『法照寺』の麻川住職が主宰した
クラウド・ファンディングは、思った
以上に好調だった。然程の時間も
経たないうちに三千万もの大きな額が
集まったが、そこから先が難しかった。
岸田のヤツ、結構な資産家らしい実家に
相談しようとしたが、俺はそれを敢えて
止めた。昔、店の 数字 の為に投信
申し込もうとして、頭領からガッツリ
叱られた記憶があるからだ。
《数字の為に身銭を切るなんぞプロなら
絶対やったらアカン》て。俺はプロだ。
だからこそ そこ は崩せない。
当然、岸田も同じだ。
それでも三千万ものデカい資金が
善意の有志から集まってきたのには
マジで驚きを禁じ得なかった。いや、
感動すら覚える。
一億稼ぐのに一体どれだけの労力が
必要か。
概して俺らに月に何億ものノルマを
課す連中には、わからねえだろう。
俺自身、かなり勉強させて貰った。
都心エリアくんだりで諾々とやってた
頃とは、まるで大違いだ。富裕層相手の
資金運用とは、全く 性質 が違う。
そして今、俺は又もや例の伏魔殿的な
毛足の長い赤絨毯の上を歩いていた。
今度は小田桐支店長の補佐、という立ち
位置だが、どうせ又あの カンカン が
難癖付けて来るのは目に見えている。
「カンカン、って綽名だったそうですよ
神田専務。」廊下を歩きながら支店長に
言う。「…それ、先輩から聞いた事が
ありますよ。」困った様に笑うのは、
この人の癖だろう。元が良識的で繊細な
人だ。今回の閉店に伴う人事に於いて、
特に店の皆んなの 異動先 については
連日かなり上と折衝している様だった。
「先日来ていた、小淵沢さんのご主人。
私が新入生の時のトレーナーでした。
まさか彼が護摩御堂家の係累だとは。」
「えっ?!それ、マジですか!」
「ええ。奥様の方は存じ上げなかったが
綺麗な人でしたね。」小田桐支店長は
そう言うと、こっちに向き直る。
「藤崎君、最後に あの店 に呼ばれた
我々には必ずやり遂げなければならない
事があります。」「承知しています。」
俺は頷くと、ドアを二度ノックする。
実際、店の買収話にはなるだろう。
未だ俺らの手持ちにはこれといった
切り札はない。
「…?」部屋の中からは何の反応も
ない。「櫻岾支店の小田桐と藤崎です。
進捗報告に参りました。」改めて、
小田桐支店長が宣う。と、同時にドアが
開いた。「…。」俺らは再び互いの顔を
見る。だが、何の返事もない。
ドアが開いた、って事は、入れって
事だよな? 俺は支店長を目で促して
カンカンの執務室へと足を踏み入れた。
執務室は本店の上層階に位置している。
全面に張られた窓からは、都内の高層
ビル群や、遠くは富士山も望める。
晴れた日にはかなり爽快な仕事環境だ。
だが、室内は酷く昏い。
確かに高層ビル群は望めるのだが、
重く雨雲が垂れ込めた鉛色の空は
今にも雷光が閃きそうな不穏な様相を
呈している。
「神田専務?」執務机にはいなかった。
「あの男ならば、此処にはいない。」
「…?!」革張りのソファの陰に誰か
立っていた。支店長もギョッとした顔を
しているが。
瞬間、稲光が走る。
又しても、上級役員ご登場かよ…。
ウンザリしつつ俺は、何も言い出さない
小田桐支店長に代わって口を開く。
「お忙しい所、貴重なお時間賜りまして
恐縮です。本日は神田専務に閉店作業の
進捗のご報告で伺ったんですが。」
「進捗の報告だと?」「はい。タイム
テーブル通りには概ね進んでいます。」
座って良いとも何とも言われてないが、
取り敢えずソファに座ると、鞄から
書類を出して一部を手渡す。居ねえなら
サッサと済まして帰るだけだ。
「資料に沿ってご説明しますので先ずは
三頁をお開き下さい。」「…。」無言で
相手も対面に座り、資料の三頁を開く。
てか、何だよコイツ辛気臭え。ウチの
役員には間違いねえンだろうけど。
「…顧客口座の移管は既に三分の二が
完了。閉店から一週間程度を目処に、
店舗ATMは【櫻岾】の駅前に移設予定
それから…。」「待て!」「?」
「それで、十一億は用意出来たのか?」
いきなり正念場。隣で小田桐支店長が
俺の事を見る。「…。」
突然、核心に来たか。
期限は、あと二ヶ月を切っている。
『櫻護』の五億と雪江サンからの五億、
そして、支店の為に集まった三千万。
あと七千万…一体、どうしたら…!
「十一億などに、さしたる価値はない。
既にあの店の権利譲渡は成立している。
『櫻護』といったか。」「…え?今
何て仰いました?」
「後の事は、お前達に委ねられた。」
多分、専務理事以上の職責だろう男は
そう一言告げると立ち上がり、俺らの
見ている目の前で
消えてしまった。
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