第36話 熒惑星、周廻

藤崎さんは昼になっても店に戻って

来なかった。ちゃっかり所在ボードが

『外出』になっていたけど、帰店時間は

書かれていなかった。


「藤崎さん、どうしたんだろうな。」

守本さんが心配顔で言う。丁度、アポ

なしで来た藤崎さんの顧客対応を

終えたばかりの様だった。

「午後にも二件アポ入ってるんだよ、

藤崎顧客。代受けは別に構わないけど

何で藤崎さんじゃないのぉ? とか

恨めし気に文句言われるのは、流石に

勘弁して欲しいよ。」

 守本さんはそう言うとパソコンで

応接記録を打ち始めた。彼も又、

尋常じゃない空気を感じているのに

違いない。



僕は、あの『手紙』の内容について

守本さんに相談したい気持ちを必死に

抑えていた。


『櫻岾支店』が無くなる?


でもそれは、まだ不確かな情報でしか

ない。妄りに騒ぎ立てるのは得策では

なかったし、もし仮に支店長に真偽を

確認したとしても、絶対に答えては

くれないだろう。

 取り分け銀行というのは 守秘 に

うるさい場所なのだ。



「岸田、ちょっといい?」そんな事を

うじうじと考えていたら、事務課の

畠山さんから声が掛かった。

「はい。どうかしましたか?」

「今、外線から藤崎さん宛の電話が

入ってるんだけど、外出中って言ったら

岸田に繋いでくれ、って。」「僕に?」

「そう。法人営業部の田坂さんて人。

岸田の知り合い?」「いえ全く。でも

代わりますよ。」僕はそう言うと、

保留中の電話を取った。


「岸田って、お前?」いきなり電話の

主はそう尋ねた。「え。あ、はい!」

何だか以前にも同じような場面があった

様な気がしたが。

「諒太…いや、藤崎が何処に行ったか

心当たりとかないか?」相手は全くの

見ず知らずの人だ。けれども言葉の

端々から妙な馴れ馴れしさと焦りとが

同時に感じられる。

「何処に行ったのかはわかりませんが

私物鞄は置いてあるので、店には戻って

来ると思いますけど。」「わかった。

今そっち行く。」「え?」電話は有無を

言わさず切れてしまった。


「今の何者?」畠山さんは興味深々だ。

「わかりませんけど、これから店に

来るみたいな事を…。」僕がそう言う

間もなく 電話の主らしき人 が店に

姿を現した。


ごく普通に店の入り口から来店した

その人 が、絶対この店のお客じゃ

ないのは明らかだった。

「……!」畠山さんなんて、又もや

テンション爆上げしている。


「お疲れ様です。法営の田坂です。」

類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。

藤崎さんほどの衝撃ではないにせよ

彼も又、相当に見た目は強い。

ギラギラしてはいない分、良識的に

格好いい。


田坂と名乗った彼は、極自然な感じで

営業課フロアに入って来ると、僕の隣の

藤崎さんの席に腰を下ろした。

「諒太の席って、ここ?」「…はい。」

「別に怪しい者じゃないから。俺は

藤崎諒太の同期で、普段は丸の内に

常駐してる。」

彼はそう言うと名刺を渡して来た。


『法人営業統括第一部 

   部長付 田坂優斗』とある。


法人部門はよくわからないけれど、

多分かなり職制ランク上の人だろう。

そんな人が今こんな場所にいても

いいのかな、そんな事を思いつつ。


「あの、支店長に会われますか?」

「今、支店長いるの?いや、出来れば

会いたくない。それより、ちょっと

出らんないかな?外廻りのフリして。」

「それは…。」一瞬、僕は逡巡した。

「行って来いよ、こっちは大丈夫だ。

藤崎さん何か変だったし。早く戻って

来て貰わないと困るし。」守本さんが

僕の背中を押す。

「お前が守本?藤崎から聞いてるよ。

サンキューな。」「え、はい…。」

守本さんが耳を赤くして恐縮してる。

どうやらこの人も、藤崎さんとは同じ

類の 人誑し だ。


「じゃ、ちょっと岸田クン借りるわ。

直ぐに戻すから。」田坂さんはそう

言うと、僕を伴い店外へと連れ出した。






「…これが『化け櫻』?」店の外に

出るや、彼は如何にも珍しそうに入口の

『護櫻』を仰いだ。もう既に青々とした

葉が、鬱蒼とした木陰を造っている。

「はい。あ、いえ…これ.本当はちゃんと

『護櫻』っていう通り名があるんですが

藤崎さんが変な呼び方してて。別に、

化けたりしませんよ?」「だろうな。」

田坂さんはそう言って、穏やかな笑みを

浮かべる。

 流石は藤崎さんの同期というか同類。

格好いいな。そんな事を考えていた、

その時だった。




「お前らナニやってんだこんな所で。」




僕らの背後で聞き慣れた声がした。







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