第34話 櫻岾支店
その日は、朝から藤崎さんの元気が
露骨になかった。あのギラギラした
ロックスターばりの着任からこの方、
こんなに意気消沈した彼を見るのは
実に初めての事だった。
今迄、大人しくしていたとしても
大体が仕事に集中していただけだ。
それが全く仕事も手に付かないような
為体で、只ぼんやりしている様子に、
僕は酷く不安になった。
「藤崎さん、どうしちゃったんです?
何かあったんですか?」僕は彼の隣の
席に座ると、パソコンの電源を入れ
ながら声を掛ける。
「いや…どうもしねぇ。」その反応が
既に 由々しき事態 を物語っている。
畠山さんやテラーの川辺さん達ですら
遠巻きに遠慮しながら見守っている。
そこで僕は、昨日の帰りに頼まれた
『手紙』の事を思い出した。
「あ、そうだ。昨日の帰りに【櫻岾】
駅で、綺麗な女の人から藤崎さん宛の
手紙を預かったんです。」僕はそう
言うと、鞄から預かった手紙を出して
彼に渡した。
「……。」物憂げに受け取って開いた
彼の表情は次第に険しくなり、そして
眉間に皺を入れながら僕に向き直る。
「これ、お前に渡したのって、一体
どんな女だった?!」突然の勢いに
圧倒されながらも僕は『藤崎さん』と
いう人間の ボラティリティ について
考えを巡らせる。
「…綺麗な人でしたよ。年齢は、多分
アラフォーぐらい?紺色に白い花の
刺繍がついた上品なワンピース着てて。
何か、お礼を言われましたよ?」
僕は次第に得体の知れない不安に
苛まれ始めた。 が。
「はッ…はははは!」突然、彼は
笑い始めた。
「…藤崎さん?!」僕は遂に彼が
壊れたかと思って酷く動揺したが。
「岸田!お前マジでスゲェわ!
直接、手渡されたんだろ?コレ。」
「そうです…けど。」不安も凝ると
怒りになる。変な安堵も手伝ってか
僕は彼を思いっきり殴ってやろうかと
本気で思い始めた、そんな矢先。
「雪江さんからだ。この手紙。」
彼は端正な顔に笑みを浮かべて、今まで
読んでいた手紙をこっちに寄越した。
「いいんですか?これ僕が読んでも。」
「おうよ。」彼はまだ楽しそうだ。
「こ、これ!…護摩御堂雪江って!」
「俺の師匠の実のお袋さんなんだ。
まだ一年坊主の頃に道を示してくれた、
今は亡き初任店長の。」藤崎さんはそう
言うと席を立った。
手紙には、綺麗な文字でこんな事が
書かれていた。
《 拝啓 藤崎諒太様
此度は、本当に有難う御座いました。
歴史ある『櫻岾支店』は私の息子が
初めて勤めた御店でした。
貴方があの子を 職場の父 と慕って
下さっていたのは存じて居ります。
私にとって、貴方は孫息子の様なもの。
まるで奇跡の様な承継でした。
あの子の父親も私の祖父も、実は
『櫻岾支店』の人でしたから。
貴方が『開かずの間』を開け放って
くれた事で、私たち一族を縛っていた
呪い は、只の 怪談 へと姿を
変えた。だからこそ幕引きも貴方に
お任せしたいのです。
長い歴史を刻んだ大切な御店への終の
贐を、他の誰でもない貴方に委ねたい。
それは息子 小淵沢芳邦 の、強っての
願いでもあるのです。
何卒ご高配のほど、宜しくお願い
申し上げます。
護摩御堂雪江 》
僕は震撼した。
それは、この手紙を幽霊から預かって
来たからではない。藤崎さんが何らかの
因縁を持って『櫻岾支店』へと異動して
来たからでもない。
『幕引き』って。そして『大切な御店の
終の贐』…って。
「藤崎さんっ!」僕は彼を探した。
「え…どうした?岸田。」丁度、今
出勤してきた守本さんが、目を丸くして
僕を見つめる。
「藤崎さん、見かけませんでしたか?」
「いや? 見てないけど。どうした?」
「…いえ、ちょっと聞きたい事…が。」
僕は店の入り口の辺りまで出てみたが
彼の姿は何処にもなかった。
「…?」ふと、視線を感じて仰ぎ見る。
『護櫻』が、サワサワと深緑の葉を
揺らしている。この御神木は、僕がこの
店に着任してから日々ずっと目にして
来たものだ。
この店は、こう見えてメガバンクの
サテライトブランチにあたる。そして
その規模にも関わらず、矢鱈と長い
歴史があった。茲許の店舗削減とか
キャッシュレス化とか、ネットでの
ダイレクト手続きとか。確かに便利に
なったとは思う。お金なんて所詮は
概念 で、お札は単なる紙でしかない。
でも、目に見えない 概念 は
他にも間違いなく存在した。呪いとか
因縁とか、想いとか。
いずれ無くなる店舗には違いない。
でも、僕は。
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