第20話 七回忌法要

その日は朝から曇天だった。


今にも泣き出しそうな空が、低く垂れ

込めた雲と この世 との境界線を

酷く曖昧にする。


 降り出さなきゃいいが 


俺はそんな事を思いながら、寺の長い

廊下を歩いていた。




「…ごめんなさいね、諒太君。忙しい中

本当に、何から何まで調えてくれて。」

俺の横を、喪服姿の『奥方』が歩く。


これから『頭領』の七回忌の法要が、

此処、池上にある彼等夫婦の菩提寺で

行われる。田坂と俺は所謂、発起人の

貌で『奥方』を支える。


メガバンクの支店長を歴任した 彼 の

七回忌だ。ド派手に、とは言わない迄も

きっちりとケジメは着けておきたい。

俺はそう思っていた。

 子供のいない彼等夫婦には、まさに

俺らの様な、血こそ繋がらないが育てて

貰ったと自覚する者が決して少なくは

なかったからだ。


「…全然造作もない事ですよ。それよか

『奥方』は弔問客へのご挨拶の方、

宜しくお願いします。」俺は、隣を歩く

彼女に言う。



今日の主役。今は亡き 小淵沢芳邦 は

俺らの『オヤジ』だ。


一体、どれだけの影響を受けた事か。

それはきっと、俺しか知らねぇよな。

 いや、もしかしたら頭領はわかってて

草場の陰で苦笑してるのかもな。

《俺、そんなんちゃうやろ?》って。


田坂は寺側とのスケジュールを詰めに

寺務所の方に行っている。まだ、暫くは

弔問の 同志 は来ないだろう。



「諒太君、お仕事の方は相変わらず

忙しいんでしょう?」彼女が労う様に

俺に尋ねる。

「それが、全ッ然ですよ。俺、今はもう

丸の内じゃないから。そんな数字も気に

しなくていい、っていうか。何ならもう

年間達成率九十%到達してますしね。

その分、本気で楽しんでやれる。ガチで

上振れさせて行きますよ。」

「凄いわ、流石は諒太君ね。新しい

お店【櫻岾支店】だったかしら?まだ

異動してからそんなには経って

いないんじゃないの?」目を丸くして、

『奥方』が言う。



寺務所へ行った田坂は、まだ戻っては

来ない。


境内には桜の木もあるが、もう花は

盛りを過ぎて、気の早い薄緑色の葉を

覗かせていた。




俺は それ を尋ねるべきか逡巡して、

そして漸く腹を決めた。



「…変な事を聞く様ですが、奥方。

もしかして『護摩御堂』っていう名前に

何か心当たりとか、ないですか?」



言ってしまって俺は、何か途轍もない

衝撃が返って来るんじゃねぇかと、そう

覚悟していたが。


「…胡麻?聞いた事ないわね。小淵沢の

知人かしら?私は彼の仕事関係は全く。

多分、諒太君が知ってるような人しか

私には分からないわ。」

 決して嘘偽りを言ってない。それは

充分過ぎる程にわかる。


      ならば、何故だ?





俺は【櫻岾支店】の『開かずの間』の

その仰々しく張られた注連縄の内側で

何気に見覚えのある紙束を見つけた。


それは、畳和紙に墨で書かれた書簡。


墨痕から、古い物だと想像出来たが

それは俺が目下最大限で気に掛けて

いる、例の広大な『護摩御堂』屋敷の

現在の 所有者 を示唆する物だった。

 昭和五十五年に他界した護摩御堂家

最後の当主、護摩御堂雪江が認めた

『自筆証書遺言』。


但し、それが自筆である事も含めて

法的な効力は極めて薄く、更には

資産を承継させる 人物 も、


       既にこの世にはない。




そうこうしているうちに、寺側との

打合せが済んだのだろう、田坂優斗が

戻って来やがった。

「お、そっちも準備OKか?」ヤツは

広間の座布団やら皿やらを満足そうに

眺め、そして俺の顔を怪訝な表情で

まじまじと見つめる。

「諒太、どうしたんだ?」「何が?」

「なんかいつものギラギラしたウザい

感じが減ってないか?」「うぜぇのか。

お前の方が俺よか余程にうぜぇわ!」

「……。」俺らの応酬に、奥方が

穏やかに笑う。



多分、この人は何も知らないんだろう。



もしかすると、頭領も知らない…なんて

事は、多分ねぇだろうな。あの人は

ガチの バンカー だったからな。

 自分亡き後の、妻の人生については

プロとして完璧に設計していた。元々

子供のいない夫婦だったから、その後の

事もしっかり考えているんだろう。


ならば、あれは一体何なんだよ?



あの、呪われた『護摩御堂』の莫大な

資産を受け継ぐ者。いや、

護摩御堂雪江から 名指された のは。


        小淵沢芳邦



そして彼亡き今、この穏やかに微笑う

彼の未亡人、小淵沢真理子へと。

 俺は内心、この不可解な 継承 に

不穏なものを感じずにいられなかった。












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