第19話 盛塩と注連縄


「待って下さい!」



藤崎さん達が金庫室の中へと入って

行こうとするのを、僕は思わず止めた。


   怖かったのだ。


案の定、藤崎さんは物凄く端正な顔に

思いっ切り不審を載せて僕に言った。

「ナニ震えてんだよ?」それは呆れとか

憤りとかではなくて。

         純粋な 疑問 ?


「…あの、『開かずの間』から線香の

匂いがした…気がするんです…けど。」

上手く説明が出来なかった。

 線香の匂いがしたかも知れないけど、

もしかしたら気のせいかも知れないし。


いやそれより僕は、あの時どうして

『開かずの間』の引き戸に 手 を。


その 不可解 が、怖かった。



「線香の匂いすると、何かダメな事とか

あんのかよ?」彼はそう言うと、僕の

不安など全く意に介さずといった調子で

金庫の内へと入って行った。


藤崎さんは全く躊躇う事なく金庫室の

奥へと進み、その後から畠山さんと

やや及び腰の守本さんが続く。


そして僕が派手にひっくり返した保険の

差替え資料が散らばる辺りに出た所で

漸く、先頭を行く藤崎さんの足が

止まった。




「あーホントだ、開いてやんの。何か

一見、厳重そうな雰囲気だからアレだが

これって、もしかすると…。」

言いながら彼は引き戸に手を掛ける。

そして、躊躇う事なくスライドさせた。


一瞬、線香の匂いが。

  いや、そんな気がしただけだった。



「……っ!」悲鳴を呑み込んだ様な

畠山さんの声がした。

 全開となった『開かずの間』には、

そこが 金庫の奥 なのだという事を

忘れてしまう程の 異様 があった。



骨董市で見かける様な桐箪笥と文机、

そして黒光りする漆塗りの茶箪笥。

まるで昔話に出て来る『迷い家』だ。


だが、恰もそこが 特別な空間 だと

言わんばかりに古い『注連縄』が、

事件現場の立ち入り禁止の表示よろしく

何人たりとも立ち入りを拒んでいた。



「うぉお…スゲェ…!何だよこれ⁈ 」

案の定、藤崎さんは大喜びだ。肩が

微かに震えているのは恐怖からではなく

間違いなく 歓喜 に違いない。

「でも、これじゃ…入れねぇよな。」

そして残念そうに言う。

 流石の藤崎さんでも、この部屋の中に

踏み入るのは無理に違いない。

 よくよく見ると『注連縄』だけでなく

部屋の四隅に『盛塩』が置かれている。

それだけでも、ここが極めて異常な

場所だというのは一目瞭然だった。

 しかも、【櫻岾支店】の金庫の中に

ぽっかりと開いた 異常な 空間。


「これ、やっぱり入っちゃいけない

ヤツ、ですよね…見なかった事にして

早く閉めちゃいましょうよ。」

守本さんの声も心なしか震えている。


と、突然。


藤崎さんが『注連縄』を掴んだ。


「…きゃあぁ…!やだやだやだッ‼︎ 」

「ふ、藤崎さん!何してんですかッ‼︎」

畠山さんの悲鳴、それに被せるような

守本さんの制止を掻い潜って。


彼はその長い脚を見せ付けるかの様に

注連縄を華麗に跨ぎ『開かずの間』へと

遂に、足を踏み入れてしまった。


僕は、声も出なかった。



「お前らは、こっち来ンな。いいな?」

藤崎さんが『開かずの間』の薄暗がりの

中から、背中越しに僕らに言い放つ。

 本当に、何処まで絵になる人なのか。

でも、誰一人そっち側に行こうなどとは

思っていない。いや、寧ろ僕はこの時

藤崎さんの身に何か 良くない事 が

起きるのではないかと、そんな不安に

苛まれていた。



幾ら『スーパースター』だからって

やり過ぎなんだよ。怪談とか怪奇現象を

好むのは別にいいけど、でも流石に

これはやり過ぎだ。


もし彼の身に万一の事があったら。


僕は三浦さんの一件を思い出して、

余計に不安になって行く。



「藤崎さん。」僕は、頼りないほど

小さな声で彼の名を呼んだ。


     けれども彼は応えない。


じっと文机の上を。いや、その上に

置いてあった 紙の束 を手に取った。



「…藤崎さん。」


僕は酷く不穏な恐怖に囚われていた。













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