第3話 護摩御堂
自分でも、なんだか不思議だった。
まさかの緊張感。変にわくわくする
気持ちを感じるとは。
『櫻岾支店』への通勤時間は、実は
今迄とはそう変わらない。
逆に、都心への痛勤より遥かに楽勝だ。
乗換こそ頻繁にはあるものの、下手を
すると座って行ける。
電車自体が空いているのだ。
都心のビル群ではなく山道を抜ける
路線は、今まで忘れていた自然の生命力
美しさを感じさせてくれる。
いつの間にか、もうすっかり切替えた
自分がいた。
きっと今迄よりも遥かに顧客の資産
総額は少ないだろう。その分、課される
店の予算も減るだろう。
ソコだけはどうにも我慢ならなかった
が、今更 全国基準 を意識した所で
詮無いこと。
ならばどうやって 展開 させるか。
そこが見せ所だろう。ともあれ、先ずは
支店の顧客リストを見てから決める。
この半端な時期での異動だ。そのへん
時間はかけさせて貰う。
そんな事を熟々と考えていた所で
思わずギョッとして目を留めた。
まだ早朝の電車の中は、下り線という
事もあってか人は疎で。
思いがけず座る事が出来たのだが。
向かいの座席に座る女。
何で朝っぱらから喪服なんぞ着て。
そんな事を思っていたら、目が合って
しまった。
「……。」慌てて目を逸らす。
膝の上の鞄から無駄に書類を出して、
これ見よがしにパラパラ捲ってみる。
そこで、はたと気が付く。
『櫻岾支店』の資料なんか、店の外で
見るもんじゃない。幾ら周りに人の目が
ないからといって、行内限の書類だ。
一つ、ため息を吐きつつ鞄に戻す。
え……嘘だろ?
さっきまで目の前の席に座っていた筈の
喪服の女が居なくなっている。
書類を鞄から出してパラパラやって、
それからすぐに又鞄へと戻す、
時間にしてほんの数分の事だ。
「……?」無駄にキョロキョロして、
そして固まる。
電車は走っているし、わざわざ
車両移動したとも思えない。そもそも
座席は空いているのだから。
これ 怪奇現象 って事でいいのか?
何かイマイチぴんと来ねぇんだけど。
まぁ、珍しいモン見たって事でいいか。
そうこうしているうちに漸く目当ての
駅に到着するアナウンスが響いた。
座席を立ち上がり、ふと喪服女のいた
席に目をやると。何か落ちているのを
認めた。
「…何だこれ。」独りごちる。
畳和紙に筆で何か文字が書いてある。
手紙かな?そう思うと何となく拾うのが
躊躇われる。そもそも、封のない
手紙だ。
駅員に届けるぐらいした方がいいか。
そう思い直して手に取ると、墨で
書かれた宛名らしき漢字が見えた。
『護摩御堂』
宛名なのか?なんて読むんだよコレ。
人の名前で合ってんのか?
ゴマミドウ で。
目当ての駅に着き、扉が開く。いかにも
長閑な田舎駅といった風情に又
少しだけ気持ちを整えて、改札口へと
足を進める。
事務所には駅員らしき年配の男性が
一人いた。
「すみません。」声をかけると、直ぐに
こっちに来てくれた。
「お早う御座います。今ここに停車した
電車の中で、落とし物を拾いまして。」
手に持っていた封書を駅員に手渡す。
「…ッ⁈」その瞬間の、彼の顔は多分
暫くは忘れられないだろう。
「あの…これは一体、何処で⁈」何故か
酷く責め立てられているような気がして
一瞬、怯みかけたが。
「どこって、だから今乗って来た電車の
三号車の座席の上ですよ。直近、女性が
いたので、その人の落とし物かも。」
「女性…ですか。どんな風貌でした?」
何故、そんな事まで聞かれるのか。
「どんなって言われても。顔はあんまり
じっくり見ないようにしてるんで。
あー、でも喪服みたいなのは着てたか。
洋装じゃなくて、着物の。」
言った途端、駅員は色を無くした。
そして、慌てて何処かに電話をかけ
始めた。
こっちも出勤途中なのを思い出して、
やや早足になりながら駅舎を出た。
山が迫るその道の付近には、何の花だか
知らないが、見事な滝の様な白い花が。
流れる様に咲き乱れていた。
一つひとつの枝に細かい花が隙間なく
付いているのが滝のように見える。
「いやスゲェな、マジでこれ。」
まあ、面倒臭そうな落し物は渡したし。
俺は気を取り直して、花の流れる道へと
足を踏み入れた。
そして
『櫻岾支店』を目指して歩き出した。
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