第2話 櫻岾怪談

その日は朝から慌しく過ぎて行った。

いや、慌しいというよりも寧ろ、

変な 緊張感 に支配されていた。

 元々そんなに来店客の多い店では

ないのが幸いし、何とかそれでも無事

三時の閉店には漕ぎ着けた。



都心エリアから 物凄い人 が来る。


その報せに、皆んな好奇心と動揺を

隠せなかったのだ。




事の発端は先月の中頃に遡る。


店の営業頭として数字を牽引して来た

三浦さんが突然、消えた。


消えた、と言うと如何にも大袈裟に

聞こえるかも知れないが、実際二日ほど

所在知れずになっていたのだから、強ち

誇大表現という訳でもないだろう。


彼は四十半ばのベテランで、主には

富裕層顧客を受け持っていた。けれども

店の都合上、個人担当でありながら

法人やら融資やら何やらの諸々を、ほぼ

一人でこなしていたのだ。


至って真面目な人物で、顧客の受けも

同僚受けも決して悪くなかった。

             それが

支店長と産業医しか知らない

 一身上の都合 で、姿を消してから

一度も店に顔を出さずに辞めて行った。



何があったのかは、誰も知らない。

『護摩御堂』家の呪いだなんて、厭な

事を言う人もいたが、僕はそういうの

一切、信じていない。


  実しやかに語り継がれる

        櫻岾支店の 怪談



僕が拠点配属になってから、一番最初に

聞かされた、この土地の曰くの数々。

だがそれはあくまでも『怪談』であって

フィクションの類なのだ。ましてや、

業務には何ら影響しない。



実際問題として。


彼の抜けは店に大きな打撃を与えた。

元々小さな店だから、そうそう難しい

案件はないのかも知れないけれど、

三名しかいない営業担当の、最も大きな

柱が抜けてしまっては、数字どころか

色々と立ち行かなくなるのだ。


『櫻岾支店』は一応、メガのサテライト

ブランチ扱いになる。けれども統合と

合併を繰り返し巨大化した結果、今度は

逆方向へと舵を執った。

 多分この立地と規模では早晩なくなる

支店には違いないけれども。




「今度来る 藤崎諒太 って人、さ。」

守本さんが、僕の 隣の席 に座る。

そこは三浦さんの席だった。彼は僕の

OJTもみてくれていたのだ。 


「職級が副支店長クラスらしいけど、

何でまた態々ウチになんか飛ばされて

来るんだろうな。」

「三浦さんの後任って事でしょう?」

「それはそうだろうけど。別にそんな

『物凄い人』持って来なくたって。

これで俺もちょっとは目立つかなーと

思ってたのに。」

 守本隆弘。彼は僕より四期上の中堅

営業社員だ。それなりに数字を出しては

いるものの、三浦さんからすると全くの

素人に等しいと、新人の僕ですら思う。


「えー?何なに?何の話してるの?」

事務課の畠山美雪が割り込んできた。

 店は小ぢんまりしたワンフロアで、

営業課も、諸々事務手続を行う事務課

所謂『窓口』も地続きだった。

因みに、彼女は僕より二期上で、最も

年次の近い先輩にあたる。


「あぁ『都落ちスーパースター』の。

どんな人だろう、絶対に仕事やり辛く

なりそうな予感しかしない。ていうか

畠山さん、何か聞いてないの?」

 明らかにテンションを下げている

彼に対して、畠山さんは真逆の反応を

見せた。

「藤崎さん、でしょ。それ絶対禁句!

私、丸の内支店に同期いるんだけど、

物凄いイケメンだって!でも、超怖い

人だってさ。キレッキレで。」

「…え、何それ…マジで?」

守本さんの下がったテンションは更に

変な方向へと向かう。

「勿論、マジで言ってるんだから。

その、都落ち〜とかいう禁句を言った

法人営業部の人、ボコられたらしいよ。

ま、噂だけどね。」

「暴力振るう系なの⁈ 今どき?」

「だから、噂だってば守本さん。でも

余計な軋轢、嫌でしょ?」


僕はちょっと感心した。彼女はこう

見えて結構、大人だったからだ。

 けれども興味を持つな、という方が

難しいのだろう。



支店の誰も彼もが皆、浮ついていた。


この僕を含めて。





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