櫻岾奇談

小野塚 

第1話 都落ち太白星

大手町の改札を抜けるまで、本気で

誰かを一発殴ってやろうかと思って

いた。


 俺が一体、何をしたというのか。


この置き所のない苛立ちを持て余し、

恰も 弾幕避け の如く、道行く人を

すんでの所で避けながら足速に歩いていた。


時期外れの異動の辞令。


それだけでも充分、噂の標的になる。

見た目以上にヤワな神経していないとは

周りからもよく言われるが、何事も

加減が肝心なのだ。


変に注目されるのは好きじゃない。


深読みすると 見せしめ なのか?

それとも自分でも知らない間に何かを

やらかした のか?


どの道、何らかの不芳不祥があれば

即座に指摘が入る筈だ。だから多分、

その線はない。

 嵌められた可能性の方がまだあるかも

知れないが、現状それも限りなく薄い。

敵は、五万といる。けれどもそれを完全

掌握して今迄やってきたのだ。


後悔した事は一度もない。

そもそも、後悔する柄じゃない。


異動なんか数年置きに必ずやって来る。

一々気にしていたらやっては行けない。

 

         だがしかし、だ。


今度の異動先は都心どころか都内23区で

すらない。しかも、降格人事ではなく

職制ランク一つ上がりの 昇進 人事。

それが余計に頭を混乱させた。    



『櫻岾支店』なんて聞いた事もない。

ウチの支店じゃねぇだろ、絶対に。




都心エリアの営業担当ってのが一体

どれだけの数字を稼いでいるか。いや

暗黙にも、課されて いるのか。


入行してかれこれ十年にはなるが、

全国リテール部門賞は毎年連続して

獲って来た。それは一貫して自らに

課してきた事でもあった。

それを敢えて 都落ち させるのには

実入よりも重要な理由がある筈だ。


だが、それは誰の口からも語られない。


只々好奇と憐憫の眼差しが、容赦なく

突き刺さるだけで。







本店からは一駅無駄に乗って、無駄に

歩いて帰って来てやった。通用口は

使わずに、正面入り口から堂々と入る。



「苛ついてるな。少し落ち着けよ。」

同期の田坂が目敏く見つけ、意味深な

笑顔で近寄って来た。

 田坂優斗。彼は同期入社だが、法人

営業部でフロアも別だ。同じ建物の

中でも普段は殆ど見かける事もない。


 にも関わらず。何故 今 なのか。


「世紀のロックスターの登場みたいな

入り方すんなよ。客、怯えてるぞ?」

出来るだけ会いたくなかった同期が

苦笑いで続けてくる。

「本店か? 専務からの 辞令 なんて

凄いよな。拠点長並みじゃないか。」


「辞令じゃねぇよ。人事面談だ。

それから、専務はいたが挨拶だけで

早々にどっかに消えてった。」

 妙な状況が又要らぬ憶測を呼ぶのは

大体、コイツの軽口のせいもある。

『守秘義務』とかって言葉知らねぇのか

この野郎は。


「皆、お前のこと蔭で何て呼んでるか

知ってるか?」田坂は尚も言う。

「うるせぇ。ぶん殴るぞ?っていうか

マジで殺すぞ?」


  都落ちスーパースター


態々、言われなくても知っている。

異動が内示された時点でもう周囲の

共通陰口になっていたのだ。

 別に、周りから嫌われていたとは

思えない。

 いや、もしかしたら…まぁそれは

今更、知った事かよ。


他人の異動如きで馬鹿みたいに。

ヒトの事を心配するぐらいなら、

自分の月足でも気にしとけ。


上等じゃねぇか。こんなクソみたいな

環境こっちから願い下げだ。

どんな場所でも望む所。それなりの

結果を出しさえすれば文句はない筈だ。


 いや。文句など言わせない。





この時までは本気でそう思っていた。


 あんなモノを見るまでは。





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