15・あの日の出会い
店長さんをお見送りしてから、私は一人になる。ぼんやりと景色を眺めると、ところどころ綺麗な紅葉が目に入り、秋だなと思う。
さっき誉くんの話が出たけれど、私の中での誉くんのイメージは秋だ。
というのもはじめて誉くんに出会ったのが秋だったから。
今と同じように、ところどころに見えた綺麗な紅葉。もっとも、綺麗だと思えたのは誉くんと出会った時だ。それまではそんな余裕もなかった。
見上げた時、透けるような銀髪が紅葉の赤色と重なって、綺麗だと思った。
「……そっか。あれから一年経つんだ」
私がにじせか、『Rainbow World』をはじめたのは、大学に入って少し落ち着いた、五月の終わりのことだった。
大学で私にしては珍しく、すぐに仲良くなったゆりちゃんが、にじせかを教えてくれたのだ。アレが苦手で農業が出来ないのなら、まるで本物のようなゲームでやってみてはどうかって。
それまでゲームをあまりしたことがなくて躊躇したけれど、ゆりちゃんの強い勧めもあり、ゲームの公式サイトで見た紹介動画の景色の美しさに驚いたのもあり、迷った末にはじめてみることにした。
元々物欲がそんなにない方だった私は子供の頃からお小遣いやお年玉をわりと貯めていたので、VRMMOをする為の機械やゲームの値段はそれなりにしたけれど、届かない存在ではなかったから。
憧れだった農家の職を選び入り込んだ世界は夏だった。
後から聞いたのだけれどにじせかは一ヶ月周期で季節が巡るから、現実世界では五月でもにじせかでは夏だったのだ。四月はじまりで、春夏秋冬と順番に巡っていくそうだ。
チュートリアルでは旬の季節に関係なく、また栽培期間も関係なく、お試しで一度だけどのでも野菜を植えることとすぐに育ち収穫することが出来る。
私はトマトを選択した。
トマトは本来春に種植えをして育て、夏に収穫するのだけれど、種植えをしてすぐに育ち収穫が出来た。育つ過程も収穫も、チュートリアルだからスピードは早かったけれど、見た目も手触りも匂いもまるで本物のようで驚いたことを今でも覚えている。
ただそこから先、どうしていったらいいだろうと悩んだ。にじせかには基本的な道筋のあるストーリーのようなものはなく、自由度の高いゲームだった。
私ににじせかを教えてくれたゆりちゃんはちょうどこの頃アルバイトをはじめたばかりで忙しかったから、この後どうしたら良いものかなかなか聞けなかったのだ。
どうしようと考えているうちに景色がガラリと変わり、秋になっていた。
軽い気持ちだった。ちらほらと見える赤や黄の紅葉が気になったから、街へ出てみようと。
けれどいざ街へ出たら、どうしていいかわからなくなった。歩いて通り過ぎていく、たくさんの人たち。みんな目的があるのか足早で、道端の小石のような私は呆然と立ち尽くしていた。声を掛けてくる人もいたけれど、驚いてあわあわしているうちに表情を歪めて立ち去っていく。
やっぱり私、ゲームは向いていないのかもしれない。
そう思って、人気が少ない道まで避難して、座り込んだ。ふらふらと動揺しながら歩いているうち、自分が元いた畑の場所もわからなくなっていたから。
ログアウトをしたら、そのままやめようかな。ざわざわと遠くに人の話す声や歩く音を聞きながら考える。
「どうしたの?」
ふいに、頭上から降ってきた。中性的な声は柔和で、心配と優しさがその短い言葉の中に含まれているように感じた。
私に、声を掛けてくれているのだろうか。
「大丈夫?具合悪い?初心者の人とか、時々酔ったりするから」
じわりじわりと、優しさが沁みていくようだった。
「……大丈夫、です。そういうのでは、ないので」
人混みから弾かれた私は蹲ったまま、このまま放っておいてもらって構わないと思う。もうやめようと思ったのだし、人見知りの私は初対面の人とはゲームであろうとうまく話せる自信はない。まるで異物だと感じる。
この人も私がそう話せば、すぐにいなくなると思った。けれど前方の気配は立ち去る様子を見せない。
「君、初心者だよね?」
何故か声は柔和なまま、私を捉え続ける。こんな道端の小石なんて捨て置いて、好きに遊んだらいいのに。
「……はい、一応」
とはいえ聞かれたことに答えず、無視をするのも嫌だ。どう答えようか少し考え、短い言葉で肯定する。
「そっか。僕、このゲーム、すごく好きなんだよね」
「そうですか」
「そう。だから、ちょっとだけでいいから、上を見てみない?」
「……」
どうやらこの人は私と会話を続けるつもりで、立ち去る気もなさそうだ。素っ気ない私に嫌な雰囲気を微塵も出すことなく、終始穏やかな声で私に問い掛け、返事を待ってくれている。恐らく、良い人なのだろう。
のろのろと、顔を上げる。結構時間は掛かったと思う。無言だったし、行動も遅いし、よくあんなにも穏やかな態度で待っていてくれたものだと今でも思う。
目に映ったのは、大きなカエデの葉だった。
一面が真っ赤なほど。手のひらくらいの大きさはあるだろうか。思わず目を見開く。とても鮮やかで美しい赤だった。
「どう?さっきそこで拾ったんだ、大きくて綺麗でしょう」
柔和な声とともに大きなカエデは少しズラされ、銀色と笑顔が見える。
「……きれい」
思わず口に出していた。
キラキラとした銀髪にカエデの赤。後ろにも真っ赤に紅葉した木があって、それが透けるような銀髪によく映えている。
男性なのか女性なのかわからない色白で整った顔立ちは、声の通りの優しさを携えた笑顔を浮かべていて、周りが秋色に染まる中で細まった碧眼だけが、どこか夏の終わりを映しているようだった。
「だよね。にじせかって、綺麗なとこいっぱいあるよ。だから俯いていたら勿体ない」
ぐ、と言葉に詰まる。
確かに無意識のうちに綺麗と私は呟いたけれど、それはこの人が見せてくれた秋の景色そのものというより、この人を含んだ景色に向けて出てしまったものだったから。
「はじめまして、初心者さん。僕は誉。良かったら、君の名前を聞いてもいい?」
にっこりと、懐っこい笑顔。
それが私と誉くんの出会いだった。
ちなみに誉くんが何故私が初心者だとわかったかというと、私の着ていた服が初期装備だったからだ。特にゲームの経験があまりない初心者だと、服を買うとか着替えるとか、そういうことが遅れがちになるのだとか。そしてゲームの自由度が高いぶん、私のように立ち止まる人も時々いるそうだ。
それから誉くんは私のことが心配だったのか、色々と教えてくれた。
まず迷子で自分の畑に帰れなくなっていた私に地図の出し方、見方を教えてくれて、フレンド登録を教えてくれて、プライベートスペースで更に細かいことを教えてくれた。名前のこと、服や種などの買い物の仕方、NPCやプレイヤーのお店のこと、それから誉くんは農家職でもないのに畑づくりの進め方まで。
また明日、と誉くんが次に会う約束をするから、次もまたログインした。最初は約束を破るのは悪いしと思ってのログインだったけれど、段々やり方がわかってくると、畑を作ることが楽しくなっていった。
人見知りをして、どんな話をすればいいのかわからないと言うと、それなら無理に話さなくて良いと言ってくれた。生産職の人は畑や工房に引きこもって楽しんでいる人も大勢いるのだと。
そうして気が付いたら、誉くんとの約束がなくてもログインをするようになった。
そのうちに、ゆりちゃんもアルバイトに一通り慣れてログインをするようになり、その頃には私はもうにじせかをやめようとは思わなくなっていたのだ。
「……懐かしいなあ」
思い返せば、ずっと誉くんにはお世話になっている。アレが出てきて農作業が出来なくなって以降も、にじせかの楽しいところを私にいっぱい教えてくれる。
だからだろう。当初目的としたことが出来なくても、やめたいとは思っていない。
私の中の誉くんのイメージは、秋だ。それは出会ったのが秋で、景色も秋の色を纏っていたから。
けれど夏がまだどこかに残る、そんな現実には有り得ない秋だ。本来紅葉は秋が深まってからのものだから、その時に夏の名残など感じるはずはない。まさにゲームならでは、といったところだ。
誉くんと過ごす時間はいつも、夏の鮮やかな緑を宿した吹き抜けるような青色をしている。
「サイさん!」
ぼんやりしていると、名前を呼ばれる。すっかり慣れた、にじせかでの私の名前だ。
見ると、いつの間にか誉くんがやってきていた。
「外でぼんやりして、どうしたの?」
「ううん、何も。ぼんやりしていただけ」
「じゃあ僕も一緒にぼんやりしようかな」
誉くんは私の隣に来るなり、装備していた胸甲を外し、ラフな格好になる。どうやら本当に今日これから出掛けるのはやめるつもりらしい。
一緒にぼんやりするだなんて、そんな何もない時間なのに、誉くんは弾むような声で。そしてそんな声と同じような表情で、笑った。
それから本当に二人で特に何をするわけでもなく、小屋の前で地面に座り、ぼんやりと空を眺める。
「ね、サイさんは春夏秋冬だとどの季節が好き?」
「そうだね……夏、かな。夏の終わり頃」
少し考えて答えた私の言葉に、誉くんは碧眼を細める。
「僕も、夏が好き。あったかいから。寒いの、苦手なんだよね」
「近年の夏はあったかいどころじゃないけど」
「それでも寒いよりはずっと良いよ。寒いのは本当だめ。凍えるから」
「そうなんだ」
クスクスと笑う。どうやらこれは相当、寒さに弱いらしい。
「あと私、にじせかをはじめてから秋も好きになったよ」
「そうなんだ!紅葉、綺麗だしね」
「うん」
穏やかで平穏な時間だった。
色々なところに出掛けるのも良いけれど、こうしてゆっくりするのもとても良い。
ぽつりぽつりと取り留めのない話をして、ふと会話が途切れるとさわさわと穏やかな風の音を聞いて。心地良い沈黙に、積み上げてきた一年間のことを思う。
「ねえ、誉くん」
「うん?」
「もしあんまりリアルでの家が遠くなかったら、会ってみようか」
それは少し前に誉くんに軽いノリで提案されたことだった。その時は現実に会ってみてゲームの時と違ったら嫌だなとか、幻滅されたらどうしようとか、色々とごちゃごちゃ考えた。
けれど実際顔を合わせたことはないとはいえ、一年間、私たちは一緒に過ごしたのだ。沈黙が苦にならないほどには。
少しドキドキしながら誉くんの返答を待つ。
けれどなかなか返事が来ず、ちらりと横を見てみると、誉くんは目を見開いて真っ赤になって固まっていた。
「誉くん、大丈夫?」
あんまり誉くんが動揺しているから、私は何だかおかしくなって笑ってしまった。
「だ、だい、じょうぶ。え、でも、良いの?嫌がっていたのに」
「うん。誉くんなら」
私がそう伝えると、誉くんは益々赤くなった。大丈夫かな、強制ログアウトされたりしないのかな?でもこんなにしどろもどろな誉くんは珍しくて、ずっと胸がぽかぽかとあたたかい。
「そっか。……うれしい」
まだ赤い顔のままそう言って笑った誉くんは、普段の王子様然とした笑顔より子供っぽい。時々見せるこの自然な笑顔が好きだなと思う。
現実世界の方でも、誉くんと友達になれるだろうか。
(……うん。大丈夫な、気がする)
顔を上げると不思議と明るい気持ちになって、笑顔になる。
秋色の色彩の中でまだ動揺が続いて揺れている誉くんの瞳を、私はあたたかな気持ちで眺めていた。
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