【KAC20241+】通学路の危機

こむぎこ

通学路の危機

 私には三分以内にやらなければならないことがあった。


 天気予報を見ずに慌てて家から出たことを後悔することでも、間もなく始業のチャイムを鳴らすだろう学校に急ぐことでも、お気に入りの赤い傘がぼろぼろになっていくのを悲しむことでもなく。

 

 目の前の、雲から落ちてきた《ソラバッファロー》》の子に対処することだった。


 体長は30センチほどで、それほど大きくないから、子自体が脅威というわけではない。


 まだ空を駆けることもできず、雲から時々足を滑らせてしまうこともある。


 むしろ、脅威となるのは親だ。三分もすれば、子を探しに、親たちが地上に降りてくる。


 成体のソラバッファローにとって、地表の空気は苦しいらしく、すべてを破壊しながら子を探すモノになってしまう。


 天気予報を見れば、きっと「雨ときどきソラバッファロー」と言われていたに違いない。

 

 だったらもうちょっと丈夫で、壊れてもいい傘を持ってきたのに、なんて言っている暇もない。


 ソラバッファローの子は私の傘を気に入ったのか、小さな角でつんつんといじくっては高い鳴き声をあげている。


 対応室に緊急通報しようとすると、今度はスマホに興味が移ったのか、体を駆けのぼって邪魔ばかりしてくる。


「おとなしくしててよ」


 といっても通じるわけもなく。


 何をするにも人手も時間も足りない。


 助けを求めようとしたときに


「おーい、遅刻するぞー」


 という声と、調子の悪いブレーキの音が聞こえた。


 ソラバッファローの子もいやそうに低い唸り声をあげる。

 

 彼を見たら遅刻を覚悟しろ、と言われてる浅野が声をかけてきたのであった。


 普段なら死神にも見える彼だけれど、今なら神だとあがめられそうな気がした。

 

 私は、目の前のソラバッファローを指さして、


「対応室、電話!」と口早に叫ぶ。


 唸り声で察していたのか、浅野の行動は素早かった。




 浅野の緊急通報でほっとしたのもつかの間、浅野が告げた言葉は


「間に合わないから対処してくれって」


 という無慈悲なものだった。続けて、「ど、どうしよう」と不安そうな浅野の声も聞こえる。


 そんなこと、私が言いたい。


 けれど、腹を決めた。


 やらなければ、ぼろぼろになるのは傘やスマホじゃすまないのだから。


「スマホかして。あと、気球、とってきて」




 スマホから聞こえる声に従って、ソラバッファローをあやす。


 AEDのように各所に置かれている気球をとってくるまでのあいだ、この子が興味

 を示すものを特定して、おとなしく気球に乗っていてもらえる用意をしなくてはならないのだった。

 

 赤色で、気球に乗るサイズ、という指定を受けて、私のスマホ、それから制服のリボンなんかを取り出す。


 その言葉に間違いはなく、つんつんとその角でいじり始めた。


 夕日の赤にあこがれて住処が空へと進化していったなんて話がスマホから流れていたような気がしたけれど、意味はよく分からない。


 こうしているとちょっとだけかわいい気もするし、他所の人がこっそりペットとして連れて帰ろうとするのも少しだけわかる気がした。


 ただ、背筋の寒さは全くきえない。

 

 3分がタイムリミット、というのは確実ではないけれど、時間をかければかけるほど危険になるのは確かだ。


 そうこうしているうちに、浅野が慌てて戻ってくる。


 気球を受け取るや否や、カバーとリボンを置いて、乗ってくれるように誘導する。


 自分でもひきつっているとわかる笑顔で「こっちだよ」というけれど、子はきょとんとして、気球のにおいを嗅いでいる。


 それでも、赤への興味はあるのか、おそるおそる、歩を進めてくる。

 


 あと3歩。



 2歩。



 まだ。



 まだ。



 あと1歩。



 今!!



 ちょうど子バッファローが気球に乗り終わったときに、浅野がスイッチをポチ、と押し、気球は上昇を始める。


 10メートル程度の高度まで行けば恐怖から飛び降りることはなくなる、とカバーのないスマホから声が聞こえる。そこまでの間に、リボンやスマホカバーの興味が持てばいい。


 上を向きながらも、ふう、と息がこぼれていた。ちらりと時計を見れば時間は、遭遇から四分程度。 


 学校で習った程度の素人にしてはうまくできた方だと思う。


 ずぶぬれになって気球をとってきてくれた浅野と、達成感を分かち合おうと片手をあげる。




 が。

 

 ドン、と強い音がした。


「……来ちまった……」

 

 浅野の声を聞くまでもなく、親たちの到来がわかった。


 ビルに何かが衝突した音、道がひしゃげる音。窓ガラスが散乱していくような音。


 スマホから対応室の声が響く。


「もう子は上空ですか?」


 絞り出すように、はい、と答える。


「そう、ですか……」


 ああ、もう。どうしろって言うんだ。


「せめて、子が鳴いてくれれば、伝わる気づくかもしれませんが……」


 それを聞いて、浅野は自転車に飛び乗る。


 急加速した後に、ききの悪い急ブレーキをかける。


 きっとあの低い唸り声を期待したのだろうけれど、後ろでなっている親たちの破壊の音にかき消されてしまっていた。


 親たちは、わけもわからない破壊を続けている。


 でも、それを見て、アイデアとも呼べないアイデアが私の体を突き動かした。


 体は震えるけれど


 どうせ動かなければ、いずれ突進に巻き込まれてしまう。


 なら。

 

「もう!!」


 半ば自棄になって、私のお気に入りの……そしてあの子のお気に入りでもあった、赤い赤い傘を、気球めがけて投げつける。


 博打のようなその投擲は、気球のそばすれすれを通って。


 あの子特有の高い鳴き声が響く。


 破壊の音はぴたりとやみ、周りを見れば、親らはみな顔を上げていた。


「やった……の?」


 私の一言を皮切りにしたかのように、親らが動きを再開する。


 傘と、あの子のところへと向かって、各所から一直線に突進が行われる。


 それは、つまるところ、私の10メートル頭上程度になるということで。


 その風圧に、私は気を失った。










 その夜、地域のニュースでは、「雨ときどきソラバッファローところにより傘」と取り上げられていたそうだ。


 

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