第十六話「堕ちていく」

「しかし里香さんがあの花園里香だったとは…」


花園はなぞの里香りか。私は世代では無いのだが、その名は私でも聞いた事がある。数々のドラマや映画に出ており、その演技力の高さから"二十世紀最大の演技派"と呼ばれていた。


「里香さんじゃなくって、お義母かあさんでいいのよ〜縁くん」

「お、お母さんっ!?」


彼女、いや佳歩が顔を真っ赤にしながら言う。佳歩の様子からあの日の凍てつくような雰囲気は感じられ無いのだが、私はまたソレが発動するのを恐れている。


は、どうりで初めて家の前で会った時も、あの凄まじい冷淡さを演じれた訳ですね」

「んもぅつれないな〜。…そうねあの時は怖がらせてごめんね!」


演技か…。佳歩はどこからどこまでが演技なのだろうか?


出会った頃は演技だろうか?


財産目当てで近づいた位だ。でも佳歩は周りと同じように私と接した。だから私は佳歩を信頼したのだ。では演技では無いのか?


あの日の冷淡さは演技だろうか?


今日告白をして佳歩は大好きだと言ってくれた。約二年間は佳歩とは会っていないから、その間に恋愛感情が芽生えたとは考えにくい。ならば、高校生の時からずっと私の事が好きであるに違いない。


そして最悪のパターンが――

――――今日までずーっと演技だとしたら?


あの気さくさも、あの冷淡さも、あの謝罪も、あの笑顔も、全て演技だとしたら?


恐ろしい。そんなの太刀打ち出来ない。花園里香を越える逸材だ。


それと同時に可哀想だとも感じる。自分というものが無いからだ。空っぽの自分を隠すように、偽りの言葉、行動で取り繕う。


そんなのRPGの主人公みたいじゃないか。本人に意思は無いのに、プレイヤーの意向でどんな人格か決められてしまう。


傍から見たら辛く感じるが、自我が無いから辛くないのか?


「あ!そうだ今日泊まっていったら?」

「いえいえ悪いですよ!」

「まぁまぁ遠慮せずに、じゃあ縁くんは佳歩の部屋で寝る事にしよう。うん、そうしよう!」


そんなこんなで佳歩と一緒に寝る事になった。私はずっと遠慮をしていたが、里香さんが


「私の厚意を受け取れないの〜?」


と言って来たので、泊まらせてもらう事にした。佳歩と私は恋人同士ではあるが、一応娘の同い年の異性なのだ。今日一日で随分信頼されたものだ。勿論悪い気分では無いが。


――――それから佳歩の部屋でのんびり過ごしていると、夕食時になって、佳歩の父親が帰って来たが、


「お前に娘はやらん!!!」


みたいなテンプレートは一切無く、


「そうかおめでとう。佳歩をよろしくな」


とだけ告げられた。多少ドライだとは思ったが実際はそんなものだろう。


別に娘を大切にしてない訳ではないと思うが、可愛い子には旅をさせよとも言うし、恋愛の一つや二つやらしてあげるのも親心だろう。


夕食後、遂に就寝の時がやって来た。私はお風呂を済ませ佳歩の部屋をノックする。佳歩は先にお風呂を済ませているので、里香さんに手伝って貰って、もうベッドに入っている頃だろうか。


コンコンッ


「はい!どうぞー…」


佳歩から返答があったのでまだ起きているようだ。私は風呂に長居するタイプではないので、時間的に起きているのは当然とも言える。


佳歩の部屋を開けると女の子特有の甘くて爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。


部屋に入るとベッドが一つある。何故一つしか無いかって?それを里香さんに聞いたら、サムズアップだけされて何も答えてくれなかった。


まあ佳歩と一緒に寝れる事は本望なので問題は無いが。


「じゃあ寝よっか」

「うん!」


私は佳歩の居るベッドに入った。二人だと流石に狭く感じる。だから互いに身を寄せ合ってベッドから落ちないようにする。


それはつまり私と佳歩が互いの体温が伝わる位、ぴったりとくっついているという事だ。


幸せだ。


これがずっと続けばいいな。


――――――あの気さくさも、あの冷淡さも、あの謝罪も、あの笑顔も、全て演技だとしたら?


ッ!


今日の佳歩と里香さんとの会話の時考えていた事が脳裏に浮かぶ。


隣の佳歩に目をやる。すると佳歩は顔を真っ赤にして恥ずかしそうに目を逸らす。


こんな愛らしい女性ひとが演技なんてする訳が無い!


でも、信頼していた佳歩に私は騙された。財産目当てで私の心を弄んだ。それは揺るぐことのない事実だ。


「なぁ佳歩…」

「何?縁くん…」


名前を呼びあっているだけで、多幸感で心が満たされていく。


「…佳歩は、俺に近づいたのは財産目当てで、勉強を教えてもらいたい女生徒っていうのを"演じ"てたんだろ?…俺はその演技との境界線が正直まだ分からない。なぁ、演技って今もしてる?」


このまま黙って過ごしていても幸せだったかもしれない。でも私は好きな人の事は何でも知りたい。それがたとえ私を苦しめる事でも。


「私ね…人生が演技だったんだ」


そう言って佳歩はポツポツと語り出した。


「物心ついた時から私は自分の事を客観的に見れたの。私って今こう見られているな。だからこうしようって、他人に求められている"一ノ瀬佳歩像"を忠実に演じる事が出来た」

「でもそれって辛くない?」


他人の期待に答える事は精神的に負荷がかかる事なのに、佳歩はそれを常時やっている。そんなの精神を病んでしまうのも時間の問題だろう。


「私には自分というものが無いの。空っぽなの。例えるなら、恋愛シュミレーションゲームで主人公を操作しているときと同じ気持ち。ヒロインが望んでいることを叶えてあげるように、相手がして欲しそうなことをやる。それが私だった。」


佳歩はやはり空っぽだった。そして自分自身が空っぽだという事に気づかれないように取り繕う。やはり演技という才能では佳歩の右に出るものは居ない。


それは演技をする時に邪魔になる自我が無いからという、人間的に非常に哀れな理由である。


「でもそんな私に一つだけ野望があった。それは"揺るぐことのない安定"を手に入れる事。玉の輿を狙うって事。これは自我というより、果たさなければいけない使命としてずっと頭の中に存在していた」

「だから俺に近づいたと」


佳歩はこくんと頷いた。佳歩のメインクエストを果たすためのキーパーソンが私だという事か。それはあの日限りで終わってしまったけれど。


「じゃあ何であの時俺の告白を断ったんだ?佳歩からしたら願ったり叶ったりだったんじゃないのか?」


そして私は唯一理解できない点を佳歩に問う。玉の輿を狙っていたなら、私からの告白は鴨が葱を背負って来たようなものだ。


「それは、縁くんが私に自我を与えてくれたから。縁くんともっと一緒に居たい。縁くんと触れ合いたい。縁くんと結婚したい。縁くんと過ごす内に、今まで何にも無かった私の心から、そんな感情がどんどん湧き出てきた。」

「そんな大層な事した覚えはないけど…」

「でも私にとっては初めての感情だから。それは絶対縁くんと一緒に居ないと湧いてこなかった」


佳歩と運命の糸が繋がっていたのかもしれない。私がN極で佳歩がS極なのかもしれない。


私が元々嫌っていた"ご縁"というものが頭に浮かんでくる。


「あの日、縁くんから告白された時天に昇るような幸せな気持ちだった。でもこんな素直で優しい男の子が、玉の輿腹黒屑女と一緒になってはいけないと、私はあなたに嫌われるように演技した。それが私一ノ瀬佳歩の薄っぺらい半生」


佳歩は人生が演技だったが、私の存在によって自我が芽生えた。そして私と距離を取る為に演技をした。


佳歩にとって全てが私を中心に回っている。


私は女は裏表があると信じて疑わなかったが、佳歩の存在によってそれが覆された。そして佳歩に突き放され、また女性不信となった。


私にとって全てが佳歩を中心に回っている。


似た者同士でどこか欠落した私達。


一時は共鳴したかのように思われたが、恋心の出現によって反発し合い修復不可能な関係にまで発展した。


しかし、強い恋心によって二人はまた急激に引き寄せられた。そしてもうそれは決して離れる事の無い関係だ。


そうやって二人は恋によって誘われ、二人の関係は時間の経過と共に変化していき、それは決して戻る事は無い。


「これから、お前の人生は俺の人生だ。もう薄っぺらいなんて言うなよ」

「出た!凶暴縁くんだ!好きー〜!!」

「ふっ」


祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。


どんな関係も変わらない事なんて無い。


私達はこれからもずっと堕ち続けるだろう。


恋が誘う不可逆世界に。

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