第十二話「恋の素晴らしさ」

体が怠い。目の前はほんのり赤みがかった暗闇が広がっている。これは瞼だ。


私は寝てしまっていたのだろう。ファミリーレストランで沢渡と須藤と昼食を取っている時に私が気絶し、須藤の家まで運んでもらって、二人に考える時間をもらって――寝て起きて、今に至る。だんだん思い出してきた。


記憶が私の元に帰って来ると共に、羞恥心が押し寄せて来た。


情けない。カーテンを開け、窓ガラスに写った自分の顔を見ると、寝ている間に泣き腫らしたのだろうか、白目が赤く染まっており、頬には涙を流した痕跡が残っていた。


「一ノ瀬佳歩か…」


そう無意識に呟いた言葉は、やはりと言うべきか、かつて愛し、そして憎んだ彼女の名前であった。


いや、これには訂正がある。彼女の事をどうしようもなく愛し、憎んでいる。


会うべきだろうか。会ったところで、私は彼女に何かしてやれるだろうか。


彼女は私を騙し、気持ちを弄んで挙句の果てには、私に一生消える事のない深い傷を与えた。だが、それがここまでの報いを受ける理由に足るだろうか。


彼女と私の問題は、どこまでいっても客観的に見れば痴情のもつれだ。彼女は何も罪を犯した訳でも無い。


私は精神が崩壊した訳ではない。ちょっとばかし刺激的な失恋をして、恋愛が億劫になっただけだ。気の置けない友人も居るし、心暖かく私を何時でも迎え入れてくれる家族も居る。


しかし彼女はこれからの人生何をするにも制限が付く。スポーツはおろか日常生活も不自由を強いられる。


多様化が進む世の中でこんな事を言うのも気が引けるのだが、障害者のレッテルを貼られた彼女は、これから好奇の目にさらされる事も多くなるだろう。


彼女に行動制限が付くため、人との関わりも薄くなっていくだろう。はたまた、新たな人間関係を築く事になるのか。彼女周辺のコミュニティの変化は著しく起こるだろう。


「起きたのか…」

「大丈夫か?」


そう言って部屋に入って来たのは、沢渡と須藤だ。


「ああ、大丈夫…では無いけど、落ち着いたよ。ありがとう本当に二人とも…」


本当に私は友達には恵まれ続けて来た。無かったのは女運だけか、と自分の人生を振り返る。


「お前がそんななんなるのって初めてだなあ…もしかして失恋とか?」

「んな訳ないだろ、ニッシーに限って」


そう、そんな訳がない。彼女に会う前の自分や、彼女に裏切られた後の自分は、恋愛・女が嫌いだった。


彼女と出会った事で、人を愛する心が私に芽生え、彼女の事を忘れる為にその心を放棄した。


彼女を中心に私の人生は回っている。私が月なら彼女は地球であり、私が地球なら彼女は太陽ではある。だからこそ彼女と私が関係を持つ事は、月食や日食のように非常に稀な出来事なのだ。


またそれと同時に必然とも言える。彼女と私の出会いは、あみだくじのようにたとえ彼女から遠ざかったとしても近づいたとしても、既に決定している事なのだ。


「まあそうかもな」

「「え!!」」


彼女との出会いを無かった事になんて出来ない。未熟な私は彼女を忘れるという方法でしか、正気を保つ事が出来なかった。


でも今は違う。あの時は視野が狭くなっていて、他の事に目を向ける余裕が無かった。恋は盲目とはよく言ったものだ。非常に不甲斐ない。


「そうか…縁が失恋か」

「らしくない?」

「「うん」」


そうだ。本当にらしくない。今までの自分だったら、何でこんな面倒で生産性の無い事をこぞって皆がやるのか理解出来なかった。今でもそれは思っている。


面倒臭いし、生産性も無いし、不確定で曖昧で、短絡的で盲目。恋は良い所なんて一つも無い。


でも楽しかった。そして、辛かった。手放したくなかった。でも、拒絶した。彼女の存在を受け入れたく無かった。しかし、いつの間にかかけがえのない存在になっていた。


そんなジェットコースターのような刺激的な体験を無数にした。人生の浮き沈みをグラフにしたら、高校三年生の冬は波が細かすぎて、真っ黒になっているだろう。


思い返せば恋って素晴らしいな。


彼女の事故は恋によって起こったものではない。そこに因果関係はないのだ。未熟な私はそれに気づけず、向き合うべき問題を履き違えていた。


彼女、元気にしているかな?風の噂で地元の病院でリハビリ生活を送りながら、大学に通っているらしい。


なんだろう、今なら何だって出来る気がする。


「もっとらしくない事言っていい?」

「…もう驚かねぇぞ」

「その人に今すぐ会いたい。それはもう明日にでも」

「「!!!!」」


そこから一晩中沢渡と須藤に根掘り葉掘り聞かれた。彼女との馴れ初めを話していた時は、目を輝かせながら、


「くぅ〜甘いッ!」

「ニッシーやっぱりお前一ノ瀬さんと…隠してやがったな!この薄情者ー!」


などと、騒いでいた。そして私の人生最大の転換期、私の告白が失敗した日、もとい彼女が事故に遭った日の事を話すと、


「クソアマがァ…」

「事故に遭ったのは可哀想とはいえ、許せん!」


と、私の為に怒ってくれた。やっぱり二人は良い友達だ。そう考えていると須藤が「あっ…でもまだ好きなんだもんな。悪く言ってすまん」と謝ってくれた。


全く何処まで私の頬を緩ませてくれるのか。


須藤が申し訳そうにする中、沢渡は「俺は許さないけどなッ」と私の代わりに怒ってくれている。勿論それも堪らなく嬉しい。


そうやって二人との友情を確かめながら気づいたら眠りに落ちていた。

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