第六話「葛藤そして―――」
一人カフェに残された男、白鳥縁。机には千円札と小銭が何枚か置かれている。
彼女はきっちりとした性格だなあ。
そう思うと同時に、それが偽りではないかと疑ってしまう。
「…なになに痴話喧嘩ー?…」
「…全く他所でやってよね…」
「…あーあ雰囲気悪くしちゃって…」
なにやら有象無象が音を発しているが、今は彼女―一ノ瀬佳歩の事以外は、考える事が出来ない。
どれが彼女の本当の人格なのだろうか?
あれは表裏がある人の範疇を超えている。
まるでイタコのように、彼女の体に別の魂が入っているような、底知れぬ狂気を感じた。
それは玉ねぎのように何層にもなっており、剥いても剥いても、いつまでも別の顔を覗かせてくる。
そんな彼女の途方の無さに、呆然とする他無かった。
そしてふつふつと湧いてきたのは、
女への不信感。
かつて私が彼女と出会う前に抱いていたもの。
しかしそれは、昔とは類を見ない程強いものだ。
彼女のおかげで覆された偏見は、彼女のせいで再発し、より強固なものへと変貌した。
この歳になると、世界中の全ての女性が裏表があるなんて事は考えない。
今そのヘイトは、一ノ瀬佳歩一人に向いている。
―――だから私は、どうしようもなく彼女が憎い。
初めから私の財産目当てで近づき、表では愛想を振りまきながら、裏ではそれに簡単に籠絡される私を見て『滑稽』『愚直』だと嘲笑していたのだろうか?
いや、そうに決まっている。
とんでもない悪女だ。彼女は大悪党になれる程、人を欺く力を持っている。
むしろ縁が切れて清々する。
―――そんな感情とは裏腹に私は彼女を、どうしようもなく愛してもいるのだ。
それが仮面を被った彼女だと知っていても、過ごして来た時間は、私の中に芽生えた気持ちは、本物であると断言出来る。
彼女が豹変せず、"私がどうしようもなく好きになった一ノ瀬佳歩"で居続けていたら、彼女の為に死ねる程愛を膨張させていただろう。
…そして今も尚愛は膨張し続けている。
彼女の裏の顔を知った後でも、彼女の愛する心はどうしても消えてくれない。
私は一ノ瀬佳歩を憎む程愛しており、
愛する程憎んでいる。
そんな事を考えながら、フラフラとした足取りで、帰路についた。
――――――――――――――――――――
――――――――翌朝、TVのニュースを付けると、
【昨日○区×町でトラックと衝突、17歳女子高生重体か】
というのものが目に入った。
×町って言ったら、昨日のカフェがあった所か。しかしそんな事故があったとは。
昨日はボーとしたまま家に帰っていたため、パトカーや救急車の音なんて、全く聞こえなかった。
さて、休日には色々あって、未だ気持ちの整理がついていないが、今日から学校だ。もう受験も近いしこっからが正念場だ。
――――――――――――――――――――
―――――――
「…えぇ一ノ瀬さんがね、…」
「えぇー…本当に?…」
「…気の毒だわ…」
なにやらクラスの皆がヒソヒソ騒いでいる。
「おはよう須藤」
「おはようニッシー」
「どうしたんだ皆ヒソヒソと?」
私は須藤にこの騒ぎの原因について問う。
「それがな、一ノ瀬さんが事故に遭ったんだって」
――ドクンッ
心臓が跳ねる音がした。
彼女が事故…?
昨日まではピンピンしていたから、私と別れた後に事故に巻き込まれた可能性が高い。
いや、それ以外有り得ない。では今朝のニュースはもしかして…。
最近ずっと嫌な予感がしている。
「…一ノ瀬さんは無事なのか?」
――――――そして、私を嘲笑うかのようにその予感は当たる。
「女子の話によると何とか一命は取り止めたらしいけど、かなり危なかったらしい。…何でもトラックとぶつかったとか」
心臓の鼓動が急激に早まる。
「そうなんだ…あ、ちょっとトイレ行ってくるわ」
「おう」
教室の扉をガラッと開け、トイレに向かって走る。
廊下にこだまする足音よりも、心臓は早いペースで鼓動し続ける。
――トイレの個室に駆け込み、床にへなへなと座り込み、洋式便所の便座に倒れ込む。
「一ノ瀬さん…ごめん…俺のせいでっ!」
私が連れ出したからだ。
告白をする等自分の都合で、連れ出してとんでもない怪我を負わせてしまった。
もしかしたら、もう二度と会えなかったかもしれない。
―――「さよなら」
それが私と彼女の、最後の会話だったかもしれない。
今も尚悪化し、明日にはいなくなってしまうかもしれない。
謝る事が出来なくなってしまうかもしれない。
―――いやでもちょって待て、私は彼女に利用されかけていたのではないか?
経済力だけで私に近づいてきた、ただの玉の輿ではないか?
同情する余地があるのか?
謝罪する価値があるのか?
むしろ私に謝罪をして欲しい。
体は手術で治るが、心に効く薬はないのだぞ!
そうやって考え込んでいると、吐き気を催してきた。
――――――――――――――――――――
――――――――それから数ヶ月後。以前とは異なり凍えるような寒さが訪れ、道端の木々もすっかり枯れ落ち、白い結晶がまばらに舞う冬。
私は受験勉強とあくせくとしていた。
一ノ瀬佳歩の事を考えながら。
―――――私と彼女にとっての、運命の分かれ道とも言えるあの日、彼女は事故直後に手術を行い、なんとか一命は取り留めた。
が、しかし後遺症として下半身不随となった。
これに対する私の感情は、後悔なのか、懺悔なのか。
はたまた、爽快感なのか、優越感なのか。
心の中で入り乱れる感情を精査していく。どれも正しいようで、何もかも間違っているようにも感じる。
そこで私の中で何かが吹っ切れた。
何故私はここまで他人の人生で一喜一憂しているのか。
その原因は恋ではないか?
恋という不確かで曖昧で短絡的なものに支配されてしまったが故、一ノ瀬佳歩に出会ってしまったが故、私の人生に雑念が生まれた。
そうだ。一ノ瀬佳歩に出会いさえしなければ良かったのだ―――――
あの事故の後そのように考えるようになった。
だから私は志望校を変えてまで、彼女から距離を置く事にした。
地元から離れよう。郊外の大学に通おう。
一ノ瀬佳歩の残り香が追ってこない所まで逃げるのだ。
志望理由を聞かれたら、都内の私立大学のキラキラした学校生活が自分には合わないとでも言っておこう。
私が社交的な人間では無いのは真実であるから、別に嘘は言っていない。
―――もし私が金持ちでなかったら、幾らか気楽な人生を送れたのだろうか。
否、私の人生の唯一の障害は、間違いなく恋だ。
恋が私の天敵。恋は恐ろしい。
私は無宗教だが祈らせて欲しい。
どうか神様、私に恋を、一ノ瀬佳歩を忘れさせて下さい――――――
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