第五話「奈落」
帰宅後。私は甚だしい後悔と自責の念に駆られていた。
何故あの時言い出せなかったのだろう。
あの手に余る程の余裕と自信は、幻だったのだろうか。
いや、むしろ言い出さなくて良かったのかもしれない。
たった何回か一緒に勉強しただけで、惚れて告白してくる男など、迷惑極まりないだろう。
ならばこのまま彼女から離れた方が良いのか?
―――否、私と私の魂がそれを許さない。
私と彼女は元々、全二ピースのジグゾーパズルだったのだ。
それぞれを補完し合う事が出来る、運命共同体なのだ。
私の薬指から飛び出た赤い糸は、彼女の薬指に結ばれているのは間違いない。
その糸は、遠く離れているときは引き合って、互いの存在を確かめるようにピンと張っているが、
近くで接しているときは、手の触れられる場所に貴方がいるという安心感で、ダラっと緩んでいる。
―――所詮これらは全て私の願望だ。そうであったら良いなと思うし、そうである事を疑っていない。
そう思い込まなければ、胸の内から流れ出る愛は行き場を失って、誰彼構わず傷つけてしまうような憎しみへと変貌してしまう。
無論私と彼女の崇高な愛を、そんな醜いものにするつもりは毛頭無いが。
…行動するなら今しかない。
私はすぐに彼女に連絡した。
『明日の10時に×町のカフェに来て欲しい。話したい事がある』と。
彼女から『了解っ!!』と返事と共に、猫が敬礼しているスタンプが送られてきた。
明日、彼女に告白する。これは決定事項だ。
今日私は勇気を自分のものに出来ず、自分の本心を吐露する事から逃げ、大敗を喫した。
私は必ずや勝利をこの手に掴む。
さあ今から私の戦争が始まります。
――――――――――――――――――――
―――――そして迎えた翌日。カフェはそこそこの賑わいを見せ、従業員はせっせと働いている。
彼女と対面のテーブル席に座り、私は彼女に告白をするという緊張で、メニューを考える余裕がなかったので、彼女と全く同じ注文をした。
現在二人分のアイスティー、パンケーキ、パフェが机に並べられている。
さて戦闘開始です。
「な…何かな?話って」
「単刀直入に申し上げます」
「は、はい!」
私の目が真剣だと気づいたのか、背筋をピンと伸ばし、口を固く噤んで、眉をキリリとさせ、彼女また真剣な眼で私を見つめる。
彼女の目を見ていると、段々吸い込まれていく心地がし、それが気持ちよくて、ついつい目が蕩けそうになる。
彼女に映る私の目を見て、そのような痴態に陥らないように、今一度目に力を入れる。
「一ノ瀬佳歩さん、貴方の事が好きです。私と付き合ってください」
「!」
目をパチクリとさせて、驚いたような表情を見せる。
突然の事で動揺しているようだ。
頬もほんのり赤く、耳に至っては、今にも全身に伝染しそうな勢いで赤く染まっていく。
今まで見た事のない表情だった。
いつもだったら軽口を叩いて、明るく余裕そうに振舞っているのに、
今の彼女からは、余裕は感じられず、ただ目の前で起こった事に対して、純粋に驚いているようだった。
また彼女の違う一面を見れて嬉しい。どんどん彼女への想いを募らせていた。
「そ、そう、…」
―――――刹那、彼女は苦虫を噛み潰したような表情をした。
私はそれを見逃さなかったが、取り立てて指摘するような事はしなかった。
しかし、何か妙だ。何故こんなにも動揺して、表情を変えているのだ。
いや、彼女は普段から表情をコロコロと変えており、それが可愛い所であり、
告白なんてイレギュラーな場面なら尚更動揺するのも当然と言えるが、
先程までの様子は、"心の形が顔を媒体にして現れている"ようだった。
彼女をこのままこの状態にしておくのは不味いと思い、一度外に出て落ち着かせる事にした。
「1回、そ、外に出る?少し場所変えてさっ!」
「そうね」
彼女はそう酷く冷淡に答えた。
「えっ…」
「どうしたの?早くお店を出ましょ。貴方がお会計は払うわよね?」
「えっ…えっ…」
私は彼女の豹変ぶりに戸惑う事しか出来なかった。
「はぁ…だから"お会計"払うの?払わないの?」
「えっ…」
どうして彼女はさっきから、執拗に会計の事を気にしているのだろう?
確かに今までの勉強会は、昼食を家で取ってから図書館で勉強していたので、お金が関わる事は無かった。
しかしそのような些細な事は、私と彼女の仲ならば気にする事でもないと思い、私は彼女をカフェに連れ出したのだ。
「私の事が好きなのに、私のために財布の紐を緩くする事すら出来ないの?」
「そ、それはどういう…?」
これが彼女の裏の顔なのだろうか…?
いやいや、彼女に限ってそんな事はない。
だって彼女は、私がかつて女性に抱いていた固定観念から、解放してくれた恩人なのだぞ。
――――――「人は裏切る」――――――
ある日の父の言葉が脳裏によぎった。
思えば…何故彼女は私に近づいたのだろう?
学力の向上が目的だと言っていたが、私よりも頭の良い同級生はたくさんいる。
なら何故私なのだろう?
私にしかないものは何なのだろう?思考を巡らせていると、
嫌な予感がした。
――――――そしてこの予感は的中する。
「この際だからはっきり言っておくけど、私は貴方の事が好きでは無い。私が好きなのは金持ちである貴方の将来性。でもいいわ。貴方との"芝居"ももう疲れたもの」
今私に一番言って欲しくない事を、彼女は淡々と述べ、彼女が頼んだ分の代金を机に置き、
「さよなら」
と無機質に告げ、そそくさとカフェを後にした。
――――――そうやって足早にカフェから退出する女の目には、涙が光っていたが、
無気力にどこか一点を見つめる男が、それに気づく事は無かった。
――――――――――――――――――――
――――――――――後日、女は男と別れた後交通事故に遭い、下半身不随になったという事実を耳にした男は、
恋を嫌い、憎しみ、恐れるようになった。
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