第11話 食わせ者達よ

硬い斬撃音と重量のある何かが落ちる音が響いたあと、数秒の沈黙が流れる。

誰も、何も発しなかった。

ヘルトは目を開けることが出来なかった。目を開けて、受け止めなければいけない現実が恐ろしかった。

最弱のゴミ虫勇者。

こんな人間、何者にもなれはしない。信じて、着いてきてくれた女の子を見捨ててしまった、何も出来なかった。

絶望の淵に叩き落とされそうになった瞬間、


「女の子相手に随分手荒いじゃんか、アーロン?」


軽薄そうな甘い声とともに、煙草のような苦い芳香と爽やかな林檎の甘酸っぱい香りが漂う。


「……オニキス」


苦々しい神父の声色に、薄く目を開ける。少しづつ開ける視界に、ステンドグラスのから透ける光の色彩が痛い。

教会の入り口、光を背に立つ一人の大きな背丈の男。

男は、長い足を折り曲げ、地面に落ちた布を拾い上げる。どうやら元々それは袋だったようだが、裁断機にでもかけられたように糸屑のほつれすらなくスッパリと切られている。彼の足元には色鮮やかな林檎が薄い黄みがかった断面を見せ幾つも転がっていた。両断された林檎の蜜が教会の床に、透明なシミを広げていた。


「あーぁ、せっかく美味しい林檎選んできたのにさァ…最近果物割高なの知らねーの神父さん」


「どうしてお前がここにいる」


オニキスと呼ばれた大男は、シュティルの時以上に敵意を剥き出しで言う神父を受け流すように肩を竦め、逆光で見えずらいながらに笑ったように見えた。

ポケットに手を突っ込んだまま出入り口で片膝をつくシュティルの横を通り、ズカズカと教会に入り、烈火のごとき怒りを体現している神父と向き合った。


「どうしてって、差し入れだよ?かぁいい子どもたちにね?そしたら、お優しい神父様が綺麗な女の子相手に無体働いてるもんだからさァ…やむにやまれず、大事なお土産投げちゃった」


オニキスは林檎を右手で拾いながら、左手の指をくるりくるりと回した。


ーあれは…糸?ー

オニキスが振った指先の動きを追うように薄い緑がかった細い糸がシュルシュルと切断された袋と、オニキスの手元にある持ち手を縫い合わせていく。

繋ぎ目が見えないほど上質に袋の補修を仕上げたそれは、ご丁寧に持ち手に可愛らしいリボンを装飾して空気に溶けるように消えた。


「天才の所業だわ。布も突っ張ってねーし…自分の才能がこえー…」


惚れ惚れしたように言うオニキスに、アーロンは吐き捨てるように返した。


「なにが止むに止まれず投げた、だ…ご丁寧に強化保護魔法を重ねがけしていたくせに…この件はお前に関係ない。さっさと帰って二度とここに立ち入るな」


「そーは行かないでしょ?どうやら我らがエストレアの勇者様を芋虫さんにしてるしさ。何事かって感じだぜ」


「口を挟むな、というのが分からない、っうお!?」


予期せぬ邪魔者に意識を集中していた神父…アーロンの横を転がりそうな勢いで再度立ち上がったヘルトがシュティルへと一直線に走り寄り、自分の背で庇うように覆いかぶさった。座り込んだシュティルの膝の上に脚を開いて対面で座り込むような、なんとも情けない姿だった。


「ヘルト、いけない、離れてください」

「ッいやだ!!絶対離れない!!絶対絶対離れないんだからな!!」

「危ないですから、離れて、私は平気です」

「平気なわけないだろ!!」


駄々っ子のように叫び、そのままの勢いで神父へと振り返り怒鳴りつける。


「ろくに話も聞かずにシュティルを斬りたいなら、お望み通り斬ればいい!!でも俺は死んだって退かないからな!!」

「ヘルト、お前…」


神父は眉間に皺を寄せたまま、シュティルに齧り付くように背を丸めて体全体でしがみつくヘルトと、自由の効かない身体でヘルトを自分から剥がそうとするシュティルを静かに眺める。

泣きぼくろの浮かぶ目元は表面上は冷ややかなままだった。

けれど神父の手は1度、葛藤するようにキツく剣の柄を握り、緩やかに弛緩した。オニキスの真っ黒な瞳がそれを目で追い、口角を上げた。


「……………」

「…だってよ、神父様?どーするよ」


「……ヘルトを斬るわけには、いかないだろ」


ほんの数瞬の思考の末に神父が右手で軽く空をきると、ヘルトの拘束と長剣は空気に滲むように蕩けて消えていく。


「わ、き、消えた…」

ヘルトはようやく取り戻した身体の自由を堪能するように、右肩をくるりと回す。それでも警戒はとかないように神父を睨みつける。


「ひとまず今は何もしないよ。弟分をむやみに斬り捨てることはしたくない…正直に話せばその間は手荒な事もしない」

「素直じゃね〜なぁ!仲良しさんだからお話聞いたげようと思った〜って素直に言えばいいのに」


「うるさいぞ……想像よりも長引いてしまいそうだな…ここで話して、子どもたちが来るのも困る…たしか、集会所が開いているからそこへ場所を移そう。歩けるように少し術は緩めるが…逃げても無駄だから、余計なことはしないように。…さぁ、立って着いてきなさい」


神父はそう言い、背を向けて歩き出す。シュティルは神父の言葉を聞き、自分に覆いかぶさったままのヘルトを見上げる。


「……ヘルト、離れてください。これでは立てない」

「………わ、分かった…でも、俺から絶対離れないようにするんだよ…!ま、守れ、るように頑張るから…!!」

「…はい」

少しだけ眦を緩めたシュティルに、ほのかにヘルトの頬が赤く染る。それを横で見ていたオニキスはニヤニヤと厭らしく口角を上げた。


「あまずっぺえ〜!!オニーサン、トキメキで唾液腺ぶっ壊れそーだワ。ねーねー、これオニーサンも着いてっていいやつかなァ?馴れ初めとか聞けちゃうんでしょ?若人の青春話とか潤っちゃう〜!是が非でもついてこ〜!!!」


「あっ、そ、そういえば…あの、ありがとう、ございました…貴方に間に入ってもらわなかったら、どうなってたことか…」


シュティルの手を取り、ヘルトは立ち上がりながら言う。シュティルはその隣でお辞儀をした。元々多弁な印象は無いが、教会に来てからの彼女は妙に無口だ。


「あ〜、良いの良いの!人助けが趣味みたいなもんだから〜」


ーーーー胡散臭い。ヘルトは端的にそう思った。口を閉じたまま口角をキュッと上げ、歯を見せないように友好を示して笑う仕草が。

鼻の頭に皺ができ、幼く見せても隙を見せないその様子が。

片目を隠す重たい前髪から覗く、どこか冷めたオニキス色の瞳が。

何から何まで、全てがどこかわざとらしい。


奇抜な柄の入った黒地の緩いシャツの上に丈の長いグレーのコートを羽織り、黒塗りのゴーグルを首に掛け、ピッチリとした黒いボトムをはいているが、よく見るとボトムの裾は微かに赤黒く汚れていた。

それは新しくついたばかりの物のようで、コートの内に着ている服の長袖にもそれに近い汚れが確認できた。そのくせ、つるりとした黒い靴は汚れひとつなく光沢を放っている。靴を磨く男が、福の汚れに気づかないなんてこと有り得るのか?


よく細まる目を揶揄して、彼を動物で例えるなら〝狐〟だろう。


普段のヘルトは人の容姿をどうこう観察する趣味は無いが、気を張っているからか、常では気付くことの無かっただろう情報をいくつも拾い上げることが出来ていた。

だからこそ、目の前の男が自分ヘルト自分を観察しているということに気づいた事に気づいてしまった。


「……行かないの?今度こそ、神父様ブチ切れちゃうんじゃない?」

こて、とわざとらしく首を傾げて問いかけるオニキス。

ヘルトは、別に飛び抜けて頭が良い訳では無い。けれど、異国の本や話を読むのは好きだった。

だから、こんな言葉を知っている。

薮をつついて蛇を出す。

これ以上の観察はヤブヘビだ。

オニキスという男は、狐じゃなくて蛇だったかもしれない。そう思い直した。









「…随分時間がかかったね。もう少しで探しに行くところだったよ」


集会所の奥の机に腰掛けている神父はニコリと微笑みながら言ったが、数分前の様子を思い出すと白々しさを感じる。


「…で、何でお前も着いてきているんだ?呼んでいないよ」

しれっと着いてきたオニキスに平べったい目を向け、しっしっ、と手を振る神父にオニキスはのらりくらりと笑って躱す。


「そう硬いこと言うなって!それに、いざって時の人手があっても困るこた無いだろ?な?」

「……はぁ…言っておくけれど、さっきみたいな真似をしたら容赦なく潰す。回復魔法は自力でかけろ」

「こわいこわい。そうならない事を祈るよ」


神父…アーロンは最後に一度、オニキスをキツく睨めつけた後、勇者と少女に視線を移した。


「…それで?どんな説明をしてくれるのかな」


顔を笑みの形にしたまま、威圧するという器用な事をするアーロンに気圧されたように怯むヘルト。それを見たシュティルは、小さく口を開いた。


「…私は、ヘルトに害を為す気はありません」

「はい、そうですか、で終わらせられるものでは無いんだよ。それを信用できるだけの裏付けが欲しい、と言ってるんだ」

コツ、とアーロンの細い指がテーブルを軽く叩く。


「魔族の心臓をその身に持っている君が、勇者の傍らにいて安心できる証が無ければ…私…というか、傍から見たら魔王側からの何かしらの罠としか思えなくてね。ヴァルムークの森にいた傷一つない記憶喪失の可愛らしい少女で、魔力の材質もあべこべ、しかもヘルトも骨抜きになっている。極めつけには心臓にワケあり、なんてもう怪しい以外の何も無いだろ」


「ぐ、ぐうの音も出ない…いや!待って骨抜きって言うかなんて言うか!そういう言い方やめてくれないかな!?そういうんじゃないから!怪しく無いし、身元は俺がちゃんと保証できる!」


「坊ちゃ〜ん…論点そこじゃね〜から…まぁ、正直オレも記憶喪失ってのは疑わしいと思ってるけどね!お嬢ちゃんは言う〝権利〟が無いんでしょ?じゃあ、他に権利がある奴がいるわけじゃん」


「……こいつがいつから教会に潜んで話を聞いていたかは疑問だけれど、そういう事だよ。前提条件が色々杜撰だ。さっきヘルトはろくに話も聞かず、と言ったが…まず聞かせるのならば誠意を見せなさい」


ぐ、と押し黙ったヘルトを見て、口を開こうとしたシュティルだったが、突然勢いよく顔を自身の背後に向けた。


「シュティル、どうしたの…?」

ヘルトは、シュティルの顔を見上げ、様子を伺う。アーロンとオニキスも、怪訝そうに彼女を見上げた。

そして、虹彩の中に散る魔力と、ピント調整をし、収縮する彼女の機械の瞳を見て息を飲む。

「……ヘルト、彼女まさか」


驚愕の表情のまま、ヘルトを見るアーロンの言葉を遮るようにシュティルは一点を見つめたまま「来ます」と。


「一体なにが」

オニキスが思わず、と言ったように問うた瞬間、目眩にも似た感覚が全員を襲った。

違う、地面が揺れたのだ。

高い所から重いものを落としたような、そんな衝撃。

「ッ結界が、破られた……!?」



神父、アーロン。

彼がこの土地の教会の神父となり、根を張って14年。街にかけ続けていた結界がやぶられたのは初めてのことだった。

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