第8話 思い出の味
かちゃ、かちゃ、と陶器がこすれ合うような音でヘルトの意識はゆっくりと浮上する。
漂う甘い匂いが鼻腔をくすぐる。小麦と卵、砂糖が焦げるような香ばしい匂いだ。
シュ、シュ、とケトルが蒸気を上げる音、暖かい空気。遠い昔、子どもの頃母さんが父さんについて旅に出る前、朝食の用意をしてくれていた事を思い出す。
母の作る具だくさんで少し柔らかすぎたり硬すぎたりするオムレツと、ふわふわで甘いバターミルクパンケーキ。
オムレツの具はホクホクのジャガイモとひき肉と玉ねぎ、苦いのが苦手だった俺の為に細かくしたピーマンをトマトソースで炒めたそれは甘じょっぱくて、美味しくて。
バターミルクパンケーキは厚めで、あったかくて。上にはバターミルクを作った時に出来たバターをたっぷり乗せて、上にハチミツをかけてくれていた。
母が実家の祖母から教わったというその二つは毎朝の定番だった。
俺はその時はまだ小さかったから、欲張ってたくさん食べようとしたけど食べきれなくて、最後には母さんが食器を洗っている隙にこっそり残りを父さんのお皿に移していた。
残して母さんの悲しむ顔は見たくなかったし、普段神獣以外に興味のなさそうな父が俺に向ける仕方のないな、ってため息と優しい眼差しが嬉しくて。
見てくれるのが、嬉しくて。
両親が旅に出てからは、自分で作ろうとしても上手くできなくて。母の残したレシピの書置きを読んでも上手にならなくて。
オムレツはぐちゃぐちゃ、パンケーキは中は生焼けの癖に外は黒焦げで。
何度練習しても上手くならなくて、朝食なんていつの間にか作らなくなった。
食べてもバザーで買ったパンだとか、ミールを牛乳で溶いた物だとか。
一人で食べても美味しくなかったからなんでも良かった。
寮に入った今でもそれは変わらない。
少しずつ意識が覚醒し、目を擦りながら身を起こす。
欠伸をしながらリビングに向かう。リビングとキッチンが一緒になった構造の家では、リビングに来ると自然とキッチンの様子が良く見えた。
そこには、銀色の髪をくるりと結い上げたシュティルが軍帽と上着、手袋を外してフライパンを睨むように向き合っていた。
「シュティル…?」
「あ、ヘルト、おはようございます。もう少し待っていて…あと、1枚…もう少しで焼き上がります…」
戦闘していた時よりも真剣な表情で見つめるそれは何かと見れば良い焼き色のパンケーキだった。
「それは、パンケーキ…?」
「はい。人は朝ごはんを食べるんでしょう。何か作ろうと思って、蔵庫を見たのですが、乾物以外何もなくて」
「あ、ああ…昨日まで寮生活だったから…」
「でも、小麦粉と膨らし粉を見つけたから水と一緒に捏ねてパンでも焼いて、鳥でも狩ろうかと外に出たのですが」
「狩る!?」
「はい。けれど、外に出たら大荷物を抱えたおばあさんが目の前で転んだから荷物とおばあさんを背負って家までつれていきました。そうしたら農家のおばあさんだったらしく、新鮮なミルクと卵を分けてくれました。その帰りにバザーの近くでゴロツキに絡まれているお嬢さんがいたから声をかけて追い払ったらお礼にとお肉を貰いました。それから、朝訪ねてきた男性から芋と青ニガウリ…えーと、ピーマン、をもらったので、炒めてオムレツに入れました」
「え、ええー…?あ、朝からすごいな…?いろいろあったんだね…」
「そうですね。でも、良い物が作れそうで良かった…お腹が空いたでしょう。顔を洗って来たらどうでしょう?これを返したら、完成なので…集中…集中…」
フライパンから一切目を逸らさずに言う彼女と母が重なった。
こみ上げてきた言葉を、なんとなしにそのまま吐き出す。
「シュティル、なんだか…母さんみたいだ」
浮かんだ笑みをそのままに言うと、それを聞いたシュティルは目を真ん丸に見開き、ギョッとしたようにヘルトの顔を凝視する。
「うん゛…?…あ」
視線をフライパンからそらしてしまったせいで、手元が狂ったようで狐色の綺麗なパンケーキはフライパンの上で半分に折れてしまった。
「…………ヘルト…」
「ご、ごめん…」
無表情かつ多くを語らないシュティルだったが、その目は明らか過ぎる不満を訴えていた。
「集中している時に予想外な言葉をかけるのは、良くない、と考えます。とても、良くない」
「はい…ごめんなさい」
「精密な機械でも、気が散ると上手く機能はしない、と私は考えます」
「わ、悪かったよって」
「…む…」
「…?」
シュティルは少し言いよどんだ後、
「……私は、ヘルトのパンケーキの、三枚目…一番きれいなものをあげようと想定していました。焼き目が、…一番きれいについたので」
そう言われ、テーブルを見る。テーブルにはカトラリーとマグカップ、オムレツとパンケーキの乗った皿が二皿あった。一皿には歪だがふっくらとしたオムレツと、少し色は濃い所は有るが綺麗に真ん丸なパンケーキが二枚。ヘルトが昨日使ったマグカップが添えてあった。もう片方は崩れかけたオムレツと、形の悪いパンケーキが二枚。
「…十分綺麗だよ、シュティル。凄く嬉しい!それに、俺の三枚目じゃなくて、二人の三枚目にしよう。これなら半分こもしやすいよ」
そんな言葉に、シュティルは困ったように小さく、…ほんのすこしだけ口角を上げたように見えた。
******
ふっくらとしたオムレツに切り込みを入れ、フォークで口に運ぶ。
トマトソースのひき肉と、ホクホクのジャガイモ。玉ねぎの甘みが口の中に広がった。
「おいしい…母さんのオムレツにそっくりだ」
「それなら、良かった。私のデータベースに残っていたレシピを参考にしたのですが、口にあったなら」
「パンケーキも、すごくおいしいよ。初めて作ったんだよね?すごいな、アンドロイドって…なんでも出来るんだね」
「そうですね」
「………」
シュティルは一瞬視線をヘルトに向けて頷いた後、食器へ視線を戻してしまう。
沈黙に耐えきれず、ヘルトはさらに言葉を重ねた。
「えーっと…オムレツのこの芋は、御裾分けに来てくれた人がいたんだよね。後でお礼に行こう、どんな人だった?」
「黒い
「カソック…っていうと、神父様かな。丘の上にある教会で司祭をされてる人なんだ。凄く穏やかでいい人だよ」
「そうですか。関係が良好なのですか?」
「良好、というか…小さい頃からよく気にかけてくれていたんだよ。神父さまは孤児院も見てらっしゃるからお忙しい方なんだけど、学園に入る前は訪ねてきてくれてね、一緒に食事をしたり座学を見て貰ったりしていたんだ。優しいお兄さんみたいな感じかな」
「なるほど…」
「食べ終わったら会いに行ってみる?」
「ヘルトが望むように」
どこか無機質な声色に小首を傾げながら、アンドロイドはそんな物かとオムレツの最後の一口を口に含み思考を放棄した。
オムレツの最後の一カケラは微かに苦く、焦げの香りがした。
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