第7話 二人暮らしの始まり

門を抜けて進んでいくと、レンガ造りの家が多く見られた。パンやスープの良い香りがあたりから漂っている。地面はしっかりと整地されており、手入れをされている印象だ。

「これがヘルトの暮らしている町ですか?」

「そう、一応エストレア国の王都だよ。といっても、まぁ、隅の方だけど」

そう言って肩をすくめて歩き出す。その隣へ並ぶようにシュティルは足を進めた。

もう夕食の時間帯という事もあり、殆ど人の姿は見られなかった。


「そういえば、足は疲れてない?」

ヘルトは自分たちが森を抜けてから門まで走り通しだった事を思い出し、声をかけた。

「私は魔力切れか、急激に魔力消費しない限り回路が疲弊する事はほとんど無いですから」

「そういうものなの…?」

「ロイド種はそういうものです」

話しながら整地された道を歩いていると、ヘルトが一軒の小ぶりな家の前で足を止める。


「シュティル、ついた。ここだよ」

少しくすんだ青色の屋根と雪の結晶が閉じ込められたような窓が印象的な家だった。

「ここが、ヘルトの家ですか?」

「そ、今鍵を開けるから待ってくれ…よし、開いた。さ、入って」

「はい」

開けられた扉の中へと入り、物珍しそうに部屋の中を見回す。


室内は白と差し色に青が使われている室内は、良く片付いており生活感が薄い清潔な環境だった。逆に言えば物が少なく、食器棚の中にカップや皿もそれほどない。家と言うよりも一時的な仮住まいという方が納得できる程度にはシンプルな内装だった。


「整理整頓されていますね。ヘルトはここから学園に通っているのですか?」

「や、学園では寮生活。今は長期休みだから帰ってるだけだよ。学園に通う前はずっとここに住んでたけど…」

「ここがヘルトの育った場所…それにしては物が少ない、ですよね」

「俺の持ち物はそれほど多くないし、今は大体寮に置いてあるんだ。相部屋の人は前年度で辞めたしまったから、一人部屋だしそのまま寮に置いて来てる」


「そう…ご両親は?いろいろ家具が使用された形跡が薄いようですが」

「ああ。今は父さんも母さんも一緒に暮らしてないんだ…あ、そこに座っててくれ、今お茶淹れるから」


そう言いながら、キッチンに向かう。蛇口を捻って水を出し、ケトルに入れてコンロに魔力を注ぐ。

吹き抜けになっているキッチンから、リビングにいるシュティルに向けて話を続ける。

「俺の両親は幻獣とか神獣とか魔獣とか…とにかく変わった生物が大好きで、ずっと世界中飛び回ってるんだよ。それがあの人達の仕事でもあるんだけどね」

コンロに火が着いたのを確認し、シュティルに顔を向ける。シュティルは椅子に座り、驚いた様な表情で目を瞬かせる。


「そう、なのですか?私に記録されている資料だと、成人前の人間の多くは家族と一緒に暮らすものだと書いてあったのに…時代の移り変わりによる情報の変化?いや、記載ミスの可能性もある…書き直さないと」

「いやいや、一般的にはその資料?の通りであってるよ…多分。俺は子どもの頃からそういう生活してたから、あまり違和感がなかったけど…普通の家庭は子どもと親は一緒に過ごすものなんだと思う」

苦笑しつつ、テーブル越しにシュティルと向き合うように座った。


「子ども…そうか…生き物には幼い時期というのがあるんですね」

「え?あ、あぁ…シュティルはアンドロイドだもんな。それにしては普通のアンドロイドより意思?って言うのかな…思考が豊かだよね。自己紹介の時とかも、表情が豊かだったし」

「そうですか。比較する物が無いから自分では良く分かりませんが…戦闘時に回す分の思考を働かせて無いからかもしれませんね。あとは、私の中のデータベースにある人間の行動を模範にしています。自己紹介、交渉の時は笑顔を欠かさないこと、友好的な意思表示には笑顔のモーションが効果的であること。それが書かれています」

「アンドロイドって、そういう物なのか?」

「おそらく?」

自分の事なのに不思議そうに首を傾げるシュティルの姿に、思わず笑いがこみ上げた。


「俺たち、お互いに分からない事ばかりだな」

「これから知っていけば良いと思います。私は私自身とヘルトを、ヘルトはヘルト自身と私を。相棒とは、そういう物なんでしょう?」

「それも記録か?」

「これは、私の直感です。おそらく間違ってはいないでしょう。多分」

「そっか…そうだね、俺も、そう思う。…多分。」


そういうと、二人は目を見合わせて薄く微笑み合う。シュティルも、ほんのわずかではあるが口角を上げた。データベースに沿った友好的なモーションであることを知っても、どこか心が安らぐような気がした。

そんな和やかな空気を遮るように、ケトルが甲高い音と白い蒸気を立てて湯が沸いたことを知らせる。


「あ、お湯が沸いたな。お茶、入れて来るよ」

「ありがとう。…何か手伝う事はありますか?」

「や、大丈夫だ。座っててくれ」

言いながら席を立ち、キッチンに向かう。火を止め、茶葉を入れたティーポットに熱く湯気の出たお湯を注いでいく。そこで、ふと気が付いた。


そういえば、女の子を家に上げたなんて何年振りだろう。

女の子、とはいえアンドロイドではあるのだが。

だいたい、今まで家に来た女の子なんて、グウィス国に住む幼馴染くらいじゃないか?まぁ、今でこそその少女にすら大層嫌われてしまって会う事も殆どなくなってしまったのだけど…。

そんなことを考えながら、ちらりとシュティルに視線を投げると、彼女もこちらを見つめていたようでバッチリ視線が合ってしまった。

慌てて視線を逸らすが、一度意識してしまうとシュティルが自分の家にいると言う事に緊張してしまう。

頬に熱が集まり、それを振り払うように頭を振る。

何を考えてるんだ。いくら可愛いと言ったって、アンドロイド、マノイド種は機械だ。

…そういえば、シュティルは自分のことをロイド種だ、という。今と昔とじゃ、アンドロイドやマノイド種の呼び方が違ったのかな。


すると、そんなことを思いながらぼうっとしていたヘルトの、ケトルを傾けていた手に、ひんやりとした柔らかな感触の何かが重ねられた。弾かれたように顔を上げると、眼前に吸い込まれそうな青色の瞳がこちらを近距離で見つめている。その眼球の中には、まるで雪が降るように白い魔力が渦巻いているのが見えた。

その瞳が、長い睫毛に隠されるように瞬きし、再度真っ直ぐ見つめられた瞬間、我に返る。


「はっ!?え、な、なに!?どうした!?」

「どうしたって…お湯が、零れそうだったから…」

「えっ?」

シュティルの視線を追っていくと、ポットに並々と入ったお湯が、水面張力ギリギリのところで保っているのが見えた。


「なんだか途中から様子がおかしかったから注意して見ていたのですが…もしかして、具合が悪い?データベースに人間は予定外の事が起きると身体に異常をきたすって情報がありました」

澄んだ目でこちらを見つめてくるシュティルに、慌てて首を振る。

「いやいや、べ、別にそういう訳じゃ…」

「……それとも、私の事が怖くなった?」

「…はっ!?」

思わずシュティルの顔を見つめると、シュティルはヘルトの手を離し、身を引いた。

「無理しなくて良いのです。その感情は、きっと当たり前の事ですから」

そういうシュティルの顔は表情一つなく、毛穴一つ見られない陶器のように滑らかな肌をしていて、本当に品の良い人形のようだった。


「外皮が人間のように見えても、やっぱり私は貴方達とは違う。私は兵器、争いごとの象徴のようなものです」

「違うッ!!」

何て事無い表情で言うシュティルの腕をつかむ。

腕がぶつかったのかポットが倒れ、ヘルトの腕に勢いよくかかったが、気にならなかった。

自分でも良く分からないが、とにかく衝動的に声を上げる。

このアンドロイドが腹の底で何を考えているのか分からなかった。何も考えていないし、恐れられたってどうという事は無いのかもしれない。

けれど、自分を優しいと、守りたいと言ってくれた彼女を否定するようなことはしたくなかった。


「まだ会ったばかりだけど…俺は君を怖い物だなんて思った事は無い!」

「へ、ヘルト…」

「む、むしろ俺にとって君は…その、なんというか、」

腕を掴んだまま、吹雪のような瞳を見返しながら言葉を続ける。

しかし、視線が絡んだのはほんの数瞬で、その後シュティルの視線は掴まれた腕に向けられている。

作り物の瞳孔が収縮しているのが見えた。気もそぞろなその様子に、再度言葉を紡ぐ。

「シュティル、俺は真剣に、」

「わ、分かった、分かりましたから…ねぇ、ヘルト、腕…」

「腕…?あ、ああ!ごめん、思わず掴んで…」

「ちがう、今お湯が…!」

「え?あッちぃ!!?」


シュティルの言葉でやっと自身の腕にアツアツの熱湯がかかった事に気が付いた。ホカホカと温かな湯気が上がる右腕は、袖から微かに覗く部分だけでも真っ赤になっていた。

「ヘルト、手を貸してください」

仕方ない、とでも言いだしそうな声音で一言つぶやいて、シュティルはヘルトの腕に手を添えた。


冷たい冷気が、熱い服越しに伝わってくる。

「ご、ごめん…」


最後まで締まりのない自分が恥ずかしくなり、シュティルの顔を見ることが出来ない。

「謝らないでください。…ヘルト、少し質問が」


白い指先が、濡れた制服を撫でるのを眺めながらヘルトは返事をかえす。


「ん、なんだ?」

「なんだか、胸がざわつくと言うか…心が浮き足だつと言うか…いえ、私に心は無いのですが…貴方が、私を怖くないと言ってくれた時、何だか、凄く落ち着かなかった。人間は感情が豊かでしょう。この感情を、人はなんと表現するのでしょう?」


そう言いながら、伏せていた目を上げ、ヘルトを見つめた。視線がかち合い、ヘルトは思わず唾を飲み込む。何故だかカラカラになった喉から声を絞り出す。


「そ、れは…」

「それは?」

催促するように声を重ねるシュティルから逃れるように、そっぽを向く。


「じ、自分で、考えた方が、良いと、思い、マス…」

噛み噛みになりながら必死に言った。その言葉に、シュティルは目を丸くする。


「自分で、考える…」

「や、ほら!俺が思った事とシュティルが思った事が違う可能性とかあるわけだし!やっぱりそういうのは自分で考えた方がいいと思って!」

「………」

目を丸くしたままヘルトを見つめるシュティル。その視線を受け止めながら、なんとなく居心地の悪さを感じる。


「その…これから長い付き合いになるわけだし…、シュティルには、シュティルの感じた感情とか気持ちが何なのかを自分で考えて気付いくれたらいいなって。ええと、俺が君に感情の名前を教えることは凄く簡単だとは思うんだけど…でも、きっとシュティルが今抱いてる感情に、俺が名前を付けるのは良くないと思うんだ。君の感情は、君だけの物だから。その、…つまり…ええと…」


しどろもどろになったヘルトの様子を見て、シュティルはうつむいて肩を揺らした。


「え゛ッ!?シュ、シュティル!?ご、ごごごめん!!泣かないでくれ!!いや、泣くのか!?アンドロイドって泣くの!?」


うつむいたシュティルのつむじを見ながら、慌てた様に両手を振る。どうしよう、と眉毛を下げた瞬間、軽い衝撃と共に視界が揺れ、視点が天井に移る。そして、やや冷たいけれど温かいような温度をもった柔らかく重みのある物体が体に密着して乗り上げているのを感じた。


「え、え、なッ、?」


乗り上げている物体…シュティルはヘルトの胸元に額を当てるようにしてはくすくすと体を揺らしながら笑っていた。間近にあるその銀色のくせ毛からは冬の匂いがする。雪のように冷たく、ほのかに甘い花のような香りだ。


「そう、そうする。私の感情は、私だけのもの。誰にも決めさせない事にする」


「ありがとう、ヘルト」


シュティルはそういうと、ヘルトの頬に冷たいキスを贈った。


「な、な、なっ、」

ヘルトの頬に熱が上って行く。血液が頬に集中し、ざわざわと血が流れる音がした。

血管に血が集まり過ぎたのか頬がピリピリした。

「何をしてるんだッ!?き、キスなんて気軽にしちゃダメだろっ!?」

蒸気でも上がりそうな頬のまま言うと、シュティルは不思議そうに小首を傾げた。


「人は感謝の気持ちを表す時に、キスを贈ると聞いたので」

「間違ってはいない…!間違ってはいないけど…!!この子に情報入力した奴は何考えてるんだ…!!」

「??」


頭痛がする頭といまだ熱い頬、じりじりと軽い火傷でうずく腕を抱え、ヘルトは彼女の設計者に悪態をついた。


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