8-7.「There is always lights」⑦
言い切ってから、これは俺にとっても大きな分岐点だと思った。
もし、この子が今、本当に剣を捨てて俺を選ぼうとしたら。
俺はそれでも、この子を勇者に戻してあげられるだろうか。その必要があると、思えるだろうか。
ディアナの腕を掴むのとは反対側の腕を広げて、俺は自分の胸を示す。
その場所と、俺の顔の辺りで視線を迷わせながら、ディアナはやはり泣きそうな顔をしている。
「わ、私が、そうしても、イチノスケは幻滅しないのか……?」
「しない」
むしろ、こんなにも困らせてしまっている彼女を抱きとめたい衝動に駆られて、もうそれ以上のことは言えない。
そのまま少し睨み合って、まずいかもしれないと思ったとき。
ディアナは一粒涙をこぼした。
「できない」
思わず息が漏れたが、ディアナは「でも違うんだ」と俯く。
「これはそんな正義感なんかじゃない。捨てることを考えたとき、みんなの顔が浮かぶんだ」
「……みんなは、君を責めるの?」
「責めない。……みんな、それでいいって、言うと、私は思っている。夢でもずっとそうだった。けど私は、あのみんなの、マリーやカラムが最後にしていた、悲しそうな顔が、耐えられない……!」
左手で、地べたの砂を握りしめる。
「じゃあ言い直そう。君は世界への罪悪感じゃなくて、きっといつか、仲間のみんなへの罪悪感に、耐えられなくなる。――だから俺は、俺はここに来たんだよ」
「……イチノスケは、そんな私を信じてくれたのか」
「うん。ちゃんとディアナは、弱くて、優しかったね」
「……イチノスケと、同じように?」
あ、伝わった。
その喜びが身体中を駆け巡ると同時に、やっぱり臆病が邪魔をする。
本当にこの子と俺が、同じなのか。
だから、頷きながら言う。
「俺たちは弱いんだよ。まずはそれを認めないといけなかった」
ずっと自覚しているつもりだった。
でも本当は「わかってるから大丈夫だ」と言い聞かせているだけだった。
「でも、俺たちはちょっと優しいんだ。少なくとも、それを無視し切れないくらいには」
言いながらも馬鹿みたいだと思う。
だって本当に優しい奴は自分のことを優しいなんて言わないし、だから、言えるはずがなかった。
「どっちも、こんなことにならないと気づけなかった。誰か越しじゃないと、たぶんわからないんだよ」
「私たちは弱いから?」
「そう。俺たちは弱いから」
目が合って、俺とディアナはふっと微笑む。
「でもそれだけじゃない。俺たちは弱いくせに優しくて、欲望がある。優しさも、実はこの欲望が根っこにあるんだと思う」
……ここですんなりと言い出せないのは、まだ不安になるからだ。
本当に俺にできるのか。わからない。
しかし目の前のディアナは、これまで流暢に話していた俺がふと黙り込んでしまっても、まっすぐに見ることをやめなかった。
ああ、そうだった。
わからない、わからないけど俺は、そうしたい。
「俺は、俺の欲は、認められたいんだ。君にちゃんと認められたい。だから、俺は君をちゃんと元気に――君が魔神を倒せるように、もう自分を責めないで済むように、君を支えたいと、思って、ます」
別の感情もたくさんある。
けれどこれが、俺が俺として叶えたい、一番の願いだった。
……言えた。言ってしまった。
ディアナは、どう思うだろうか。
砂と、砂だらけの寝巻きとコート。そこから顔を上げる勇気が出なかった。
とても長く感じた沈黙は、たぶん五秒もなかった。
「私も考えたんだ」
その間にディアナがどんな顔をしていたのかはわからない。
今度はディアナが海の方を向いていて、朝日に照らされている横顔は相変わらず綺麗だったけど、相変わらず怯えたようでもあった。
「私は、すぐ人に委ねてしまう。思えば昔からそうだった。自分ではやるべきことをやっているつもりだったけど、実は誰かに従っていた。勇者として戦ったのも剣に選ばれたからだ。旅では、ずっと仲間を頼っていて、みんなが、頼る先が、いなくなったから、耐えられなくて逃げ出してしまった。……そしてまた、貴方に寄りかかろうとしてしまった」
告白は、少しずつ早く激しくなっていった。横顔にも苦しさが増していった。
けれどこれは、彼女がずっと言いたかったことなんだろうなと思った。
覚えがあった。
「たぶん私は、ただ安心していたかったんだ。本当は、安心して何もせず、ずっと眠っていたかった。穏やかに、何もせずに過ごしたい。それが、私の欲望だ」
ふっとこちらを向いたディアナは、困ったような顔で笑う。
「とんだ怠け者だ。たくさん考えて、イチノスケのおかげで正直になれたのに、すごく馬鹿馬鹿しいところを晒してしまった」
その笑顔は、自嘲しているのにどこか晴れやかに見えた。
「ただの怠け者だったらよかったんだけどね。君は、安心もしないといけない」
「ああ、そうだな。……私はこのままでは、本当に安心することはできない」
「――だったら、結局、できるだけ向き合って生きるしかないんだよ」
どれだけ逃げようとしたって、俺たちは逃げきれない。
たとえ望むのに相応しくない弱さを抱えていたとしても、自分の根っこで望んでしまうのだから、どうしようもない。
……こんな言い方をすると、とても恐ろしく聞こえてしまうかもしれない。
「でも、俺は、自分を追い詰めてまで向き合う必要はないと思う。できるだけでいいんだよ。だって、俺たちは弱いんだからさ。それをちゃんと受け入れて、逃げたいときは逃げて、でも向き合うことは忘れない。……難しいことだけど、やっぱりそうしないと、結局俺たちは本当に納得して、幸せになれないと思うから」
そう言い換えてはみたけれど、結局恐ろしいことに変わりはないのかもしれない。
苦しいことに向き合い続けなければいけない。
やり遂げなければ、自分は一生自分を認められないかもしれない。
もしくは今は絶対に認めたくないことでも、いつかは認められてしまうのかもしれない。
見ないふりをして一生を終えることだってできる。
そもそも見つけられないまま一生を終えることだって、いくらでもあるんだろう。
けれど、そのときの自分は、彼女は、果たして幸せなのだろうか。
わからない。
だから今は、ただ正しいと思える方へ向き合い続けるしかない。
「ディアナ」
ようやく彼女の腕から手を離して、俺は足の痛みを堪えながら、砂の上で正座をする。
何かを感じ取ったディアナも、おずおずと正座なような形で俺の正面に座る。
「……昨日、君に、酷いことを言って本当にごめん」
「あっ、あ、謝らないでくれ。全部、本当のことだった。私こそ、困らせることを言って、本当にすまなかった」
お互いに頭を下げて、しばらくしてから顔を上げて、低いところで目が合って思わず笑ってしまう。
それから座り直して、もう一度、君のおかげで認められたことを丁寧に声に出す。
「俺も、君も、弱いんだよ」
君のおかげ、君のせいで、俺は認められた。
君も、そうだった。
だから、やっぱりとても恐ろしいことではあるけれど。
「でも、一緒に頑張ろう」
揺れている緑の瞳へ繋げるように。まっすぐ見つめて。
「――俺が君を支えるから、君には世界を救ってほしい」
俺はそんなことを、恥ずかしげもなく大真面目に言った。
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