6-2.「扉を開けましょう」②



 彼の故郷に突然魔神が現れ、その町ごと彼を消したという情報が早馬で伝えられた。


 唯一生き延びた住人の話だというが、世界中の誰も、ディアナも、その話をすぐに信じようとは思えなかった。

 信じたくなかった。


 けれど3日後、同じ内容でオスカーの訃報が届いた。

 彼が魔神に討たれたとされるのは、ニカの故郷が消されたその翌日だった。


 すぐに最悪の可能性に思い至ったディアナは、マリーを連れてレオンとエルヴィーラの元へと向かった。

 一度訪れた場所へテレポートする魔法と飛行の魔法、加速の魔法を駆使して、ディアナは馬なら半月かかる距離を二日で――勇者と魔神以外には成し得ない速度で、夫婦となった仲間の元へとたどり着いた。


 二人は身体中に多くの傷をつけられ、殺されていた。

 街は、エルヴィーラの故郷は、ほとんど形を留めないくらいに燃やし尽くされていて、見せつけるように、二人の亡骸は焼け跡の中心に転がされていた。


 コフィとアフィも、その故郷の村も同じだった。


 そして強烈な悪い予感がして、ディアナは自身の故郷にテレポートした。


 そこでは炭と黒い土だけになった故郷と、心底楽しそうな笑顔を浮かべたあの少年のような魔神が待ち受けていた。


 ディアナはすぐに斬りかかった。

 今度こそ絶対に、もう二度と現れないよう確実に殺してやろうと、持てる限りの最大の攻撃を。

 けれどマリーだけは守るために、持てる限りの最大の防御も。


 以前戦ったときよりも、魔神は格段に弱かった。

 しかしそれは何日もあり得ない速度で移動し続け、泣き叫び続けたディアナも同じだった。


 一瞬の不覚をとって、ディアナはまた一度殺された。


 しかし生き返れば体力は万全に戻る。

 蘇生は周囲のあらゆる物質を利用して、体がもう一度生きられる状態に再構築される。

 再構築が起こっている体はどんな破壊も受け付けない。


 ……けれどそれには、約三秒の時間が取られる。


 左肩から心臓を斬られて、しまったと思って、次に気がついたときには、マリーが魔神に腹を貫かれていた。


 すぐに魔神を吹き飛ばし、ありったけの守護魔法で自分達を囲った。

 同じだけの守護魔法をマリーにもかけていたはずなのに、三秒にはあと少し足りなかった。けれどまだ息はあった。

 破られるたびに守護魔法を増やしながら、ディアナは最大出力で治癒魔法を使った。


 でも、聖剣は治癒魔法を使えなかった。


 再生符では、出力はたかが知れている。

 どんどんと血が流れてしまう。マリーが冷たくなっていく。

 どうしてなんでもできるくせに、治癒だけできないのか。

 コフィとアフィは治癒の魔法は他の魔法とかなり勝手が違うからだと、ニカはそんな魔法が勇者には必要ないからだと言っていた。


 もし、みんながいてくれたら。


 コフィとアフィの治癒が、ニカの頭の良さが、それ以前にレオンの盾があったら、エルヴィーラの支援があったら、オスカーの遊撃があったら。

 絶対にマリーを失うことは、なかったのに。


 マリーはディアナの腕の中で「私たちはいつまでも、あなたの味方です」と言った。

 それが最期の言葉だった。


 勇者はもう一度、その場で魔神を討ち倒した。

 けれどディアナは守れなかった。

 自分の大切なものを、なにも。


 それからさらに魔神は二度復活した。


 魔神は現れると、必ず強大な魔物を街に一匹落とすようになった。

 ディアナがそれと対峙している間に、魔神自身はどこかへ消えてしまう。そしてしばらく経つと、またどこかの街に現れて魔物を落とす。


 世界中と協力して、ディアナには瞬時に情報が入ってくるようになっていた。

 魔神が現れると、どれだけ離れていても声が届く魔法や、ディアナが自ら張った巨大な探知の魔法によって知らされる。情報が届くと、ディアナはテレポートと飛行ですぐさま駆けつける。


 そうして魔神を追いかけ、街を守って魔物と戦うことを、ディアナは延々と続けていた。


 魔神の出現は不定期だった。

 二十日連続したときも、一ヶ月空いたときもあった。

 魔神が現れない日は、どこにでも少しでも早く駆けつけられるよう、世界中を巡ってテレポートの対象にできるようにした。


 それでも、誰も死なせずに済むことはほとんどなかった。

 落とされる魔物は勇者でなければ倒せないレベルのものだったし、出現から到着が三秒で済んだとしても、それは人間が死ぬには十分すぎる時間だった。


 けれど、魔神を二度討てたのは、街全体が協力してくれたときと、レオンの弟が共闘してくれたときだった。


 一度目は、街全体が事前に『魔神が来たら、魔物は自分達で対処して、勇者様には魔神と戦ってもらう』と決めていたらしかった。

 その覚悟を汲み、なんとか魔神を討つことはできたが、戻ると街は魔物に滅ぼされていた。

 三ヶ月後に、また魔神は現れた。


 二度目はレオンの故郷でのことだった。

 到着してすぐに、レオンの弟であるカラムが、魔物は自分が請け負うと言ってきた。

 ディアナは断ったが、結果的に彼と共闘することとなり、魔物は瞬時に倒すことができた。

 おかげでディアナは逃げる魔神に追いつき、対峙することができた。

 しかしまた蘇生の隙をついて、魔神は戦いから逃れた。

 逃げた先はレオンの故郷で、追いついたときには街は半壊し、必死に抵抗していたカラムが盾ごと貫かれるところだった。


 また、魔神を討つことはできた。


 けれど、カラムを看取ったそのとき、ディアナの中で何かが折れてしまった。


 それが魔神の思惑通りなことはディアナにもわかっていた。

 殺せない彼女を殺すために、魔神は彼女の心を狙った。


 死なない彼女の心を殺すために、彼女の代わりに、みんなが、たくさんの人々が殺された。


 どうせまた近いうちに魔神は復活する。また戦いの日々が始まる。

 存在するのかもわからない、本当に魔神を殺す方法が見つかるまで、戦って、死んで甦って、誰かの死を見届けることを繰り返して。


 ……どうせ、本当に守りたいものは何も守れないのに。


 残っていないのに。


 そんなこと、もう嫌だと思ってしまった。


 世界を救わなければいけない、自分が戦わないといけないことはわかっていても、その使命感はもう、身体を動かしてくれなかった。


「……世界を救うこと自体を理由にできるほど、私は強くも優しくもなかった。


 そもそも私は、勇者なんて器じゃなかった。

 剣はどうして私なんかを選んだんだ。

 もっともっと強くて賢くて、優しい、勇気のある人なんて、いくらでもいるじゃないか。

 剣は判断を間違えたんだ。

 私じゃなかったら、剣がもっと正しい人を選んでいたら。


 ――みんなは、失われていなかったかもしれないのに」


 どれだけ剣に訴えようと、

 動き出せない自分を心底嫌いになろうと、

 ……殺したくなろうと、


 また数ヶ月後、ディアナが戦わなければ世界が滅ぶことは変わらない。

 世界がディアナに期待する現実は、もう変わらない。


 ……でも、本当に変わらないのだろうか。


 何日も何日も、彷徨って、膝を抱えて、魔神復活の知らせに怯えながら、ディアナは考え続けていた。


 あるとき不意に思い至ったのは、変わらないのは『魔神がまた復活した場合』の話だということだった。


 つまり魔神は、本当にまた復活するのかという問いかけだった。


 もしかしたら、あれで最後だったんじゃないのか。


 魔神が復活する原理はわからないけど、きっとディアナと違って制限はあるはずだった。

 実際魔神は、復活するたびに弱くなっているような気がしていた。

 復活にも少しずつ時間がかかるようになっているはずだった。

 それに今回は、これまで以上に徹底的に核も肉体も破壊した。

 ……あと、もし復活したとしても。

 弱っているなら。

 カラムのような達人もまだ残っているだろうし。対魔神用の攻撃魔法は今も世界中で研究されているはずで。


 だったら。

 だったら、もう、いいんじゃないのか。


「……だったら、私はもう逃げてしまってもいいんじゃないのかと、考えた」

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