6-1.「扉を開けましょう」①


 突然のことだった。


 いや、思い返してみれば予兆はたくさんあった。


 例の格闘ゲームが上達してきたことも、最近笑顔が増えてきたことも、「家事を手伝ってもいいか」と言ってくれたことも、肩を揉みたいと言い出してきたことも。


 昨日夕飯を作ってくれたことも、どう考えたってそうだった。


 きっと突然に思えてしまったのは、最近この子とゆっくり話せていなかったのと、そもそも仕事以外のことを考える時間がほとんど取れていなかったからだった。


「――イチノスケ、どうか、私の話を聞いてほしい。私の、これまでの話だ」


 ディアナがそう言い出したのは、日曜の遅い朝食後のことだった。

 この頃は繁忙期に入っていて、昨日も一昨日もその前も、また日付が変わる頃に帰ってくるような生活がしばらく続いていた。


 実は今日も先週の日曜と同じように、もう一度夕方まで寝ていようかと思っていた。

 けれどディアナもずっと話し出すタイミングを伺っていたんだろうなと思うと、断るわけにはいかなかった。

 俺が「いいよ」と頷くと、ディアナはほっとした表情を浮かべてからまた頬を引き締めて「かなり長くなってしまうが、大丈夫か?」と聞いてきた。

「大丈夫だよ」と言うと、少し頬を緩めて「ありがとう。……では――」と始めた。


 語られたのは異世界の話で、ディアナが勇者になって、逃げ出すに至るまでの話だ。


 中身はまるで悪趣味な作家が書いたひたすら主人公に残酷なだけの物語のようだった。

 その作られたような残酷を感じるたびに、この話の主人公は目の前にいるこの子で、これは物語なんかじゃなくて全てこの子の過去なんだと考えて、寒くなって、息が苦しくなって、どこへ向けたら良いのかわからない怒りが湧いてきて、ずっと胸に何かが詰まり続けた。


 彼女の話は、概ねこんな内容だった。


  ◯


 ディアナのいた世界は、魔物と魔法がありふれた世界だった。

 魔物は暗い場所や汚れた場所に突然現れ、他の生き物を食べていくらでも大きくなる、理性の無い謎の存在だった。

 魔法は魔物が使う超常的な力を分析して利用できるようにしたもので、主に魔物と戦うために、また副次的に生活を便利にするために、研究され、活用されているものだった。


 日常に魔物との戦いがあって、街を守るための傭兵や、強大になってしまった魔物を討伐したり魔物の発生源を突き止めたりする冒険者なんかが、一つの職業となっているような世界だった。


 そんな世界で、突然誰も太刀打ちできないような魔物が現れた。


 これまで多くの強大な魔物を打ち倒してきた大剣士も、大魔導師も、王国騎士団も冒険者ギルドも、その魔物の討伐に向かって帰ってこなかった。

 数少ない生還した者達が、その魔物が少年の姿をしており、知性があり、自らを『魔神』と名乗っていたことを世界へ広めた。


 魔神は人間を、国を、手当たり次第に滅ぼしていった。

 やがて誰もが魔神が侵攻してくるより早く逃げ出すようになって、ついには一つの大陸が魔神のものとなってしまった。


 同じ頃、とある小さな国の片隅に遺跡が見つかった。

 遺跡は魔神の出現とほぼ同時に起こった小さな地震によって山肌が崩落したことで見つかった。

 そしてその内部からは、一振りの古びた剣と、一枚の意味不明な石板だけが見つかった。

 石板が解読されると、剣が魔神――ごく稀に発生する理性を持った強大な魔物――を退治するため、太古に作られたものだということがわかった。

 ……同時に、それは選ばれた者にしか扱えず、鞘から抜くこともできないということも。


 話は瞬く間に世界中へ広められ、各地から高名な剣士たちが集められた。

 けれど誰にも抜くことはできず、ついには王城の前の広場で、誰もが試すことができるようになった。


 国中、世界中から人々が集まった。

 自分こそが世界を救う、自信はないがもしかすると自分かもしれない、とにかく使い手さえ見つかれば。

 挑戦した人々の心持ちはそれぞれだったが、誰しも同じだったのは「魔神を倒さなければ」という焦りと願いだった。

 小国の手薄な警備の中、誰もが触れられる状況に置かれていた剣だったが、盗もうとする者は誰もいなかった。


 誰もが、心の底から、剣の使い手――勇者が現れるのを願っていた。

 それだけ魔神は、現実的な「世界の終わり」だった。


 そうして小国の片田舎で育ったディアナは、村一番の正直者として、村のみんなから願いと旅費を託され、はるばる王都まで出向いていった。


 まともに剣を振ったこともなかった彼女の手の中で、剣ははじめからそういうものだったかのようにあっさりと刃を露わにした。


 鞘が動いて、白い光をまとう刀身が掲げられるまでの時間は、時が止まったと勘違いするほどに静かだった。


 けれどすぐに歓声が、地面が動くような大歓声が王都を包んで、瞬く間に世界中へ広まった。


 ――その瞬間に、人類は勇者を得た。

 ディアナはただの正直な村娘から、勇者になった。


 それは絶大な「希望」で「力」だった。

 剣を掲げた瞬間に、ディアナはどんな剣士よりも、どんな魔導師よりも、剣と魔法を自在に扱えるようになっていた。

「これができる」「こうすればいい」が、全て感覚的にわかるようになっていた。


 だから世界は、すぐに勇者を魔神の大陸へ送り込んだ。

 ディアナもそうするべきだと思ったし、何より誰もがそうすることを願っていた。


 旅のお供には再び世界中から強者達が集められた。


 大国の第三王子の身でありながら騎士団長をも務める、どんなときも優しく真っ直ぐだが怒らせると怖い双剣士、オスカー。


 数々の要人、宝物、国家まで守った流浪の傭兵で、いつも明るく豪快なのに時々怖がりな巨漢の大盾使いレオン。


 かつての魔神討伐で戦死した伝説の魔導師の一番弟子、魔力と秘密と喫煙本数が多い美人の大魔導師、エルヴィーラ。


 先祖の記憶を持ち続ける家系に生まれ、なんでも知っていて頭の回転も速いのに素直に教えてくれない皮肉屋な青年の賢者、ニカ。


 辺境の村で神として扱われていた、頭さえ残っていれば蘇生できると豪語する無口で幼い双子兄妹の治癒師、コフィとアフィ。


 そして、戦う力はないが、王都でディアナが命を救ったことから同行を願い出てくれた、しっかり者で小言が多い世話役の少女、マリー。


 みんな強く優しく、誰もが魔神から世界を救うために全力だった。


 本当に、これ以上ない、良いパーティだった。


 エルヴィーラはマリーが叩き起こさらなければいつまでも寝ていたし、オスカーとニカは些細なことでぶつかっていたし、レオンはいつの間にか一人で突っ走って迷っていたし、コフィとアフィはディアナやエルヴィーラの布団に潜り込んでくるし、レオンが風呂に入らなければエルヴィーラは水責めにしようとするし、ニカは放っておくと一人でご飯を食べるし、マリーとコフィとアフィは誘拐されるし、それで慌てたオスカーが王国騎士団を総出動させようとするし、世間知らずなディアナが詐欺師に騙されて、路銀を全て無くしてしまったこともあったけど。


 失敗も苦難もたくさんあったけど。

 全部みんなで協力して乗り越えられた。


 道中でいくつもの魔物の発生源を壊滅させて、送り込まれてきた魔神からの刺客を退けて。

 人を、町を魔物から救った。


 そうして勇者の誕生から半年と少しが経った頃、ようやくディアナたちは魔神の元へと辿り着いた。


 決戦は、ほとんど勇者と魔神の一騎打ちとなった。

 聖剣は凄まじい力を持っていたが、それよりも魔神の破壊力は優っていた。

 けれど勇者には支えてくれる仲間と――死から甦る力があった。


 この戦いでディアナは3度死んだ。

 けれど殺しても死なない彼女への対処法が考え出されるより、聖剣が魔神の核を貫くほうが早かった。


 少年の姿をした魔神は「絶対に君を殺す」と笑みを浮かべながら消滅した。


 誰一人欠けることなく、勇者たちは魔神に勝利した。


 それからは世界中が喜びの渦に包まれた。


 勇者たちの帰還と吉報が広まってからは、どの町でも村でも祭りが開かれて、何日も何日も続いた。

 王都へ帰るまでの道中どこへ行っても勇者たちは祭りに巻き込まれ、王への報告は予定より大幅に遅れてしまった。


 加えてその道中にレオンとエルヴィーラが結婚した。

 あと、まだどちらも子どもだったので進展はなかったが、実はマリーとコフィも良い感じだったらしい。


 王へ報告を済ませた後は、全員それぞれの国にも報告するため、一度解散することとなった。

 このパーティの目的は遂げてしまったが、今後も勇者とともに中立な立場から世界を見守るべきだというニカの提案から、再びこの小国の王都に集まり、ギルドを構えることとなった。


 その一時の別れの前に、ニカは彼らしく傲慢に一方的に、オスカーは一番近くで守り続けたいという意味も込めて、ディアナへ好意を伝えた。


 ディアナはそういった感情に疎く、二人ともそれを承知していたから、その場では何か答えを返すことはなく、それぞれの故郷へ帰っていく彼らを見送った。


 ――ここでディアナは、脈絡なく呟いた。


「もしこのとき、みんなを引き止めていたら」


 本当は寂しかった。引き止めたかった。

 報告なんて使者に頼むか、みんなでみんなの故郷を順番に回ればいいんじゃないかと、ディアナは内心思っていた。


 けれど言えなかった。色々あった。少し恥ずかしかったのもあった。


「もし私に、少しの勇気があったら。わがままを言う強さがあったら」



 ――見送ってから数日後、最初の訃報はニカだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る