5-5.「揺るがない幸せが」⑤
夕飯はそのまま駅前の回転寿司に寄った。
帰りのバスの中で、そういえばまだ食べさせてやってないと気付いた。
でもソフトクリームのせいかあまり腹は減ってなかったし、そもそも良い店なんか知らなかったので、回ってるやつにしてしまった。
自分の経験値不足は軽く嫌になったけど、ディアナは割と楽しんでくれたようだった。
「生? 魚を、生で食べるのか……?」とお手本みたいな困惑から「すごい、柔らかくて溶けてしまった。これが鮭、なのか?」までいったのはまさに日本人な快感だった。
けれどディアナは、俺が食べようとすると不安そうな顔をした。
それでここが世界的なチェーン店であることや、一度冷凍しているから鮮度も寄生虫も問題ないのだと教えてやると、ほっとした顔で俺が寿司を食べるのを許してくれた。
……ちなみに勇者の状態異常無効は腐ったものを食べても大丈夫らしく、寄生虫は試したことはないけど、体を炎のような高温にしたり、身体中に雷を纏うことはできるらしい。
ならたぶん大丈夫だねと笑いながら、やっぱりこの子は自分の扱いが軽くなっているのだろうと考えてしまう。
それは自動蘇生のせいなのか、逃げた罪悪感からか。もしかすると生来のものなのか。
あと、マグロを食べながら、今俺が突然脳の血管でも詰まらせてポックリ逝ってしまったらこの子はとても困ったことになるんだよなとかも、考えてしまった。
……まあ、その場合も結局碧音を頼るしかない。
俺に何かあれば碧音は動いてくれるだろうし、あの子からバアちゃんに話をつけてもらえば、少なくともこの子が一人になることはないはずだ。
とはいえもし俺が死んだらなんて今のこの子に言えるはずもないので、あとで碧音に軽く伝えておこう。
でも念のため、電話のかけ方くらいは教えておくことにした。
ダイヤルパッドの呼び出し方と、一一九番と碧音の番号。
また少し不安にさせてしまったが、本当に念のためだと言うと納得してくれた。
そしてイクラを勧めると、また美味しそうに頬張った。
ただ今回食べたなかで、カニミソだけは微妙だったらしい。
*
デザートのアイスも食べ終え、熱いお茶も飲んで、初めはそのまま帰るつもりだった。
けれど店を出てもまだ二十時前で、電車はまだまだ動いていて。
ふと思いついてしまった。
「ナディア、もう疲れてたり、眠かったりする?」
「大丈夫だ。まだまだ動ける」
「じゃあさ、ちょっと海の方まで行こっか」
夜だけど今日は月が明るいし、ちょうどいいと思った。
ディアナはほんの少しだけ驚いたような顔をしたけど、「わかった」と頷いてくれた。
すぐに切符を二枚買って、俺はいつもと反対側のホームにタイミングよく来た急行に、ディアナと二人で乗り込んだ。
車内は思ったよりも空いていて、並んで座ることができた。
タタンタタンと規則正しく鳴る音を聞きながら、暗い窓を眺める。
自分と、綺麗な黒髪の女の子が映っている。
自分がそれをしたかっただけなんだろうとは、思いついたときから気づいていた。
やっぱり俺は自覚してたより今日の非日常感を楽しんでいた。
寿司屋で軽く日本酒を飲んだせいでもあるんだろうけど、気分に任せてディアナを巻き込んでしまった。
でも、今日くらいはいいだろうと思っていた。
……いやでも冷静に考えてみたら海を見に行こうってのはさすがにソレっぽ過ぎたかな。
しまったそういうの意識しないようにしてたのに。
でも子供じゃないんだ、ただ二人で出かけるだけで……いやでもやっぱり海は違ったか。明日碧音にどう説明しよう。
とか考えながらふと顔を上げると、窓越しにディアナと目が合った。
窓の外を眺めているのかと思ったが、その瞬間にすっと逸らされた。
いや、偶然だったんだろう。
外ではビルや住宅街の明かりがどんどん流れていっていた。
いつの間にか俺もぼーっと眺めてしまっていて、明かりが少なくなってきてようやく、もう目的地のすぐ近くだと気が付いた。
車内が暖かかったのもあるだろうけど、電車を降りて海に近付くほど、寒さが強くなる感じがした。
まだ深夜というわけでもないのに誰ともすれ違わなかった。
海は予想していた通りの景色だった。
月がとても青白く明るくて、なのに夜の海は真っ黒だった。
砂浜は靴に砂が入りそうだったから、軽く堤防沿いを歩いて、灯台の近くの自販機でココアを買った。
他は特に何もなかった。
俺が少し疲れていたせいで会話も少なく、とくに意味のない短いやり取りがいくつかと、ディアナが一度「海は、どこも変わらないんだな」と呟いたくらいだった。
帰りの電車も行きとほとんど同じだった。
ディアナはずっと窓を眺めていて、俺は碧音への言い訳を考えながら、結局は窓に気を取られていった。
最寄り駅に戻ったのは二十二時過ぎだった。
そこから軽く買い物をして公園に寄って、無事に帰り着いたのは二十三時頃だった。
風呂を沸かして順番に入って、小腹が減ったからチーズとスナック菓子を食べながら少しだけ二人でワインを飲んで、それでもいつもより一時間くらい早くベッドに入ることができた。
寝る前に一つだけディアナに尋ねた。
「今日、楽しかった?」
ディアナは言葉を探すように一度視線を落としてから、「ああ。とても」と少し赤味が差した顔で微笑んでくれた。
それだけだ。
それだけだけど、それで良いと思えた。
今日みたいに、少しでもあの子が良い日を過ごせるように。
結局変わらないけど、今までよりもう少しだけ、あの子の幸せを意識して。
リビングの照明を消す前、布団に入ったディアナが「おやすみ」と返してくれたから、俺は素直に今日を良い一日だったと思えた。
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