4-5.「確かなものなんてない」⑤
とか色々考えて挑んだ今回のお出かけだったが、結論から言えば全部無駄――いや杞憂で終わってくれた。
「『気配消し』、強力すぎたね」
と、碧音がファストチェーンのサンドイッチをかじりながら言ったまさにその通りだった。
『気配消し』は一番の懸念だった電車でも、この辺りで有数の大型ショッピングモールでも、抜群に威力を発揮した。
ディアナはこんなに美人なのに、誰一人として振り返らなかった。
何度か碧音を見ている奴はいたし、一度だけ看破されたとディアナから報告があったけど、それも電車で母親と手を繋いでいた3、4歳の男の子が、ただじっと見つめてきただけだった。
「……私も、少し意外だった。これは、幼い子以外に、周りを良く観察しているような人にも、少し効きにくいはずだったから。だが考えてみれば、誰も私のことを知らないんだ。わざわざ気にすることも、ないんだろうな」
付け合わせのポテトをつまみながらそう言って、ディアナは改めて辺りを見回した。
俺はこのときようやく、そういえばディアナは世界を救うはずの勇者で、だったら世界中に知られるヒーローだったんだろうなと思い至った。
「そうかもですけど、注目はしますよ。だってナディアさん、キレイですから」
「そ、そうだろうか」
「そうですよ! ナディアさん、今までそういうこと、言われてないわけじゃないですよね?」
「……えっと、そう、だな。言ってもらった。それこそ、アオネが言ってくれたように、綺麗なことを自覚して、男には注意しろと、言ってくれた人がいた」
「それ言ってくれたの男性ですか? 女性ですか?」
「え、じょ、女性だ。……ああいや、男性にも、言われたことはあったな」
「へぇ……。でもナディアさん、それはこっちの世界でも同じです。いやそれ以上です。だって少なくとも、私が知ってる中ではダントツで一番かわいいです。ね、イチ兄?」
反射的に頷きそうになったが誤魔化して、すぐに失敗したと思った。
……軽く返せばよかったのに変な間ができてしまった。
これではなんか本気っぽくなってどう答えてもキモくなる。てか碧音なんで俺に振った。何笑ってやがる。
でも、そういえば俺、なんかもう最初の方にそういうこと言っちゃってなかったっけ。
「まあ、そうだね。俺が見てきた中でも、一番だと思うよ」
「ほら、大の大人が照れてますよ」
「照れてません。……照れてないけど、別にお世辞とかじゃないから、本当に気をつけてね」
「そういうことですナディアさん」
何が「そういうこと」なのかはもう一々ツッコまない。
ディアナは三秒ほど、考え込むみたいにサンドイッチを口の手前で止めてまばたきしていたが、小さく「ありがとう」と言ってから、またもさりと包み紙に顔を埋めた。
「やっぱりかわいい」
なんとか回避できたようで、息を吐きながらコーヒーに手を伸ばす。
……しかしこのときすでに、問題はまた別の方向へと転がっていた。
そう。もし俺に未来が見えていたら、ここで呑気にスティックシュガーを開けている場合ではないと、気付けていたんだろう。
いや、別に『気配消し』の効果はこの後も健在で、何か大きなトラブルが起こるなんてことは一切ない。
問題はディアナが「すまないが、アオネに任せてもいいだろうか? 私は、この世界の物価や、一般的な服装を、あまり知らないから」とか言ってしまって、碧音が調子に乗ってしまったことによる。
要するに、碧音がディアナを着せ替え人形にしてしまった。
たしかに顔もスタイルも良く、髪も足も長い彼女には何を着せても絵になっていたし、ディアナの方もいちいち碧音が喜んでくれるからか、真剣な顔で言われるがままポーズまでとっていたが。
「……さすがにこの辺にしとこう。他にも色々回らないとなんだし」
全身コーデ7セット目の、ミニスカートに襟と袖のひらひらした黒ブラウスを合わせた、ゴスロリチックなディアナを碧音がひとしきり撮り終えた後、俺はなんとかそう切り出した。
ここまででもう三時間近く、時計は十六時に迫っていた。
今日はこの後まだいくつか日用品と、碧音への報酬を買わなければいけない。
あと、碧音とディアナが試着室の中ではしゃいでいる間も俺は一人で待ってなければいけなかった。
つまりほとんどの時間周りからの視線が痛くて、ついでに足も痛かったわけだ。
さすがにそんなことは言えなかったが、スマホを確認した碧音は「はーい」と素直に折れてくれた。
「あと一応言っとくけど、絶対その写真ネットにあげたり誰かに見せたりしないように」
「言われなくても。……画像の隠し方も、ちゃんとわかってますから」
余計なことを言った自覚はあった。
結局碧音がディアナに選んだのは、タートルネックの白セーター、ゆったりとした黒のシャツ、細めのジーンズ、グレーのロングスカート、インナーのTシャツが2枚、靴下も2枚、チェック柄のベージュのマフラーが1本。
それとダークブラウンのチェスターコートだった。
「無難に落ち着いたな」
「目立っちゃダメでしょ。あと、ディアナさんはシンプルなのが似合う。でしょ?」
……同意見ではあったので、大人しく頷いておく。まあ、結局は素材が良いからなんでも似合ってしまうんだろうけど。
購入基準は完全に碧音のセンスになった。
コートは一応ディアナに好みを尋ねてみたが「フードがある方が落ち着く」とのことで、理由は「急に雨や雪が降っても大丈夫だから」ということだった。
「……もしかして、こちらではこうして使わないのか?」
そろそろ彼女も、俺や碧音の反応から「何かズレている」と気付くようになったらしい。
碧音のコートのフードを目深にかぶっている姿も様にはなっていたし、人の目を避けるのにも機能はするんだろうが、結局は長い髪が引っかかる上、『気配消し』で十分ということで却下となった。
「あとディアナさん背高いから、大人っぽいこのコートめちゃくちゃ似合うし」
……それが地味に高かったけど。まあ事実、似合っていたので。
その後日用品の売り場へは、一応傘のコーナーを通ってから向かうことにした。
売り物を見せて傘の説明をしながら、そういえばまともな傘を1本しか持ってなかったなと思い出して、念のためビニール傘を買い足しておくことにした。
買いたい日用品は、主に食器だった。
単純に使う回数が増えたことで足りない場面が増えていた。
それに二つしかなかったマグカップを昨日一つ割ってしまっていた。取手の無いコップで熱いコーヒーを飲むのは、微妙に面倒なことだった。
それで俺は最初、ディアナに好きなものを選ばせようとした。
モールの一階にある大きな日用品のコーナーへ向かう途中に、いろいろなデザインのマグカップを店頭に並べた日用雑貨の店を見つけた。
そこでちょうど白黒の牛柄のカップが目に付いて、あれなんか良いんじゃないかと言いそうになった。
言いそうになって、すぐに俺はディアナがいなくなった後のことを考えた。
それがいつのことになるかは分からないが、そんなに先の話ではないはずだった。
結局、一階で買うことにした。
家にあるものとよく似たシンプルなものを、適当な色で三つ。
そのまま流れで残りの日用品を買って、ちょっとだけ見るつもりだった本屋に一時間近く取られて、ディアナに『十五少年漂流記』を、碧音に最近アニメ化されたラノベの第一巻を買ってやって、ようやく俺たちは最後の目的地に辿り着いた。
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