4-4.「確かなものなんてない」④


 翌日の午前十時ちょうどに、碧音は駅前のスポーツ用品店で買った竹刀袋と自前のダッフルコート、ロングスカートを持って訪れた。


 上だけ碧音のもので合うものがなかったので俺のトレーナーを着たディアナは、垂らした長髪の上から碧音のコートを羽織ると、聖剣を竹刀袋に入れて担ぎ、マスクを付け、黒髪になり、自分のブーツを履く。

 玄関に立たせたディアナを碧音と二人で眺めたが、美人で瞳が緑なこと以外、特に違和感はない。


 そして俺たちが頷くと、ディアナは突然消えた――見えなくなった。


「どうだろうか?」

「うん、完璧。剣までちゃんと消えてるよ」


 剣が消えなかった場合はもう少し面倒なことをするつもりだったが、どうやら包んでいるものが見えなくなれば、中身も見えなくなる仕様らしい。

「よかった」と言ったディアナも見えないが、事前の打ち合わせ通りコートの裾に引っ張られる感触があった。


「じゃあ行こうか」

「うん」「ああ」


 ドアを開けてからは、ディアナは言いつけ通り一言も発さない。背中の裾の感覚で彼女の存在を確認しながら、玄関の鍵をガチャンと閉める。


 ついに彼女を外に連れ出してしまった、という実感が一瞬何かとんでもない間違いを冒しているような不安を掻き立てるが、昨日納得できるまで考えたことを思い出す。


 そのままディアナにはしばらく黙ってついてきてもらって、碧音とは親しげに話しながら、近くに高い建物も人の姿も無い公園の隅にある公衆トイレへとたどり着く。

 念のため、もう一度周りに人がいないことを確認してから、碧音にトイレへ行ってもらう。


 帰ってきた碧音の後ろには、マスクを付けた女の子がいた。


「すごい、ばっちり。一瞬ディアナだってわからなかった」

「うん、私も。ぱって出てきたとき、一瞬知らない人かと思って焦った」


 そう。まさに感覚としては、特に気にかける必要がない赤の他人がそこにいるようなイメージ。

 しかしこの子は自分のよく知っている『ディアナ』だと思って見てみると、なんでこんなに綺麗な顔や緑の瞳、肩にかけている竹刀袋をスルーできていたのかが逆にわからなくなる。


 一応、魔法の効果は「ピンポイントで認識しようとされない限り自分の存在感はほとんどなくなる」というものらしいが。


「大丈夫、だよね? もしかしてカラコンとかも、あったほうがよかったかな」

「私を知る二人に違和感があったなら、大丈夫、だと思う。以前、指名手配を受けていたときも、この魔法で街中を歩くことができたから」

「ディアナさんそれ初耳です」


 ちなみに俺も初耳でした。

 さらにちなみにその指名手配は悪徳大臣による冤罪で、ディアナは仲間の手も借りてなんとか汚名を晴らしたそうです。


 とはいえ、やっぱりピンポイントで認識されるような場面、例えば人混みで大声を上げて注目を集めたり、肩をぶつけてしまってガンを飛ばされたり、親切な店員さんに真心こめて挨拶されてしまったりすると、普通に今俺たちが見ているディアナの外見で認識されてしまう。


 やっぱりマスクをしていても美人なのはわかるし、魔法でも瞳の色は変えられないし、竹刀袋はどうしても珍しいが。


「まあ、やっぱりハーフってことにしとこう。これからディアナは、ロシアと日本のハーフで、碧音とネットで知り合った女の子、佐藤ナディア。てことで」

「ああ、了解した。私は、サトウ・ナディアだ」


 けれど少なくとも、彼女は鎧を着ているわけでも髪が赤いわけでもない。

 ただ美人で瞳が緑で、竹刀袋を担いでいるだけだ。

 嘘で納得させられる程度には異様さも抑えられている、と思う。

 それに、たとえこの子の特別さに気づきかけたとしても、きっとみんな勝手に自分で納得する。

 わざわざ確認しようとする人間は思っているよりずっと少ないはず、だと俺は思っている。


 ……しかし万が一、そんな自分の違和感を信じて行動に移すような――最悪のパターンとしてはディアナを盗撮しようとする奴がいた場合。


 まず『気配消し』が看破された時点でディアナは気付く。それを俺に報告してもらって、ひとまずは俺の影に隠れてもらう。

 そこから俺が少しでも怪しいと判断すれば、すぐさまディアナに合図して、直近の記憶と意識を失う魔法を撮影者にかけてもらう。


 しかし対象が複数いた場合、集団で気を失われるとたぶんニュースになる。ので、その場合はディアナにサングラスをかけてもらって普通に逃げる。

 逃げて、人目につかない場所で全員で透明になって、遠距離からやっぱり記憶を消す魔法をかける。

 ただし今度のは、起きたままじわじわと忘れていく魔法にする。


 ……こんな色々を、昨日三人で数時間話し合って決めた。

 神経質だとは自分でも思うけど、異世界の勇者なんていう桁違いに未知数な存在を扱うのだから、考えすぎるということはないはずだった。


 だって何かがあってからでは遅いんだ。

 俺なんかではどうにもできない、俺たちだけじゃなくこの世界の全てが変わってしまうくらいの何かを、ディアナは簡単に起こせてしまえる。

 だからディアナが俺の家から出るところを誰かに見られたり、魔法を解いて突然現れるところを監視カメラに撮られたりする危険性まで考えて、連れて出るだけでもこんなに回りくどいことをした。


 ……て言ったって、実際に魔法で対処しているのはディアナで、俺も碧音もそうして色々考えている時間を楽しんでいたところもあるんだけど。

 そしてディアナはだいたい魔法でなんでもできるので、そこまで悩むこともなかったんだけど。


「じゃ、とりあえず行こうか」

「おー」「ああ」


 ……そう、大丈夫、大丈夫だ。考えて、できることはやった。

 あとはこの子たちがお出かけを楽しむのを、保護者としてきちんと見守って、危険があれば計画通りに対処するだけ。


 正しく、判断するだけだ。

 ……だから、臆病者でいいから、俺、絶対に引き時だけは見誤るなよ。

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