4-2.「確かなものなんてない」②


 次の日、ドーナツを持ってやって来た碧音に一部始終を話した。

 また廊下でこっそりと。

 あの子が動物好きな経緯と、牧場へ行きたいかと聞いたときの反応について。


「で?」


 けれど肝心なことは、まだ決まっていなくて。


「イチ兄は、どうしたいの?」

「……俺が、というよりは、どうするべきかを相談したくて」


 情けない従兄の物言いに、碧音は「はぁ~」とわかりやすくため息をついた。


「連れてってあげればいいじゃん」


 あまりにも簡単に言うから、実は簡単なことなのかと思ってしまった。

 けれどそんなはずはないし、この子だってわかっていないはずがないから、俺は黙って碧音の目をまっすぐ見た。


「――イチ兄は何が怖いの?」


 碧音は顎を引いて正面から見つめ返してくる。

 わかりきっている、外に出てあの子の存在が見つかること。……それ以外を聞かれている。

 心当たりはあったし、碧音もそれに気づいているようだった。


「これは、こっちからあの子に一歩踏み込むことになると思う。あんまり無責任に、そんなことするべきじゃない」

「責任取るのが怖いんだ?」


 わかってるよ。自分が情けないことくらい。わかりきってる。


 ……ああクソ最悪だ。

 碧音は、俺なんかの睨みに怯みはしなかったけど、軽く目を細めて「わかってるけどさ」と言ったきり、何か考え込んでしまった。


「そもそも、やっぱりあの子を連れ出すなんて現実的じゃないし、あの子が本当に行きたがってるのかどうかもわからないしさ」

「でも方法があって行きたがってるなら、イチ兄は連れてってあげたいんでしょ? じゃないと私にこんな相談しないじゃん」


 この子も初めからわかっていたんだろう。

 不機嫌そうに言われた正論をどうすることもできず、それ以上言い訳は続かない。


「私はそれ、イチ兄がディアナさんを元気してあげたいからだと、思うんだけど」


 ……ふっと浮き上がりかけた気持ちを、すぐに押しつける。


「だったらいいんだけど」

「そう思うなら、やっぱり連れて行ってあげるべきだよ」


 ……たしかに俺も、俺が善い人間だと信じたいよ。


「いいよ。自信がないんだったら私も一緒に行ってあげる」


 はっと上げた顔の前で、碧音はすばやく手のひらを広げる。


「わかってます。絶対安全な方法が見つからなかったら、そもそもこの話はおしまいだからね。……でも、偏差値七十の進学校でクラス一位の私と、生粋の臆病者のイチ兄と、最強勇者のディアナさんがいたら、何とかなりそうじゃない?」


 と、俺に口を挟ませずに言い切った碧音は、やはりどこか挑発的に、しかしとても良い顔でにやりと笑う。


 ……このかわいい笑顔に絆されてはいけない。

 けれど、たしかに碧音がついてきてくれるなら、なんとかはなるかもしれない。

 もし、踏み込んで、ディアナとの距離が縮まるとしても。俺ではなく碧音なら、きっと良い影響をもたらせる。

 けれど責任は。というか、少し碧音を頼りすぎているのではないのか。


 ……頼ってるけど。これはあくまで俺の問題だろう。

 そして責任は大人のものだ。

 つまり、決めたのは俺だ。


「わかった、そうしよう。でもちゃんと臆病者が納得できないとダメだからね」

「っし。わかってるよ」

「あと、その前にディアナの気持ちも確かめって碧音?!」


「ディアナさーん。あの、今度、私たち三人で牧場に行こうって話になりました。方法はこれから考えないとですけど、嫌ですか? ――大丈夫です。嫌だったら、お家の方が良いとかでも、ちゃんと言ってください。さあ、どうですかっ?」

「えっ、あ、い、いや、ああ違うその、嫌では、ない」

「本当ですね?」

「あ、ああ。本当だ」

「じゃあ楽しみですか?」

「えっ。……そうだな。楽しみだ」


 決めたのは俺、なんだけど。

 早速碧音は俺には真似できない方法で問題を解決してしまった。


「……碧音、実は学校だとそういう感じなの?」

「真逆。……だから、ちょっと真似してみたんだよ、こういう感じで声かけてくる子の」

「おお。……へぇ」

「やめてその良かったねみたいな顔。窓開けて大声出すよ」

「そんなことされたら俺も大声出すよ」


 ぶっすと不機嫌顔になる碧音と、おそらくそこそこ気持ち悪い笑顔になってるであろう俺を何度か見比べたディアナは、「二人は仲が良いんだな」と呟いた。


「どうかな」「どうでしょうね」


 声が重なって、碧音は俺をジロりと睨んだが。

 ディアナはまた俺たちを見比べて、小さくふっと息を吐いた。


 微笑んでいるように見えたのは、やっぱり気のせいで、もしかすると俺の願望なのかもしれなかった。

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