4-1.「確かなものなんてない」①


 ある日俺は気づいた。

 最近よく見る生乳アイスのCMが流れると、ディアナが必ず顔を上げることに。


 はじめはアイスが気になるんだろうと思って、夕飯の買い出しついでに買ってきてしまった。

 実際良い反応はしてくれたが、食べ終わってからもCMへの反応は変わらなかった。


 そこからディアナが牛の声に反応していると気づいたのは、テレビで芸能人が牧場の手伝いをする番組が流れたからだった。


 運悪く牛丼を食べているときに放送されたのだが、ディアナは牛が鳴くたびに顔を上げていた。

 そういえば実家が酪農家だったなと思い出して「ディアナも、やっぱり家では色々手伝ってたの?」と尋ねてみた。


「ああ。小さい頃から、ずっと」

「やっぱ農家って、そういうもんなのかな。俺も母方の親戚で、りんご農家のとこがあるんだけど、昔は夏とかよく収穫手伝わされてて。結構キツかったからさ、アレ」

「そう、か。どうだろう。たしかに私の周りでは、みんな手伝っていたが。……でも、私はそこまで苦だとは思わなかった。その……、少し変な話だとは思うが、私はみんなと……動物と、話せたから」


 おぉすげえと素直に驚いてから、俺はもうこの子が何を言い出しても信じてしまうんだろうなと思った。


「てことは、もしかしてその、テレビに出てる牛が何言ってるとかも、わかってたってこと?」

「え。あ、ああ。わかる。例えば……今のは、今日も寒い。今のは、こっちにもご飯が欲しい。……といっても、信じてもらう方法は、思いつかないが」

「いや、信じるよ。そんな嘘わざわざつく意味が無いし。じゃああれ、この間食べたアイスのコマーシャル、テレビでたまに流れるやつは?」

「え、えっと、あれは、怒っているんだ。なんだお前、こっちに来るな、と」

「あー、だからなんか、毎回見ちゃってたんだ」

「そう、だな」


 と、次になにか聞くことも思いつかなかったから、俺はまた牛丼を頬張ろうとした。

 けれどそのとき、何か嫌な感じがして、今この箸の上に乗っているものも牛だということを思い出した。


「それって辛くなかった?」――思い出した勢いだけで、そこまで口に出してしまった。


「ごめん。なんでもない。……。あー、そういえばこの間、」

「大丈夫だ。その、幸い、と言っていいのかわからないが、私の家は肉牛は育てていなかった。それでも、死と向き合うことはあったが、声がわかることで正しく対応はできたし、何度か助けることもできた。……声が聞こえて良かったこと、楽しかったことの方が、ずっと多かったんだ」


 思い出すように言ったディアナは真剣な顔をしていたが、声は明らかに柔らかかった。

 何も知らないくせに、俺は今少し食欲がなくなった。

 ディアナは変わらずスプーンを口に運び、小さく「おいしい」と呟いた。


 自然と想像がついた。

 きっとこの子は、真剣に向き合うことをやめないで全力を尽くしたんだろう。自分にできることで、動物たちが少しでも幸せに生きられるように。


「よかったら聞いてもいい? その、良かったこととか、楽しかったこととか」

「ああ。……そう、だな。たとえば、一度、放牧中に子牛が脱水で倒れていたのを、別の子が教えてくれたことがあった。早くに見つかったことでどうにか対処できて、それ以降、みんなが体調に違和感を感じたら私のところへ来てくれるようになった。……いや、体調に関係なく、よく話しに来てくれるようになったんだ。特にその子牛たちは、いつも私の近くにいるようになって、おいしい草のある場所や、日差しが気持ち良い場所や、綺麗な花や虫だとかを教えてくれた」

「良い子たちだね」

「ああ。本当に良い子たちだった」


 想像しながら、そういったのどかな風景がディアナにはとてもよく似合うと思った。

 動物と話せることをほとんど疑わなかったのは、もしかするとファンタジーへの麻痺だけが理由ではないのかもしれない。

 広々とした放牧場の中で、柵にもたれて座るディアナ。

 その両側に座る二頭の子牛。

 よく晴れて少しだけ風が吹いていて、土で汚れたエプロン付きのワンピースのような服を着たディアナは、子牛を撫でながら何の迷いもなさそうに微笑んでいる。


 けれど目の前のディアナは、薄明るいマンションの一室で持ち帰りの牛丼を食べている。

 当然笑ってもいないし、全身スウェットで灰色だった。


 ……それが俺には、凄まじく不幸せな、不自然なことのように思えてしまって。


「近くの牧場とか、行ってみる?」


 そういえば牧場見学の看板が駅にあったなと思い出したときには言っていた。

 すごく都合の良い正解を見つけてしまったような気分だった。


 けれどそれは、ディアナを外へ連れ出すということだった。

 自分で言っておきながら、自分がそんな危険なことをしている場面を、俺は上手く想像できなかった。


「い、いや、私は、大丈夫だ」


 そしてディアナもそう言ったから俺は一度「そっか」と言った。

 ビールに口をつけて、テレビを見るふりをしながらディアナをチラリと見ると、変わらず俯き加減で牛丼を口に入れていた。


 今のディアナの反応はなんとなく違和感があった。

 反応が遅いことや、表情が薄いのはいつも通り。

 俺の視線に気づいたディアナが顔を上げる。

 たぶん原因は瞳だ。

 さっき俺を見た瞳は、ほんの少しだけ明るく見えたんだ。


 ディアナが不安そうな顔をしていることに気づいて、思わずこの違和感を確かめてみようとしたけど、結局「牛丼気に入った?」と言っていた。


 ――俺の予感通り、ディアナは牧場へ行きたいのかもしれない。

 でも気のせいかもしれない。人の表情、ましてや瞳なんてそんなにわかりやすいものじゃないし、俺はそういうものを読むのが上手いわけでもない。


 尋ねてみればわかるのかもしれないが、きっと上手く尋ねなければ本音は引き出せない。

 そしてもし本人さえ自覚していないものだった場合、取り逃せばするすると奥底に落ちていってしまうものかもしれない。


 そもそも、正しかったとして。

 俺にそれが実現できるとは到底思えない。

 ……けれどもしこれが、ディアナが初めて見せてくれた意欲だったとするなら。


 ディアナと牛丼について話しながら、ぼんやりとテレビを見ていた。

 派手なジャージ姿の青年達は若手アイドルらしかったが、泥を顔につけながら真剣に農作業を手伝っていた。牛舎の掃除から餌やり、乳搾り。

 そして子牛にミルクを飲ませてやったところで、子牛がアイドルへ向けて一声鳴いた。アイドルが「どういたしまして」と背中を撫でると、子牛はまた鳴いてどこかへ行ってしまった。


 そのとき何かが聞こえた気がして顔を上げると、ディアナの微かに笑った横顔があった。

 すぐに消えてしまったし、俺は目を逸らしたけど。

 たしかにあの子は笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る