3-9.「心は多分正直」⑨
碧音が帰って、翌日の日曜。
カレーの材料を買った帰りに、スーパーの中の小さな本屋でラノベの新刊を買った。
高校生の頃から追いかけている作品だが最近はほとんど惰性で買っているような状況で、その日買ったものを除いて5冊が、本棚に並べたきりになっていた。
久々に読もうかなと考えたすぐあとに、ディアナに本をすすめてみようと思いついた。
帰って、本が好きかを聞いてみると、あまり文章を読むことは得意じゃないが、物語は好きということだった。
もちろん強制にならないように、あくまで暇つぶしの方法を一つ増やす提案として、俺は何冊かの本を棚から選んでディアナに渡した。
……この選ぶのにそこそこ苦労した。
文章が読みやすいラノベの方がいいとは思ったが、異世界モノはまずダメだろうし、主人公が努力して成長する王道系も、きっと今のディアナには受け止めづらいだろう。
かといって全く常識が通じない異世界出身の彼女に、日本人の生活の中で話が進んでいく純文学がどこまで通用するのかがわからない。
結局俺は1時間近く悩んで、短編集的な人の死なない日常ミステリと、ヒロインもドロドロも少ない拗らせ学園ラブコメ、あとハリーポッターにした。
ディアナは3冊と俺をしばらく見比べてから、どうしてか学園ラブコメを選んだ。
その日は、淹れるついでに粉コーヒーについてと、飲みたいときに飲んでいいことを伝えてから、夕飯まで二人で読書に耽った。
二年近く離れていたから一度読んだ巻まで何冊か引っ張り出さないといけなかったが、話の方は変わらず面白かった。
おかげで夕飯は少し遅くなってしまったが、ディアナの方も苦手と言っていたわりには飽きることなく読み続けていた。
……ファンタジーのヒロインみたいな女の子が、美少女イラスト表紙の本に集中しているのは、どうしても可笑しさを感じてしまったけど。
それ以降ディアナは俺がいない間、基本的にはぼーっとテレビを見て、気が向いたら読書に移るようになったらしい。
だいたい三、四日に一冊のペースだった。
読み終わったと聞いたら次の巻か新しいものを渡すようにしていたが、ディアナは最初の三冊を読み終わってから、あの学園ラブコメの2巻に手をつけた。
もちろん好きなものを読めばいいとは言ったが、彼女はなぜか渡された順番に読んでいた。
帰るとディアナは大抵こたつの上で本を広げていて、俺の方を振り返りながら「おかえり」と言うのが日常になった。
机の上にコーヒーカップがあるのは、なぜか毎日ではなかった。
……ちなみに俺はというと、寝る前に少しずつ続きを読もうとして、半ページもいかないうちに寝落ちしてしまうということを一週間繰り返していた。
ようやく先週のところから先に進めたのは次の土日のことだった。
土曜は碧音が帰ってからの少しの間、日曜は家事をする以外の全ての時間。
どこまでも物語は面白くて、変な話だけど少し安心してしまった。
そのまま一気に読めたらよかったが、やっぱり文字を追うのは目が疲れるし、ずっと座ったままというのは腰と背筋に堪えたから、時々は離れる必要があった。
体を伸ばすついでに一度「ずっと同じ体勢で疲れない?」と尋ねてみると、「慣れてるから大丈夫だ」ということだった。
それにしても、ディアナの集中力は凄まじかった。
ときどき首や体を動かしたり、どこかをぼーっと眺めていることはあっても、ほとんど本から手を離すことはなかった。
俺が見ていた中では、一度トイレに行ったのと、コーヒーを淹れたときの2回だけだった。
――そういえばこのとき、ディアナは俺にもコーヒーを淹れてくれた。
立ち上がりながら「イチノスケ、コーヒーはいるだろうか?」と聞かれたときは、一瞬意味を考えてしまったし、できるだけ自然に「うん。お願いします」と言ったつもりだったけど、いざ目の前に湯気の上がるカップが置かれると、どうしても緊張感のようなもので少しだけ息が詰まった。
そうだった。誰かが自分のために何かを用意してくれたことを、俺はまた自覚以上に喜んでいた。
コーヒーは温かくて丁度いい濃さで、「うん、おいしい」と言うとディアナは「よかった」と小さく笑った。
こんなふうに、日曜日はまた何事もなく穏やかに終わっていった。
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