3-7.「心は多分正直」⑦


「てことで、これからちょいちょい私も来るから」

「……えっ?」

「なに。何かマズいの? 心配しなくても、イチ兄の部屋は入らないから」

「じゃなくて……碧音、そんな時間あるの? 部活とかは? 陸上、続けてるんじゃなかった?」

「あー。怪我したから、最近は幽霊になってる。でも図書委員の仕事はあるから、来られそうなのは水曜金曜と土日だね」

「さすがにそんな来られると怪しまれるから」

「全部は来ないよ。とりあえずは土日のどっちかだけで」

「週一?」

「いいでしょ? イチ兄が手伝ってって言ったんだし。あと、色々ディアナさんともお話したいですし」

「私は、構わないが、イチノスケは、大丈夫なのか……?」


 気がつくと、二人の視線が俺に集まっていた。

 たしかに碧音に頼んだのは俺からだし、彼女がディアナに興味を持つのは当然のことで、ディアナだって同世代の子と話す機会は多い方がいいんだろう。


 けど、頻繁に女子高生を招いている独身男。周りにそう認識されてしまえば。

 最悪、警察を呼ばれて家宅捜査にでもなったら。

 ……それよりも俺は、碧音に過干渉させないはずだっただろ。


「せ――」


 せめて隔週。けど今の碧音は、きっとかつてないほどワクワクしている。

 普段のこの子はこんなに喋る子じゃない。

 そこそこ見た目が整っていて、勉強ができて、たまにしか言葉を発さないから、学校でもこの口調でキャラを確立している……と、彼女は以前に自分で言っていた。


「せ?」


 つまりはこんなにウキウキしている子を、遠ざけようとするのはあまりに残酷な……いやむしろ、そんな子だからこそ、無闇に近づけてはいけないのではないか。

 それを判断するのは、俺だ。

 この場で唯一の大人として。

 俺は。


「……制服は、着てこないように。あと近いうちに、一回大家さんに挨拶しとこう。来週か再来週。毎週土曜日に、掃除しに来てるから、勉強教えてもらいに来てるだけの、ただの従妹ですって」

「わかった、けど、ちょっと大げさじゃない? そんなに慎重にならなくても」

「こそこそしてると、どんどん疑われるから。あと、独身男性はそういうの気にしないといけないんです」


「ふーん」と、碧音は素直に頷いてはくれなかったが、「じゃあ、来週は土曜に来る」と皿を持って立ち上がり、キッチンへ向かった。

 律儀に水に浸けてくれているらしい。


「てことで、ディアナもいいかな? 多少騒がしくはなると思うけど、やっぱり女の子同士のが話しやすいこともあるだろうし、碧音も、ディアナと話したいみたいだから」

「ああ、大丈夫だ。……本当に、何から何まで、ありがとう。イチノスケ」


 うずくまるように頭を下げるディアナに「どういたしまして」と言いながら、さっそく俺は自分の判断が正しかったと思い始めていた。

 やはりディアナには、同性の話しやすい存在が必要で、碧音はディアナと話したがっている。

 だったらこの環境は、二人にとって都合の良いもののはずだった。


 ただ俺が、碧音がこちらにのめり込んでしまわないよう、気をつけていればいいだけの話で。


「――二人はさ」


 気づくと後ろに碧音がいた。

 勝手にキッチンから持ってきた三色団子のパックを開けて、さっそく一本咥えている。

 言いながら団子を口に入れたらしく、俺もディアナもそれを飲み込むまで待っていたのだが。


「なに見てんの」

「え。いや、なんか」

「なんにもない。ていうか、お茶ってもうないの?」

「えぇ……っと、買い置きが、そっちの棚にあったはずだけど、あったかいの淹れる?」

「うん。お願い」


 たしかに俺も団子なら熱い茶が飲みたかったので、残りのチャーハンをかきこんでからキッチンへ向かう。


「アオネも、ありがとう。これから世話になる」


 振り返ってみると、ディアナはまた床に付くくらいに頭を下げていた。

 土下座のようにも見える形だが、横から見ると両手を重ねて胸に当てているのがわかった。


 碧音は慌てて団子を咥えたまま「むぐ……い、いえ私だって!」とディアナの前に膝をつく。


「私も、ディアナさんに色々お話を聞きたいので、その、そんなに、気負わないでください。というかその、……あの、できれば、お友達になって、もらえませんか?」


 耳の先を少し赤くしながらも頑張った碧音の向こうで、ディアナは頭を上げながら、また反応に困ったような顔をして俺の方を見た。

 俺は、軽く微笑んで返したつもりだ。


「その……迷惑でないのなら、ぜひ、よろしく頼む」

「やった。ありがとう、ございます!」


 ここからは碧音の表情は見えない。

 だがディアナは、大きな緑の瞳をきょろきょろさせて、ちらちらと二回だけこちらを見てから、やっぱりぎこちないながらも笑みを浮かべた。


 ――そんなに喜んでもらえるのか。私は彼女の期待に応えられるだろうか。

 さっき言っていたのと同じように、彼女の内心にはきっと戸惑いと不安が渦巻いている。

 俺は無責任に大丈夫だよとは言ってやれない。

 碧音が喜んでいる理由がただ“友達ができて嬉しいから”だと、俺は気楽に考えてはいけない。


 けれど俺には、二人が何か悪いことしているとも、とても思えなかった。

 なにせ二人はただ友達になっただけだ。

 打算も引け目もあるかもしれない。高校生に本物の勇者は刺激が強すぎるのかもしれないし、一度逃げてしまった人間に期待の目は恐ろしいのかもしれない。

 けど、だから友達になるべきではないなんて、俺は絶対に言えなかった。


 あとはこの二人なら、そうそう悪い方には転ばないのではないかという気もしていた。

 結局気楽だろうか。けれどディアナは優しい子だし、碧音は賢い子だ。少なくとも俺なんかよりも、よっぽど二人は互いに良い影響をもたらすと思う。


 もしかすると、ディアナは碧音に拾われるべきだったのではないのか。

 実際のところ寮暮らしでは難しいだろうが、もし彼女が一人暮らしをしていたら。

 こんなオッサンに入りかけた寂しい成人男性ではなく、将来がある子達同士で暮らした方が……とか、ぶくぶく鳴り始めているケトルを眺めながら考えてしまうくらいには、俺は碧音をできた従妹だと思っていた。


 だから、これが正しい役回りなのかはわからないけど、俺はひとまずは大人として、二人を見守ることにしよう。

 ディアナとの出会いが碧音にとって良いものになるように。


 そしてディアナが元気になって、自分で進む先を決められるように。


「――じゃあ、魔法で火を出したりとかも、できるんですか?」

「ああ、できる。やってみせようか?」

「はい!」

「待って待ってちょっと待って!」


 ……それがどれくらい難しいことなのか、検討はつかないが。


「火災報知器鳴るから。火は、ちょっと」

「えー」「そうか……」

「……まあ、俺もちょっと見たいから、ベランダでなら」


 とにかく俺にできる範囲で、頑張ってみようと思った。

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