3-4.「心は多分正直」④
……今度は、俺が動けなくなってしまった。答えは決まっていたのに。
そう尋ねてくる碧音が、なぜかとても悲しそうにしていたからだ。
「うん。二年前にね」
「なんで?」
「決めてたんだよ。二十五歳までに仕事にできる目処が立ってなかったら、辞めようって。……でも、そもそも就職してからはあんまり描けてなくて。一応それでも出来るだけは頑張ったんだけど、結局才能もなくて、俺の『出来るだけ』じゃ、全然足りなかったみたいだから。それで諦めたら気が楽になっちゃうんだから――まあそんな感じ。……昔は、描きたいもの、自分の頭の中にしかないものが、描けるようになるのが、楽しくて仕方なかったはずなんだけどね」
つらつら出てくる勢いに任せて余計なことを言って、今まさに夢を見てる若者の前で何言ってんだと気づいて取り繕おうとして、さらにバカみたいなことを付け加えてしまった。
碧音は「うん。すごくわかる」と頷いてくれた。
「でも碧音は俺より絶対要領良いし、今から始めたらどんどん上手くなると思うよ」
碧音はしばらく俺の顔を見つめてから、表情を変えずに「そっか」とリビングの方へ向いた。
「イチ兄っぽいね」
どういう意味でそう言ったのか、俺にはいまいち分からなかったけど、絶対に良い意味ではなさそうだった。
でも俺が何か大きなことをできる人間じゃないってことは、きっと十分にわかってもらえたと思う。
◯
「あの、ディアナさん、一応聞いときたいんですけど、何かイチ兄に変な要求されたりとか、してませんか?」
て、リビングに戻るなり何を言ってんでしょうかこの従妹は。
「いいや、ない。イチノスケは、ご飯を食べることと風呂に入ること以外は、したいようにしていいと言ってくれた」
「ふーん」と、碧音は薄ら笑いで俺を見上げる。正直、酔った勢いで言ってしまった色々をディアナが素直に言ってしまわないか、ヒヤヒヤしたけれども。
「でもディアナさん、イチ兄も、そのうち大丈夫だってわかってくるかもしれませんから、もし少しでも嫌なことを言われたら、あと体に触られたら、絶対私に相談してください」
なるほど。ちゃんと約束を守ってくれていただけだった。でも他に言い方はなかったのか。
「……だが、もしイチノスケが私に何かを望むなら、私に拒む理由ない。期待に応えられないかもしれないが、なんでも自由にしてほしい」
……大丈夫。俺はそれが間違ったことだと、わかっている。
ので碧音さん、そんな刃物みたいな目でこっちを見つめないでください。
「ディアナ、別にそんなことしなくても、大丈夫だよ」
「そう。そんなの、絶対おかしいですから」
なんの迷いもなく碧音が言い切ると、ディアナは少し戸惑ったように瞬きをしてから「わ、わかった」と言った。
それから碧音はディアナのすぐそばまで寄って、「私も、絶対ディアナさんの味方ですから」と大真面目に言って、もう一度きちんと、不快なことと、体が触れたことがあれば必ず自分に報告するよう約束させた。
やっぱりディアナはどうしていいかわからないといった様子だったが、小さく「ありがとう」と言っていた。
そんなふうにぎこちなく、けれどわかりやすく歩み寄った二人を見ていると、やっぱり碧音に打ち明けたことは間違ってなかったと思えた。
「い、一応言っておくと、ここに来てから、イチノスケに触れたのは2回だ。私が、泣いてしまって抱きついたのと、吐いてしまったときに背中をさすってくれた」
「おいイチ兄」
終わりは、いつだって突然だ。
「…………はい」
「だ、だが嫌じゃなかった。そもそも全部私が原因だ。イチノスケに、非はない」
「ふーん………………」
「……」「……」
「……。はぁ、いいでしょう。ディアナさんがそう言うなら、必要なことだったんでしょう。でもイチ兄イヤじゃなかったって言われてちょっと嬉しそうにするな」
「大変申し訳ございませんでした」
「ディアナさんも。いくらイチ兄でも男は男です。不用意に触らせないように。いいですね?」
「あ、ああ。わかった」
早速肝は冷えたが。碧音はしっかり約束を守ってくれて、ディアナも注意されながら少しだけ表情を柔らかくしていた。
……打ち明けたこと自体は、間違っていなかったけど。
ただ、ずっと可愛がってきた十歳下の女の子からの軽蔑の目は、思っていた以上に、胸にくるものがあった。
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