3-3.「心は多分正直」③


 なんとか、不安そうに振り返るディアナに「ちょっと待ってて」と言って、リビングとの間にあるドアを閉めたけど。


 寒くて暗い玄関まで俺を引っ張ってきた碧音は、最初に迎えたときと同じ顔で俺を睨み上げてきた。


「その、勝手にスマホ見て、本当にごめん。本当に見るつもりはなかったんだけど」

「違う。それもだけど、そうじゃなくて。……その、さっきの何? 聞きたかったこと、全然聞けなかったんだけど」


 でもその「わかってるんでしょ?」みたいな不満顔をされても、俺はなかなか思い当たれなかった。


 ディアナは異世界から逃げてきた勇者で、彼女が辛そうだったから、俺は静かに休めるようここへ住ませてやることにした。でも俺にも人恋しさや、ディアナの容姿に惹かれたところもありそうで、だから近づかないようにするつもり。


「結構言いたくないところまで、全部言ったつもりだったんだけど」


 碧音は、まだ俺のことを睨むように見上げている。


「何が聞きたかったの?」

「何がって……。なんで、そんな普通なの? ディアナさん、異世界の、勇者なんでしょ? 異世界が実在してて、そこから逃げてきたっていうのに、なんでそんな無関心なの? なんでそんな、普通の女の子拾ったみたいに……いや、それもヤバいんだよ。――ねぇ、そんなことしたら、人生が変わっちゃうかもしれないのに、どうして拾えたの?」


『なんで』

 まただった。

 つまり碧音は、俺にまだ裏があると思っている。


 けど考えるまでもなく当然のことではあった。俺だって同じ理由で碧音を心配して、疑っているんだから。


 やっぱりディアナが異世界の勇者であること――人生を変えてしまう特別さを持つことを、碧音は重く捉えていた。


 俺は。ディアナのその特別さを、どう捉えているんだろう。

 もちろんファンタジーに対するワクワクも恐怖も、人並みには感じているつもりだけど。


「正直に言うと、わからないんだよ」

「え」

「あのとき俺、めちゃくちゃ疲れてたし、驚いてたし、あと眠かったから。もし誰かに見られてたらヤバいかもって気づいたのも、次の日だったし」

「だからって、……イチ兄って、そんなに度胸、あったっけ?」


 目を合わせると、碧音は小馬鹿にしたような薄い笑みを浮かべている。

 軽く言い返す気も起きないのは、そのまま同じ疑問を俺も持っていたからだった。

 でも。


「……でも、本当、他に思いつかないんだよ。俺は別に、あの子の力で何かしたいわけじゃないし、あの子と深く関わろうってわけでもなくて、本当に、半分勢いというか、あの子が苦しそうで、俺も、たぶん寂しかったから、同情というか、あのときはそういう、犬拾うみたいな感覚、だけだったんだと思う、けど、……碧音には、そう見えない? 俺、何かおかしいのかな?」


 同じ疑問の答えとして俺が出したものは、全て言ってしまったはずだった。


 なかった。これ以上は。本当に。少なくとも今のところは。

 けど、何かあるんだったら、俺はそれを知らなければいけない。何か、側から見れば明らかなものを、俺は見逃しているのかもしれない。


「そんなの、私にわかるわけないじゃん」


 が、とっくに笑顔を消していた碧音は、少し驚いたような冷たい顔でそう言い切った。

 その通りだった。

 そもそも尋ねていたのはこの子だったのに、俺は何を言ってるんだろう。


 思わず「ごめん、変なこと言って」と笑うが碧音に全く納得した様子はなく、そのどこか悲しげな不機嫌顔は、俺を軽蔑しているようにも見える。


 もしかすると碧音は、俺に何か相応の理由があることを期待してくれていたのだろうか。

 何か、優しさでも性欲でもない、この異常事態を納得させてくれる、それこそ『特別な』理由を。


「でも、別に良いんじゃない?」


 玄関から碧音に目を戻すと、碧音はフードの紐をくるくると触りながら「ちょっと言い方を変えよう」と言う。


「言い方?」

「うん。拾えた理由じゃなくて、拾った目的。ほとんど同じだけど、拾った瞬間の話じゃなくて、今の話。イチ兄は今、何のためにディアナさんを家に置こうとしてるのか。……言いづらいだろうから言ってあげるけど、ディアナさんに元気になって欲しいから、でしょ?」


 いつの間にか碧音は俺の顔をじっと見つめていた。


「そりゃ、下心もあるんだと思うよ。異世界から来たあんな美少女と一つ屋根の下で、しかも弱ってて従順ってのはかなり危ない状況だとは思うけど、……むしろ手出すほうが普通なくらいかもだけど。でも、イチ兄はそれがダメだって思ってる。だから私を呼んだ。違う?」


 否定する暇もなく碧音は早口で言って、最後は半歩近づいて俺の顔を覗き込む。

 ……相変わらず可愛らしい顔と仕草。

 碧音の少しキャラクターじみた話し方が馴染んでいるのは、この可愛らしさと、この子の芯の強さがあるからなんだと思う。

 そして可愛らしいが、瞳は力強い。

 嘘をつくことは決して許されず、これ以上の余計な自己嫌悪も求められていない。


 碧音の言うことは何も違わなかった。

 俺は、他にもたくさん別の欲はあるんだろうけど、しっくりこない綺麗事ではあるけれども、とにかくあの子を元気にしてあげたいとは思えている。


「そのはず、だよ。俺には、住ませてあげることしかできないけど」

「……、じゃあ、大丈夫だよ。他に何があっても、ディアナさんのことが第一なんだったら大丈夫」


 やっぱり俺は運が良い。

 いや基本的にはあんまり良くないはずではあるけど、少なくとも、しっかりしてて賢いこの子が従妹でいてくれたことは俺にとって…………にしてもなんかこれ慰められてるみたいでかなり情けないよな?


「……まあ、あんな綺麗な人がずっと家にいて、ホントにイチ兄が耐えられるかによるけど、イチ兄にそんな度胸ないだろうし?」


 そしてこれだけあからさまにからかわれても、その通りだから何も言い返せない。


「何もしない、けど、碧音にはそれを、一応見張っててほしいとも思ってて」

「なる、ほど。……めちゃくちゃ情けないこと言ってるのは、わかってる?」


 ついにそのまま言われた。


「ぷっ。ふ、わかった。見張っててあげる。……やっぱイチ兄、全然変わんないよね。ビビリでネガティブで、ごちゃごちゃ細かいこと考えてて」


 しかも笑われた。ビビリ、ネガティブ、ごちゃごちゃ。

 ……言われなくてもわかってるよ。碧音のこういう物言いも、昔からだから慣れてるし。でも外でもこんなこと言ってないかはちょっと不安になるな。


「けど、そのイチ兄がちょうどいいかもね。今の弱ってるディアナさんにはさ」


 だというのに、これで少し救われた気になってしまうから本当にどうしようもない。

 だからもう情けないついでに言ってやる。


「ありがとう。でも……本当に巻き込んだ張本人の俺が言えることじゃないけど、碧音も深入りしすぎないように。それでもし碧音に何かあったら、俺は罪悪感で、たぶん冗談抜きに、おかしくなるので」


 すうっと笑みが消えて、碧音はまた驚いた顔になる。

 そのまま思っていた以上に固まっていて、碧音の中での俺の頼りがいメーターが下がっていくのを感じる。


「その深入りしないっていうのには……」


 突然言い出して、碧音は何度か瞬きしてから、にっと口角を上げる。


「ディアナさんに魔法で空を飛ばせてもらうことも含まれてますか?」

「含まれるに決まってますよね。……やったら独身成人男性がマジ泣きするからな」

「うっわ情けなっ。……もちろん、わかってるよ冗談。私だってディアナさんを利用しようとか思ってないし。そりゃ、ちょっと面白そうだとは思ってるけど、……いい大人がこれだけ恥を忍んで頼んでくるんだから、手伝ってあげる」


 利用しようとか思ってない。喉の奥で違和感が波打つ。

 どうしてもその生意気な笑みの奥に、疑いをかけてしまう。

 ……碧音が自覚していない可能性まで疑って。


 ――だとしても。

 忘れるな。どれだけ情けなくても不安でも罪悪感に息が詰まっても。この子が強い子だということを、忘れるな。

 そしてその疑いがどちらだとしても、俺が『彼女は』利用してしまっていることを、高校生という時間の一部を奪っていることを、忘れるな。


「ありがとう。じゃあその、情けないついでに、報酬も受け取ってほしい」


 やっぱり碧音の表情は固まる。

 ずっと隠し通していたはずの秘密が突然暴かれて、まだどうしていいか決まっていないんだろう。……その間に、話を決めてしまいたかった。


「別に、そんなに高いものじゃなくても」

「大丈夫。使わないから金はあるし。でもその代わり、ディアナがちゃんと普通の生活ができるようにと、……俺があの子を不幸にしたりしないように、手伝って欲しい。お願いできる?」

「その聞き方は……もう、わかったよ。その報酬で、依頼を受けましょう」

「よかった、ありがとう」

「でも、あと一個だけ聞きたいんだけど」


 食い気味で言った碧音は、また半歩踏み込んでくる。


「その、……もう、描くのはやめちゃったの?」

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