3-2.「心は多分正直」②
玄関を開けると、従妹の
斜めに切り揃えた前髪の下で軽く眉を動かしてから、すっと不機嫌そうな切れ長の目で俺を睨んでくる。
「いらっしゃい」と言いながら念のため周りを確かめておく。
独身男の部屋へ、パーカーとスキニーの私服姿とはいえ女子高生が入るところは、あまり不用意に見られていいものではない。
まあ誰かがいたところで、なんでもない風に挨拶するくらいしかできなかったが、運良く今は誰もいなかった。
「お邪魔します」
とかしている間に俺の横をすり抜けて、碧音はさっさと中に入ってしまう。
そのままなんの迷いもなくリビングのドアを開ける。
けれど彼女は、なかなかそこから先に進もうとしなかった。
碧音の頭越しにディアナが見えた。
ディアナも少し驚きはしていたが、ちゃんと「はじめ、まして。私は、ディアナ・メイヤという。よろしく頼む」と言えていた。
言って、返事がない碧音を少し不安そうな顔で見て、俺の方をうかがった。
突然、碧音はすごい速度で振り返った。
首を覆うように丸く整えられた黒髪が、くるりと翻る。
「すごい」
そう言った碧音の表情はあまり変わっていなかった。
けれど目だけは、普段の冷めた雰囲気からは打って変わって、大きく丸く見開かれていた。
「ホントに、ファンタジーじゃん」
「やっぱり疑ってたな」
ツッコむと少しだけ「あ」と口を開けたけど、すぐに「当たり前でしょ」と目を鋭くする。
碧音の言う通り、いきなり従兄から「異世界の女の子を拾った」とか連絡がきたら、そんなの頭がおかしくなったか、何か良からぬことに巻き込まれることを疑うに決まっている。
そもそも普通に怖いだろう。しかも巻き込もうとは実際にしているわけで。
だから、大半の従妹は、そんな従兄の誘いには乗らない。
そして無視で終わるはずもなく、従兄の意味不明な言動は彼女の周りの大人に伝わっていく。
そうなれば終わりだし、そうなる可能性は普通にあった。別に何か確信があったわけじゃない。
……これは、明らかに分が悪い賭けだった。
けれど俺にとっては、これが今できる最善の手だった。
だって俺が連絡先を知ってる女性なんて親族くらいで、その中でディアナと歳が近いのは碧音しかいなかった。
でも俺は運が良かった。
その唯一頼れる子は、ディアナを見ても騒ぎ立てないくらい頭が良くて、
「とりあえず、早く詳しい話聞かせて」
――ファンタジーに興味津々な、オタクの高校生だった。
◯
碧音は、昔から大人びた雰囲気の女の子だった。
いつも周りを少し高いところから見ているようで、実際学校の成績はとても良いという話だったし、あまり友達は多くないらしかった。
本当はくだらないことにも興味があるってことを、俺は彼女が小さい頃から親戚が集まるたびに世話を任されていたから知っていた。
世話がいらなくなってから距離は遠くなっていたけど、今年の正月に親戚が集まったとき、俺は見てしまった。
彼女がバラエティ番組で使われていたアニメのBGMに反応して顔を上げて、それに気づいた俺と目が合って『やべっ』て顔をしたところを。
その約二ヶ月後、彼女がこの辺りで有名な女子高を受験するということになって、なぜかここに一泊することになった。
他の誰に聞かれる心配もないから尋ねてみると、やっぱりそこそこ二次元全般が好きらしかった。
けれどなんとなくキャラじゃないから、親にも周りにも隠しているということだった。
……それから二週間ほどは、受験前に余計なこと聞いてしまったと本気で後悔していたけど。
碧音は無事に合格してくれて、今は隣町の寮に下宿している。
だから、こんな意味のわからない呼び出しに応じてくれて、事情を受け入れてくれている。
……いや、別にこの子の弱みにつけ込んだわけじゃない。
そしてオタクだからって、誰もがこの事態を受け入れられると思うわけでもない。
というよりたぶん、オタクはみんな好奇心はあるから状況は理解できるけど、それがどういうふうに重大なことなのかを、正しく理解して受け入れられる強さをもつ人は、そういないんじゃないかと俺は思う。
……俺は、今もそれができている自信がない。
碧音には、その強さがある気がする。
少なくとも俺が出会ってきたそれほど多くない人たちの中で、この子は一番とも言えるくらい、強くて賢い子だった。
まあ、それなりに身内贔屓はあるかもしれないが。
けど実際に碧音は「信じられないかもしれないけど、異世界の勇者の女の子を拾った。だからちょっと色々手伝ってほしい」的なことを電話で伝えただけで来てくれて、拾った経緯からディアナが逃げてきたことまで全部落ち着いて聞き終わると、
「わかった。とりあえず、このことは絶対誰にも言わない。……もしそういうものがあるんだったら、契約とか制約とか、そういう魔法を使ってもらっても大丈夫です。――で、私は何を手伝えばいいの?」
と、俺が言い出すまでもなく言ってくれた。
……実はディアナが「記憶を消す魔法」を使えることを、事前に確認していたりした。
でも自己嫌悪はあとだ。
俺が汚いことなんて今さらな話。
――そもそも俺はまだ、この碧音の協力に裏があると思っているんだから。
そう。その、賢くて強い子が、なんの目的もなくただ俺の都合の良いように手伝ってくれるわけもなかった。
だとしても、俺はこの子の手を借りなければいけない。
「ディアナに、日用品とかを選んであげてほしい。……その、俺とか、男だと、買えなかったり、分かんなかったりするから」
昨日思ったんだ。
ディアナが最低限穏やかに過ごすための環境を、俺は一人じゃ作れない。
……でも、だからって碧音を巻き込んでいいのか。
ディアナと関わったことで今後何か面倒事に巻き込まれてしまう可能性は、いくらでも考えられた。
そして、――たとえ碧音自身がどう考えていたとしても、もし碧音の身に何かあれば、俺はきっと自分のことを許せない。
結局、正しかったのかはわからない。
しかし碧音に頼る以外、俺には思いつかなかった。
たしかに、ただ同性というだけなら……本当に最悪の場合として、母親という手もあった。
けれど歳の近い同性の話し相手が、今のディアナには必要だと思った。
――だから碧音には頼るけど、また自分の中で決まりを作る。
「……それだけ?」
「うん、とりあえず」
碧音には、ディアナのここでの生活を支えてもらうために頼る。
絶対に、勇者や異世界だとかの事情には関わらせない。
「……わかった。たしかに、イチ兄はそういうのできないだろうし」
きっとこの子は、このまま頼めばぐいぐい関わってくれると思う。
人は基本的に自覚しているより非日常を避けてしまうものだけど、オタクは、高校生は、そういうものに惹かれてしまう。
だからありがたいけど、危うい。
そして危険を避けると同時に。
――ディアナという特別な存在を、碧音の高校生活の中心にしてしまうようなことも、絶対に避けなければいけない。
「じゃあ、ディアナさん。その、さっきはびっくりしてしまって、すみません。私は、古山碧音といいます。これからよろしくお願いします」
「あ、ああ。こちらこそ、よろしく頼む。……だが、その、すまない。私のために、手間をかけさせてしまって」
「いえ! 大丈夫です。私も」
「――そう、そのへんは大丈夫。碧音にはちゃんと後で、俺から報酬があるから」
割って入った俺に、碧音は初めて聞いたような目を向けてくる。
当然だ。初めて言った。
「だから存分に頼っていいし、碧音も、ときどき俺の代わりに手伝ってあげてくれる?」
「そんなの、なくても別に手伝うけ――」
「アイパッドでも?」
きゅっと、碧音の黒い瞳が小さくなったように見えた。
……たぶん色んな驚きが爆発してるんだろう。
欲しかったものがいきなり手に入りそうになった。なんでいきなりそんな話に。なんで私が欲しいものをこの人は知っている。ていうかたぶんこの人は、私が絵を描いていることを知っている。――どうして、どこからバレた?
「一応告白しておくと、俺も描いてた。割と最近まで、結構本気のつもりで」
「……え?」
「それで、その……本当にごめん。この間、受験のとき、チラッとスマホの画面が見えて、描く用のアプリが見えちゃって。勝手に見て、本当にごめん。でも絶対誰にも言わないし、これも一応、応援してるって意味でもあるんだけど、……どう?」
冗談じゃなくこの世の終わりみたいな顔をしたまま、碧音はしばらく固まっていた。
その間ディアナは、不安そうに俺と碧音の顔をちらちらとうかがっていたけど、これは詳しく教えてやるわけにもいかなかった。
色々悟られたくない碧音にとってかなり酷なことをしている自覚はあったけど、タダで付き合わせ続けることは、ディアナにとっても、碧音にとっても、良くないことだと俺は考えた。
「わかっ、た。でも、」
「絶対他の人には言わないし、ちゃんと新品、買ってあげるから」
先にそう言うと、碧音は少し困ったような顔をしてから、小さく「わかった。ありがとう」と俯くみたいに頷いた。
そこで一旦、部屋の中はしんとなった。
次に話さないといけないこともなくなって、碧音に協力してもらうという話は、なんとか落ち着かせることができた。
「イチ兄、ちょっと来て」
と思ってたのに、突然こたつから立ち上がった碧音は俺の手首を掴んで、廊下へ引っ張り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます