3-1.「心は多分正直」①
次の日、俺はコタツで目を覚ました。
寝落ちするほど深酒したわけではなく、昨日のことはちゃんと覚えていた。
あれからもう少し二人で飲んだ。
ディアナはグラス1杯分を少し超えたあたりから増えていた口数が減り始めて、気がついた頃にはコタツに突っ伏して眠っていた。
飲ませすぎたと少し焦ったが、まあ眠れたならそれでもいいかと考えることにした。
けれど机の上を軽く片付けて、このまま寝かせておいていいものかとしばらく考えていたところで、突然ディアナは声を上げた。
それは道端で見つけた彼女が、目を覚まして初めに発したような、とても苦しげな声だった。
すぐにうなされているのだと気づいた。
「ディアナ。ディアナ!」
何度か名前を呼んでも、彼女の声は続いた。
しかたなく、俺は彼女の肩を強めに揺すった。
するとなんの前触れもなく、彼女の瞳が大きく開いた。
勢いよく体を起こして、何度かあたりを見回してから、ぐっと手のひらで口を覆った。
俺はすぐに近くのゴミ箱を掴んで、彼女の前に置いた。
けれどディアナは強く口元に手を押し付けながら、「大丈夫、大丈夫だ」と消えそうな声で言った。
「いいよ。吐いても」
……そう言ってあげないと、きっと彼女は窒息してしまうと思った。
それから彼女は泣きそうな目で俺を見て、数秒後に吐き始めた。
少しだけ嘔吐物を見てしまった。
彼女の生々しいえずきとゴミ箱に液状のものが落ちる音を聞きながら、俺はこの場を離れるべきなんじゃないかと思った。
こんなの、他人に絶対見られなくない瞬間で、ディアナは今とても辛くて、自分が嫌で嫌でいっぱいいっぱいなはずだ。
だからそっと一人にしてやった方がいい。そう思ったけど、嘔吐する声に泣き声が混ざってくると、このままこの子を一人置いていっていいのかと考えてしまった。
結局、俺はコップに水を汲んでから、彼女の背中をさすることにした。
意味があるのかはわからないし、また触れていいのかと悩みはしたけど、彼女は嘔吐と泣き声の間に「ありがとう」と言っていた。
しばらくして落ち着いてくると、彼女は沈みきった声で「すまない」と言った。
俺はティッシュを渡しながら、洗面所で顔と口を洗ってくることを勧めた。
その間にゴミ箱の中身をビニール袋ごと入れ替えて、中身は袋を二重にしてゴミ袋に入れた。
戻ってきたディアナは、俺が勧めた通りにコップの水をすすって、少ししてから「また夢を見た」と教えてくれた。
「どれだけ怖くても、夢は夢だから」
「……けれど、あれはいつか現実になるんだ。私のせいで、いつか、みんな」
無感情にそういう彼女に、何か言ってやりたくはなった。
けど、彼女が抱えるとても大きな問題を、俺は絶対にどうすることもしてやれない。
結局俺は黙っていただけだった。
ディアナはコップを抱えたまま、また一度だけ「すまない」と言った。
「またうなされてたら、起こすからさ」
なんとか絞り出した声は、酒の匂いがする痰が絡んで、とても情けない声だった。
「もし眠たいなら、寝てもいいからね」
俺がそういうと、ディアナはまっすぐに俺を見て、そのままゆっくり「わかった」と頷いた。
コップの水を飲み干して、ディアナはコタツに足を入れた。
念のためコタツの温度は一番低くしておいて、テレビも音量を絞って適当につけておいた。
それからぼーっとしていると、ふいに俺はディアナが吐いているところを見たくなかったんだと気づいた。
誰だって他人が吐いているところなんて見たくないものだけど、単に気分が悪いってだけなのか、彼女の姿が痛々しかったからなのか。
もしかして、彼女が美人だからなのか。
考えている間にディアナは座ったまま船を漕いでいて、横にならせてあげるべきかと悩んでいたら、うなされ始めた。
「ディアナ!」
今度はすぐに目を覚まして、顔色は酷かったが吐き気はないらしかった。
「すまない、ありがとう」と言われて、またしばらくぼーっと何かを考えていて、彼女が机の上で腕を枕にして眠り始めたのに気づいて、テレビでサプリメントの通販番組がやっていて、ディアナと約束したから眠るわけにはいかないと考えて、頬杖をついたところまでは、覚えていた。
それで目が覚めるとコタツだった。
ディアナはまだ目の前で眠っていて、外はもうかなり明るくなったいた。スマホを確かめると、もう十時前だった。
……寝てしまった。約束したのに。
ディアナは俺が眠ってから、またうなされて、目を覚ましたんだろうか。
少なくとも俺が最後に見たときと、体勢や周りの様子は変わっていなかった。
そういえば俺も、座ったまま寝てしまった。
立ち上がると、腰を中心にあちこちが痛い。
こういうときに衰えを感じるのは、さすがにまだ早いんだろうか。
「あ」
ぐっと伸びをしていたときに、ディアナの声がした。
驚いて見ると、彼女の綺麗な緑色の瞳がこちらを見上げていた。
「あ、おはよう」
「あ、ああ。おは、よう……」
俺が謝るより速く、ディアナは「私は、眠っていたのか」と呟いた。
「そうみたい、だね。ごめん、俺もいつの間にか寝てたみたいで」
「そう、なのか」
ぼんやりと瞬きをしたその目元からは、涙が一滴だけ流れ出た。
それを拭いながら、「何か夢は見ていたが、恐ろしいものでは、なかった気がする」と言った。
「とりあえず、寝られたみたいでよかった」
それから俺は朝食を準備する前に、電話をかけた。
どう伝えるかは昨日考えていたが、本当にこれは大丈夫な行動なのかと不安になる気持ちもあって、かなり緊張してしまった。
電話口の声には困惑と不信感が漂っていたが、だんだんと興奮が混じっていったようにも聞こえた。
実際、せっかくの祝日、しかも当日の朝十時に連絡したというのに、『彼女』は1時間後、ここに来てくれることになった。
その間に、トーストと卵を焼いて粉のコーヒーを淹れて、俺たちは遅めの朝食をとった。
ディアナは粉の方も気に入ってくれたみたいだが、俺の真似をして牛乳と砂糖を入れてみると、「こっちの方がいいかもしれない」ということだった。
俺も粉の場合は、たまに甘くしたやつが飲みたくなる。合わせるパンが甘くない場合は特に。
とかやっているうちに時間が経っていた。
急いで歯を磨きながらディアナに歯ブラシと歯磨き粉の使い方を教えて、俺はスウェットをトレーナーとジーンズに着替えた。
ディアナはどうしようと考えている間に、呼び鈴が鳴ってしまった。
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