2-5.「泣いたり笑ったりしてもいいよ」⑤
「おまたせ。今から魚焼くから、もうちょっと待ってて」
「ああ、わかった」
グリルは後片付けが面倒だから、フライパンにアルミホイルを敷いて塩焼きにする。
皮の方から六割焼いて、身の方は蒸し焼きで。久々にやったけど、これってどこで知ったんだっけ。
温め直した味噌汁と、炊き上がった米をお椀に入れてコタツに運ぶ。
つい買ってしまった天ぷらもレンジで温めて、机の真ん中に。
あとは鮭と……しまった、ほうれん草を入れる小鉢がない。仕方がないから適当な小皿に乗せて、鰹節と醤油をかける。
「よし、以上です。食べよっか」
「ああ。ありがとう」
俺が手を合わせて「いただきます」と言うと、ディアナも正面で「いただきます」と真似をした。
そういえば今までは無意識だったけど。
「こういう掛け声みたいなのって、そっちでもあった?」
一口目のビールをあおりながら尋ねてみると、ディアナは白米を飲み込みながら首を振り、
「少なくとも、私は知らない。……だが、私の家では、いつも命に祈っていた。から、とてもしっくりくる」
なるほど。さすがは農家の娘。
「まあ、日本人て何でも神様だと思って、感謝しようとするから」
「そう、なのか。でも、とても良いと思う。命が与えてくれて、イチノスケが大切に料理したから、こんなにおいしいんだ」
と、ディアナは平然と言って味噌汁をすする。
そう言ってもらえると俺としても作った甲斐があった。
実際全部そこそこ上手くできていたし、ディアナも美味そうに食べてくれていた。
――少なくとも、さっきまでは。
日本酒を取りに行っている間に、ディアナの手が止まっていた。
「どうした?」
満腹というにはまだ半分以上残っている。
嫌いなものがあったって、こんなに顔色が悪くはならない。
……まさか、アレルギーか?
「か、体、どっか苦しい?」
もしそうだったら彼女をどう病院に説明すれば、と一瞬背中が冷たくなったが、彼女はゆるゆると首を振った。
ほっとしながら思い出したけど、この子は状態異常無効なんだった。
だったらどうして、明らかに沈んだ顔をしていて、さっきまでおいしそうに食べていたものを食べようとしないのか。
すぐに今朝の会話を思い出した。
「もしかして、また吐くかもって思ってる?」
当たっていた。ディアナは頷いて、俺を見上げる。
「きっと全部、私は無駄にしてしまう」
無駄なんかじゃないとは、俺は言ってやれない。
実際もどしてしまえば、彼女の言う命は意味を果たせないと思ってしまったから。
けど、
「食べたいなら、食べていいと思うよ」
じゃあ食べなくていいよとも、俺には言えなかった。
「少なくとも、俺は許します」
またディアナが、どこか怯えたような目で俺を見る。
「ただし吐く場合は、できればゴミ箱にしてほしいかな。実はトイレって詰まることがあるらしいから」と言って廊下の方を見たのは、なんとなくその目を避けたかったからだった。
ディアナはしばらく黙り込んでいた。
一応「無理に食べなくていいからね」と言い加えて、もう少し経ってから、ディアナはとても小さく「ありがとう」と言って、またスプーンを動かし始めた。
「うん、おいしい」
それからディアナは何度も、だけど慎重に「おいしい」と言って綺麗に完食した。
天ぷらも海老を一つだけだが、衣を不思議そうに眺めてから尻尾まで食べていた。
食べているところを見る限り、やっぱり食べること自体は好きなようだった。
たとえ消化できないとしても、それが彼女を少しでも正常にするなら、それでいいと思った。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま、でした」
いつもなら机の上は朝までこのままだが、食器を片付けながら。
「昨日約束しちゃったけどさ、別に、寝るの怖かったら、無理に寝ようとしなくてもいいからね」
ゆっくりお茶を飲んでいたディアナは、少し目が合ってから「わかった」と頷いた。
昨日微妙にカッコつけて約束しただけあってなんとなくバツが悪かったが、「寝なきゃいけない」と思うほど苦しいことを俺は知っていた。
そんなときは寝られないことを一度受け入れて、ぼーっと思考のコントロールを手放してしまえばいいというのが俺の経験則だった。
悪いことばかり考えてしまうときは、最近読んだ本か漫画の内容を思い出して、そこから連鎖的に妄想するようにしていた。
それでもダメなら、
「あと、夜中も別にテレビつけてていいから。それで前も言ったけど、どうしても寝たかったら、眠くなる薬も一応あるから、遠慮なく言ってね」
言ってからよくよく考えてみれば、女の子に睡眠薬を勧めるなんてとんでもないことをしていたけど、ディアナは「わかった。ありがとう」と頷いた。
それから皿を洗うのは明日に回して、俺はもう少し久々の日本酒を楽しむことにした。
買っておいた安いサラミの塩味が、すっきりとした辛口によく合った。
勧めるとディアナも一枚だけつまんで「おいしい」と言ってから、冷たいお茶をすすった。
そういえば、ディアナっていくつなんだろう。
正面から見ると余計にわからない。
肩幅や起伏の大きな身体、顔付きは子供のものではないけど、やっぱり見慣れない美人だから、高校生にも二十代にも見えてしまう。
「お酒って、飲んだことある?」
「ああ。去年十八になったから」
……まあ、普通に聞けばよかったか。
「そっちだと十八からか」
「えっと、国によって違うが、だいたい国でも十八からだった」
「へー。この国、日本だと二十からだね。ちなみに二十歳未満は飲んでも罰則はないけど、飲ませた側がそこそこ重い罰になる」
「そう、か。大丈夫だ。私は飲まない」
「ちょっと飲んでみる?」
「え。だ、ダメなんじゃないのか……⁈」
ま、本当は絶対にダメだけど。
この子は食べることが好きみたいだし、今の反応だって。
「ディアナは、異世界から来てるから。法律とか、たぶん関係無いよ」
俺が笑いながら言うと、ディアナはまばたきをしながら「そう、なのか……?」と俺を見て固まる。
「いいよ。ディアナがしたいようにすれば」
正直めちゃくちゃな言い分だとは思う。
だけどディアナはついに「では、少しだけ」と折れてくれた。
新しいグラスに1センチほどいれてやると、ディアナは少し匂いを嗅いでから、ズッと小さく口に含んだ。
「あ。おいしい。……これは、何の酒なんだ?」
「米だよ」と答えると、ディアナは「果物じゃないのか……?」と驚いたようにグラスの中身を上や横から眺めた。
「いつもはどういうお酒飲んでたの?」
「そう、だな。ワインやビールが多かった。ときどき、蒸留酒も飲んでいたが、私はあまり強くないから」
「ワインは、そういや今は無いな。てか、酔うのは無効化できないんだ」
「いや、しようと思えばできる。だが、それはすごく違和感があるから、あまりしないようにしている」
たしかにせっかく飲んでるのに酔わないっていうは、たぶん面白くないんだろう。
酔いたくて飲んでるってわけじゃなくても、何かもったいない感じはする。
「やっぱり、結構お酒好きでしょ」
思わず少し笑いながら聞いてみると、ディアナはグラスに視線を落として「そうだと思う」と言った。言ってからまた、一口すすった。
「ごめんね。昨日まで俺ばっかり飲んでて」
「なっ、そんな、謝らないでくれ。イチノスケの家なんだから、なんでも、自由にしてほしい。……そもそも私は、こんな居候の身で、酒なんて、あまりに贅沢な」
「それはいいよ。俺も、どうせなら誰かと飲みたいし」
余計なこと言ったと思って、それで慌てて余計なことを重ねてしまった。
別に俺はあんまり飲み会とか好きじゃないし、一人でちびちび飲む方が好きだと思う。
けど、気を抜いていられるなら、誰かと一緒に飲みたいとか思ってしまうくらいには俺は平凡だった。
「でも、なんか飲み過ぎそうでヤバいから、一緒に飲むのは休みの前の日だけにしよっか」
実際今も、なんかいつもより楽しかった。
俺は自分がセーブできる方だとは思っていたけど、楽しくて美味いなら、いつか飲みすぎてしまう確信があった。
あとそれを習慣化してしまうのは絶対体に悪いとも思ってしまった。
けれどその提案で、遠慮していたディアナを頷かせることに成功した。一度「本当にいいのか?」と尋ねられたが、「大丈夫」と頷くと素直にわかってくれた。
アルコールの強さがワインと同じくらいであることを教えてから「おかわりいる?」と聞くと、「少しだけ」と彼女は小さく頭を下げた。
それから、ディアナの顔が赤くなってきた頃に、俺は一度きちんと確認を取っておくことにした。
「ディアナ」
「ん、なんだ?」
……別にそんなつもりはなかったはずだけど、なんか結果的に酔わせてからみたいな構図になってしまった。
でも幸い、ディアナもまだそこまで酔っているわけではなさそうだった。
「一応、もう一回確認だけどさ、これからしばらくウチにいるってことで、いいよね?」
少し赤くなって潤んだ目が俺を見て、グラスを見て、また俺を見て。
「ああ。もし、イチノスケの方に問題がないのなら」
問題はある。きっとたくさん。
この確認だって、その問題を一つ越えるためのもので。
けどまあ、だとしても。
「俺の方は、大丈夫」
そう俺が言ったあとのディアナの顔から、なぜか少し危ういものを感じた。
具体的に何かは分からないけど、庇護欲か、単に綺麗だったからか、とにかく何か危ういものを、あの安心したような微笑みに。
「ありがとう。では、迷惑をかけるが、よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしく。それで、その、しばらくここに住むにあたって、一つ相談があって。――その、一人、会ってほしい人がいるんだけど」
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