2-3.「泣いたり笑ったりしてもいいよ」③


 とりあえず、自分の部屋に積み上げていたシャツや肌着を洗濯機に突っ込む――前に、洗濯機にはあの子の着てきた服が入ってるんだった。


 どうなんだろう。異世界の服って、普通に洗濯機で洗っていいのか。

 見た感じ普通に綿か麻っぽいけど。

 ……でもまあ、そもそも俺があの子の服を手洗いしようとも思えないし、あの子に自分でさせるのも今は難しい気がする。

 ダメだったときは、そのとき考えよう。

 と決めて、念のためポケットを確認しておこうと、彼女のタイトめなズボンをを持ち上げたとき、はらりと落ちたのはショートパンツのような形の下着と、白く細長い帯――サラシのようなものだった。


 さっとポケットだけ確認して、すぐに洗濯機へ戻す。

 俺の洗濯物も申し訳ないが一緒に入れてしまい、いつも通りに洗剤も入れてスタートのボタンを押す。


 リビングに戻ると、ディアナはこたつに入って、鹿的な何かが泥水を飲むのをぼんやりと眺めていた。

 時計を見ると、まだ昼食にも買い物に出るにも早い時間だったので、俺もソファに座ってぼんやりすることにした。


 スマホで作業のようなゲームをしながら、基本的にはテレビを眺めていた。

 鹿的な動物は大勢でサバンナを移動していた。

 しかし気が付くと、俺はディアナの横顔を眺めてしまっていた。


 改めて綺麗な顔だと思っていた。

 日本人とは明らかに違う。雰囲気は西洋寄りだけど深くはない。鼻はすっと少し高い。目尻の影と目元の隈と睫毛の長さで、垂れ目気味なのに強さがある目付き。眉毛が少し太いのも関わっている。

 不思議な感覚だった。あんなに弱っているのに強さが見えて、そのせいか少女にも女性にも少年にも見える瞬間があった。

 ふと自分の中に、彼女の髪だとかに触ってみたいという欲求があると気がついて、すぐに振り払う。


「……ちょっとさ、色々聞いてもいい?」


 代わりに話すことにした。たぶん何かを確かめたいと思ったはずで、だったら会話で十分なはずだった。

 俺はできる限り何気ない声を出したつまりだったが、ディアナは「ああ」と体ごと俺の方を向いた。


「いや、まあそんな、ちょっと世間話、くらいの気持ちでいいんだけど。……じゃあまず、ディアナってどうやってこっちに来たの? それもやっぱり、その剣の力とか?」

「……ああ。だが、聖剣とはいえ、別世界へ移動できる力を持っているわけではない」

「? それで、どうやって?」

「その、歪な形で魔法を使ったんだ。この剣は魔法をいくつも重ねて、効果を混ぜたり強めたりできる。それで、本で読んだ、理論上でしかあり得ない組み合わせの大魔法を、実際に混ぜて、空間を歪めた。本当に上手くいくとは、正直思っていなかったんだが」

「失敗したら、どうするつもりだったの」

「何が起こっても、元に戻るだけだから」


 それに最悪元に戻らなかったとしても、とは言わなかった、けど。


「……動物、好きなの?」

「……、ああ。私は、家が酪農家で、牛と羊と、馬と犬と、鶏と猫を飼っていた。ずっと、一緒だったから、好き、なんだと思う」

「俺も、人間より動物の方が好き、かな」

「それは、どうだろう。……でも、たしかに動物といる方が、落ち着くかもしれない」

「動物は、基本エサしか求めてこないもんね」

「そう、だな」


 沈黙が戻る。

 気付くと鹿の番組はエンディングで、十二時ちょうどのニュースが始まった。

 どこかで大きな火事があった。郊外で年老いた母を殺した中年の女が捕まった。駅が三つ隣の町で夜中に不審者が現れた。

 少し不安にはなったが、不審者は女性に声をかけた黒ずくめの男で、鎧姿の少女とか、虚な目の少女を連れてる会社員とかではなかった。

 スマホの方でも、やっぱりそれらしい情報は特に見当たらなかった。


「昼ご飯にしよっか」

「ああ」


 こたつから立ち上がりながら、たぶん一人だったらこのままテレビの前で一日潰してたんだろうなと確信した。

 実際最近の休日は、必要な家事以外特に何をすることもなく、昼飯を食べるのも面倒で、夜に腹が減るまでぼーっとし続けていることがほとんどだった。


 昼はパスタを茹でて、ほとんどケチャップだけのナポリタンにした。

 玉ねぎさえ無かったから、つまみ用に買っていたウインナーが無ければ本当に危なかった。

 ディアナの分は少なめにして、ちゃんと完食してくれた。

 あと、また結構良い反応をしてくれて、実際そこそこ美味くはできていたけど、やっぱり今度ちゃんと具も入れて作ってやろうと思った。

 食後には、先月買った未開封のコーヒー豆があったので、ちゃんと豆から挽いてコーヒーを淹れた。

 ディアナはコーヒーも知らなかった。軽く説明して、一応苦いものだと注意したが、


「……あ。おい、しい。たしかに、苦いけど、嫌じゃない。すごく、良い香りだ」


 大丈夫らしかった。牛乳や砂糖を入れる飲み方もあると教えたが、結局ディアナもブラックで飲みきった。


 コーヒーを飲む間、あの聖剣が他にどんな力を持っているのか尋ねてみた。

 聞けば聞くほど、やっぱりチートだった。

 ゲーム風に並べれば、既に聞いていただけでも自動蘇生・状態異常無効・自動翻訳・自動魔法習得・消費魔力軽減・代謝効率化。加えて、身体強化・感覚補正・収納機能。

 あとは当たり前のように呼べば手元に飛んでくるし、錆びもしないし刃こぼれもしない、基本なんでも斬れる。

 まだまだあるが、ディアナも把握しきれていないらしい。

 とにかく基本なんでもできる、悪ふざけみたいな最強武器。


 ……そんなもの持たされてしまえば、もはや本来の意味の『勇者』ではないじゃないかと思ってしまうほどの。


「私には、過ぎたものだった」


 最後にディアナはそう付け足した。


「俺も、使いこなせる気がしないな」


 共感しながら、でも昔はそういうのに憧れていたはずだと思い出した。

 特別な力。特別な役割。

 今はちゃんと、自分の身の程も、そもそもあり得ないことも知っている。

 昔もたぶん知っていたはずだけど、昔はほんの少しだけ、本気で期待していたはずだった。

 その聖剣を便利だとも羨ましいとも思うが、正直欲しいとは、もう思えない。


 そんなとんでもないものを、持たされたって。


「命懸けで世界のために戦うとか、できるわけないよ。普通に仕事して普通に生きるのもギリギリだし」


 戦うということがどれだけ辛いものなのかさえ、俺には見当もつかない。

 だけど毎日パソコンの前に座って、打ち合わせしてコードを打ち込んで、なんで動かないのか唸りながら考えて、何度も何度もテストして修正して。

 それより楽なわけがないし、だったら絶対に耐えられるわけがなかった。


「でも、私ができないと、いけなかった」


 膝の上に置いていた聖剣を、ディアナはゆっくり胸に抱える。


「どうして、私が選ばれたんだ」


 問いかけても、別に剣が返してくれるわけでもないらしい。

 だったら俺に答えてほしいのだろうか。けれどそんなの、俺が知ってるはずもない。

 とりあえず待つしかない。ディアナがまた何か話し出すのを。

 自分のコーヒーをすする音が、居心地悪く部屋の中で響く。


 ……いっそのこと、そんなもの海にでも捨ててしまってはいけないのか。

 それのせいでこんなに苦しんで、自分を責めることになってるんだから。いくら便利だからって。いくら6回生き返らせてもらってるからって。いくら世界を救うためのものだからって。


「すまない。変なことを、言ってしまって」


 と、彼女が剣を抱きしめたまま上目に俺の方をうかがったとき、何も言わないことを非難されている気がした。

 勝手に、彼女は慰められたいんだと思って、それに勝手に焦って苛立ちそうになった。

 鼻の奥まできていた溜め息を、なんとか堪える。

 無性にタバコが吸いたくなってきた。


「大丈夫。むしろそういう悩み事は、どんどん口に出した方が良いよ。俺は、聞くことぐらいしかできないけど、少なくともここでは、どんどん言ってくれていいから」


 ディアナは少し固まってから俯いて、とても小さな声で「ありがとう」と言った。

 俺はちょっと笑ってから、コーヒーを飲み干して、カップを流しに置く。

 そのまま換気扇の下で吸おうとしたが、なんとなくディアナの近くで吸うのは気が引けた。


 最寄りのスーパーには喫煙所があった。

 少し早いが、ついでにこのまま買い物を済ませてしまうことにした。

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