2-2.「泣いたり笑ったりしてもいいよ」②


「よし、じゃあまず、キッチン周りから教えます」

「ああ」


 一瞬、隣に剣を背負った赤髪の女の子がいることに違和感をもったけど、すぐ気にしないことにする。

 剣はなぜか背中のすぐ近くで浮いているけど、気にしない。


「まず冷蔵庫。食べ物を保存しとくためのもので、中が常に冷たくなるようになってます」

「おお」

「次は、電子レンジ。食べ物を中に入れて、ここで時間を設定して、このスタートを押すと、あとは勝手に温めてくれます。温める時間は、大体食べ物の袋に書いてます。この冷凍パスタだと、ほらここ、6分」

「おお……」

「次、電気ケトル。ここに水、あ、これ水道なんだけど、ここを上げると水が出ます。飲める水だから、これをここに入れて蓋をして、このスイッチを押すと、一分くらいでお湯が湧きます」

「おお……!」

「あとは、トースター。軽く焼いたりできる機械で、ここの網の上に乗せて、ここを回すと、回した分の時間だけ焼いてくれます」

「お、おお……」


 ディアナが使うとすれば、一旦はこれくらいだろう。

 他に何かあったかと見回していると、一瞬ディアナが俺の方を見たのがわかった。

「何か質問ある?」と聞くと、彼女は少し考えた後に尋ねてきた。


「これも、もしかして、全部デンキで動いている、のか?」

「そうだね。今言ったのは、全部電気」

「デンキ、便利すぎないか……?」


 そこで笑ってしまったのは、チートの聖剣を背負った彼女に言われたからか、凄まじく当然のことを彼女が大真面目な顔で言ったからか、もしくはやっぱりあまりにも期待通りな反応だったからか。


「ごめん。うん、たしかにそうだね。電気って、便利だから使われてるものだし、みんな世の中を便利にするために頑張ってるから」

「そう、か」


 俺が笑っても、彼女は真面目な顔のまま一度頷くだけで。


「この世界は、きっと平和なんだな」

「うん。まあ、世界でも、この国は特に平和な方なんだけどね」


 ……その彼女の言い方が、とても他人事のように聞こえたから。


「でも、この世界には魔王も魔神も、厄災もいないし、魔物も、モンスターもクリーチャーも全部いないから。怖いとしたら人間だけど、この辺は家賃相応に治安もいいから、とりあえず鍵かけて家の中にいれば絶対安心だよ」


 意味はないとしても、一応言っておいた。

 ディアナはそれなりに驚いた顔をしていたけど、「そんなこと、あるんだな」と言った声はやっぱり静かだった。


「魔神と、魔物以外は聞かない名前だったが、それも物語の話なのか?」

「ああ、うん。……たぶん、ディアナからしたら贅沢な話だと思うけど、人って平和過ぎると、刺激が欲しくなるんだよ。楽しめるのも、本物を知らないからなんだろうけど」


 そこで一旦会話が途切れたから、昨晩と今朝の食器を洗うことにした。

 簡単にスポンジと洗剤の使い方、けれど洗い物をする必要はないことを伝えながら、いくつかのグラスとカップ、お椀を洗って水切りに乗せる。

 その動作を、ディアナはずっと隣でぼんやりと見つめていた。


「それくらいの方が、いいんだろうな」


 手を拭き終わる頃に、そう聞こえた。

 何のことを言っているのかは遅れて気づいたが、彼女がなんとも言えない微笑みを浮かべていたから、何も言えなかった。


「平和で便利なことに、越したことはない」


 少しずつ微笑みが薄くなっていったから、俺は「そうなんだろうね」と頷いた。

 ついでにコンロに火を付けて、「言い忘れてた。一応これが火口で、ここを押してから回すと、火が出せます。こっちは電気じゃなくてガスだけどね」と言うと、ディアナは「やっぱり便利だ」と静かに言った。



 キッチンの次は洗面所と風呂について教えた。

 洗面台では歯ブラシ、歯磨き粉、ハンドソープについて。

 昨日、彼女の髪から牛乳石鹸の匂いがすることに気付いていたから、風呂ではもう一度シャンプーとボディソープについて、どうして使う必要があるのかも含めて説明した。

 けれど説明しながら、彼女の長い髪に合わせたものと、あとコンディショナーを買ってやるべきだと思った。

 洗濯機を教えたときも、服は家を出ないからいいとして、いつまでも下着をごまかし続けるわけにはいかないと気付いた。

 他にも色々、彼女がここで生活するには足りないものがある。


 ……買ってやらねばならないのだ。

 一人暮らし彼女無しのはずの俺が、女の子の生活用品を。


 気付いた瞬間洩れそうになった溜め息を、なんとか飲み下す。

 最後にトイレの使い方を教えつつ、消臭スプレーを頭の中の買い物リストに追加したところで。


「すまない。イチノスケに、謝らなければならないことがある」


 振り返ると、既にディアナは深々と頭を下げていた。


「……どうしたの?」


 すると、明らかに言いづらそうな間を空けた後に。


「昨日と、その前日に食べたものを、私はここで吐いて、流してしまった」


 それはなぜか、俺にとってはそこそこの衝撃だった。

 でも言われてみれば当たり前だった。

 あれだけ、心が危なくなるくらいに追い詰められている子が、いきなりお腹いっぱい食べたって、受け止められないことなんて。


「でも、本当に美味しかったんだ。あの、カップメンもハンバーグも、温かくて、味がした。だから、本当に、すまない」

「ああいや、それは全然、大丈夫。場所もここで正解だから……でも、こっちこそごめん。全く気付かなかった」


 本当に全く知らなかった。

 なんとなく、俺が見ていないときの彼女は、布団の上から微動だにしないものと思っていた。


 もどしているのが夕飯で、俺が気付いていないということは、それは夜中に起こっていたことなのだろう。


「……それってさ、もしかして、寝られないことと関係あったりする?」


 頭を下げていたディアナが、びくりと震えた。

 言いたくないのだろうと思っていて、聞いたって仕方ないと思っていたから聞いていなかった。

 今だってそう思っていた。

 本当に、頭の中で繋がった勢いで、思わず聞いてしまっただけだった。


「眠ると、夢を見るんだ」


 ディアナは頭を下げたまま話し始めた。

 くすんだ青色の紐でおさげにした髪の二房は、一つが肩に乗って、一つが彼女の顔を隠していた。


「あまり詳しくは覚えていないんだが、いつも最初は心地良いんだ。それが、だんだん苦しくなってきて、気付くと、みんなが私に失望したり、私を、責めていたり、何かに、苦しめられて、いたりして」

「ディアナ」


 彼女の声には、少しずつ震えが混ざっていた。

 やっぱり彼女は怯えきったような目で、俺を見上げた。


「とりあえず、それは夢だし、ここはもう別の世界だよ」


 ぐっと眉が歪んでから、ディアナは「そうだったな」と力のない声で言った。

 ……楽になるような言葉さえまともに言ってやれないくせに。

 何もしてやれないくせに。俺は。


「まあ、大丈夫だよ。泣いても吐いても。防音してくれてるし、ちゃんとトイレで吐いてくれてるし。もし汚しても、便利な洗濯機があるから」


 俺が少し笑いながら言うと、ディアナは「ありがとう」と口の端を動かしながら言った。

 あとは、そうだ。


「じゃ、あともう一個だけ教えとこうか」


 場所をリビングに変える。ディアナは大人しくついてくる。


「これ。テレビ、って言うんだけど」


 こたつの上にあったリモコンの電源ボタンを押すと、日曜昼間の陽気な情報バラエティが映る。

「え」と洩らしたディアナは、半歩後ろに下がった。


「大丈夫。人が見えるだけで、実際にいるわけじゃないよ」

「……。向こうにも、こっちが見えているのか?」

「いや、見えてない。なんて言ったらいいかな、その、こういうの動画って言うんだけど、要するに動く絵って感じかな。えっと、カメラ、っていう道具を使ったら、こういう人間が見えてるのと全く同じ絵を描くことができて、それをもっとスゴくしたら、動くようになるって感じ」


 だいぶと大雑把な説明をしてしまったが、「そうか。絵、か」と、とりあえずディアナは肩の力を抜いてくれた。


「そう。それでこのリモコンのボタンを押すと、絵が切り替わる。時間とか、ボタンの数字によって内容が違うんだけど、例えばこれだったら色んな場所の美味しいものを紹介してるし、これだと、昔のお話の、演劇みたいな感じだし、これだと色んな場所で最近起きた事件とかが、説明されてたりとか」


 リモコンを渡してみると、ディアナは慎重にチャンネルボタンを一つ押す。

 切り替わった番組は海外の動物ドキュメンタリーで、鹿のような何かの大群がサバンナを駆け抜けていた。


「まあ、ディアナからしたら意味わかんない話ばっかりかもだけど、ぼーっとでも見てたら、結構気が紛れるかなーと」

「……そうかもしれない。ありがとう」


「どういたしまして」と言いながら部屋を見回したが、ディアナが使いそうなものはひと通り説明できたようだったから、ディアナには好きにテレビを観るように言って、俺は溜まった洗濯物をどうにかすることにした。

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