2-1.「泣いたり笑ったりしてもいいよ」①


 鳴り響く目覚ましを止めると、八時二十五分だった。


 少しだけ混乱したけど、デジタル表示の隅には『SUN』とあって、すぐに昨日の出来事と、ディアナの朝食のために目覚ましをかけたことを思い出した。


 スウェットにパーカーを羽織りながら、昨日号泣したことを思い出して変な声が洩れた。

 でも寝覚めが良かったのはたぶんそのせいだった。


 冷たい廊下に出ると、冬の寒い匂いがひんやりと鼻を通り抜ける。

 けれどリビングは、エアコンの暖かく埃っぽい匂いと、それ以外の匂いで満たされていた。


「さむ、おはよう」

「……おはよう」


 まだ見慣れない赤髪と綺麗で虚ろな瞳。

 ディアナはやはり、部屋の隅に座っていた。

 昨日と違うのは膝の上に布団がかかっていることだった。


「どう、寝れた?」

「ああ。何度か」


 布団は俺がかけた。

 昨日、また放っておいたら布団の上で丸くなるのが目に見えていたから、俺は横になって寝るように言った。しかし彼女がそれを嫌がったから、せめて布団くらいと思ってかけた。

 目の隈の暗さは、昨日までと変わっていなかった。

 どうして横になりたくないのかは、聞いていなかった。

 彼女も言うつもりがないようで「癖だから気にしないほしい」の一点張りだった。


「ちゃんと寝たかったら、眠くなる薬とかあるけど、飲む?」

「……ありがとう。だが大丈夫だ。あまり眠らなくても、問題のない体質だから」


 ショートスリーパーというやつか。それが本当だったら、羨ましい限りではあるけど。


「あんまり体調良さそうには見えないけどね」

「……だが、大丈夫だ」


 どう見ても大丈夫ではない、と言ったって、彼女の何かが変わるわけでもなかった。


「わかった。じゃ、朝ごはんにしよう。食べれそう? スープだけにしとく?」

「ああ。そうしてほしい」


「了解」と答えながらこたつの電源を入れる。「こっち入っていいよ」と言うと、ディアナは「わかった」と掛け布団をきっちり半分に折ってから、ゆっくりとした動作でこたつへ移った。


 それを見守ってから、キッチンに立つ。

 食パンと目玉焼きでも焼こうかと思っていたが、パンは六日、卵は三日消費期限を過ぎていた。

 探してみるとインスタントの味噌汁とパックご飯があったから、それで誤魔化すことにした。


 電気ケトルの湯が沸くまでの間、ディアナが横にならない理由を考えていた。

 彼女が勇者で、旅をしていたのなら、すぐに思いつくのは無防備になりたくないから。

 彼女自身もそう言っていた。

 けれどチート的な力を持っていて、そこまで恐れることがあるのだろうか。身を守る結界的な魔法だとか、危険を察知するレーダー的な魔法より先に、部屋を防音にする魔法を覚えるだろうか。


 そんなわけないんだとしたら、やっぱり俺が考えても仕方ない。


 二つのお椀に味噌をしぼり出してから、片方はコーンスープの方が良かったんじゃないかと思った。しかし出してしまったものは仕方ない。

 注いだ熱湯の湯気は温かい匂いだったが、やっぱりインスタント特有の匂いがした。

 ちょうどレンジの音が鳴って、ご飯には鰹節と醤油をかけた。


「ほい、お待たせ。味噌汁です」

「ああ。ありが、とう」


 茶色く濁った謎の汁物に、ディアナはわかりやすく戸惑った顔をした。


「これと醤油の味を楽しめるかどうかで、この国の食べ物を楽しめるかが決まる」

「そ、そうなのか」

「まあ、他にいくらでも食べるものはあるけどね。それに入ってる味噌と、これにかかってる醤油っていう調味料、両方大豆を発酵させて作るんだけど、この国の料理にはだいたいどっちかが入ってるから」

「……チーズやヨーグルトなら知っているが、大豆は初めて聞いた」


 しかしディアナはお椀を両手で持ち上げると、少し匂いを嗅いでから、すんなりと汁に口をつけた。


「ず、……あ、おいしい」

「お。いけそう?」

「ああ。たしかに変わった味だが、なんというか、温かくて落ち着く味だ」


 魔法が使える異世界人にも、味噌汁の魔力は通用するらしい。

「よかった」と言いながら、俺もお椀から一口すする。変わらない、インスタントの温かい味。

 そして汁の中からワカメをつまみ上げたとき、正面でディアナの腹がぐぅと鳴った。


「あ、お腹減ってきた?」

「……すまない」

「いいよ全然。じゃあ、これ食べて。醤油と鰹節かかってるけど、味噌がいけたんだったら、たぶんいけると思う」

「だが」

「いいから。まだあるし、これも電子レンジですぐだから」

「……。そう、か。では、頂く。すまない」


 容器ごと彼女の方へやってから、自分のぶんを温めにいく。

 レンジにパックを放り込んでから覗いてみると、ディアナは熱々の米にもだえながら、スプーンでは次の一口をすくっていた。

 口にあって良かったと思った。けれど同時に、朱色の髪と緑の瞳の美少女がグレーのスウェットを着て、醤油と鰹節だけのパックご飯とインスタント味噌汁をありがたそうに食べている光景には、違和感というかほとんど罪悪感を感じた。


「晩ご飯は、もうちょっとちゃんとした和食にするから」

「……? これも、ちゃんとおいしいと思うが」

「そう? 醤油、気に入った?」

「あむ、ぐ……ああ。これも、落ち着く匂いで、好きだ」


 笑いながら「それは良かった」と言いつつ、尚更ちゃんとしたものを食べさせてやらないといけない気がした。

 というかちゃんと食べろとか言ってるくせに、ディアナが来てから未だにまともなものを出せていなかった。

 じゃあ、後で買い物に行くか。ついでに色々買い足すとして、その前に。


「片付けながら、色々教えるね」

「むぐ、む。――ああ。よろしく頼む」


 と、俺の半分独り言に反応したディアナの頬には、しっかり米粒が付いていた。指でさしてやると、「すまない」と言いながら取った米粒を口に入れる。

 色々考える前に、まずは俺も朝飯からだった。

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