8-3.「There is always lights」③


 外は雪が降ってもおかしくないくらいに寒くて、まだ真っ暗だった。


 コートを羽織りながら、まずは玄関の前で手を伸ばしてゆっくり動かしてみる。

 あの子ならもしかしたらいるかもしれない、と思ったがそんなうまい話はなく、俺は玄関前で奇妙な動きをするところを、隣の早起きなじいさんに見られてしまった。


「あはは、なんか蜘蛛の巣が、おはようございます」とごまかして横を通り過ぎたが、ずっと後ろから視線を感じた。


 それで少し頭が冷えて、そういえばどこを探せばいいのか考えていなかったことに気づいた。

 これで冷静なつもりだったので、少し笑えてきた。


 ……前提として。

 探すって言ったって、あの子が本当にどこか遠くへ飛んでいってしまっていたら、もしも目の前にいたって『透明化』を使われていたら、

 ――あの子が本気で俺から離れようとしていたら、もうどうしようもなかった。


 しかし俺は、そうでない場合にしか彼女を見つけられないし、見つけられないなら俺にできることはそこまでだ。

 もう俺が用済みになっているならそれでも構わない。

 けど俺は、あの子の弱さに賭ける。


 でも、その賭けに勝っていたとしても、あの子はどこを選ぶのか。

 俺がもしかすると見つけられる場所。

 俺とあの子が知っている場所。

 出会った路地、人のいない公園、最寄り駅周り、ショッピングモール、牧場、海辺。


 あとはそうだ。生真面目なあの子は、もしかすると碧音に会いに行くかもしれない。

 そうでなくても碧音ならあの子の居場所がわかったりするかもしれない。


 ひとまずあの路地を通るルートで公園へ向けて走り出しながら、すぐに電話をかける。

 コール音が五回鳴ったところで、そういえばまだ朝の六時前だったと思い出した。


『……なに。何時だと思ってんの』


「うおよかった。て、電話しといてあれだけど、寮って携帯預かられたりしないの?」

『……サブ機。切っていい?』

「ごめん。その、ちょっとテンパってて」

『なんで』

「……その、ディアナが家出した」


 少し間をおいた後、スピーカーの向こうで体を起こすような音がして、もう一度『なんで』と、真剣さが増した低い声がする。


 簡単に、けれど全部、公園へ向かって軽く走りながら話す。

 それぞれにどういう感情があってディアナが出ていくことになったのか。

 俺はどうして、もう一度あの子を拾いたいと思っているのか。


「そんで、もしかしたら碧音のとこに、お別れの挨拶とかで、行ってないかな、っていうのと、もし来たらどうにか捕まえて、俺に電話ほしい、って話なんですけど」


 そうして締めくくるが、しばらく電話の向こうからは何の声もしない。

 まさか二度寝したのか。


『……そうなっちゃうかぁ』


 かと思えば、喉の奥で息が鳴ってる、電話だからギリギリ聞こえたような声がして。


『私のせいだ』

「それはちが」


『私さ、最初から二人にくっついてほしかったんだよ』


 いきなりだったから。足が止まってしまった。


 ……だってそれは話が違った。

 碧音はディアナの相談役と同時に、俺の監視役を――俺がディアナに妙な気を起こさないか注意する役目を、果たしていてくれたはずで。


「な、なんで、そんなことを?」

『……。二人が心配だった』


 沈んだ小さな声。だけどさらに、どうしてそんな話になるのかがわからなくて。


『異世界から逃げてきて、弱りきって一人ぼっちのディアナさんと、その明らかに異常な女の子を拾えちゃう精神状態のイチ兄。どっちも一人じゃ危ないから、二人で支え合えばいいと思った』


 スマホのスピーカーからこんこんと聞こえてくる碧音の声は、怒っているようにも聞こえた。


『でも、たぶんそこまでは良かった。そのあと私、焦っちゃったんだろうね。このままほっといたら本当に何もないまま全部終わるんじゃって思って、……あと他に色々ごちゃごちゃになって、勢いで、イチ兄に発破かけちゃった』


 けれどそれは、努めて低く平坦にしているらしかった。


『二人には二人の距離感があったのに、私が余計なことしちゃった。……私、イチ兄にディアナさんを助けて、自信をつけてほしかった。なんか少し前から、イチ兄が変わってる気がして、それが嫌で、でもそこに踏み込んでいいのかわからなくて、……結局私、ディアナさんを利用しようとしてた。そのせいで』

「碧音」


 少なくとも、電話口での碧音の声は泣いていなかった。

 変わらず怒っているように聞こえたし、実際にこの子は自分に怒っていたんだろう。

 従兄を裏切って、ますます自信を失っていく従兄を元気づけようと、裏で画策していた自分を。


 もう一度、走り出す。


「やっぱり碧音は、俺の自慢の従妹だ」


 またしばらく間を空けて『は?』と低い声が聞こえる。


「たぶんディアナと出会ってなかったら、碧音が従妹ってことが、俺の人生で、一番の、特徴になってたんだろね」

『なに、……え? 急に何言ってんの?』

「ごめん今ちょっと、変なテンションなんだと思う。走ってるし。でも、本音だよ。本当に、優しい良い子に育ってくれて、よかった」

『良い子、なんかじゃ』

「でも、碧音は俺とディアナを買い被りすぎだ。碧音が何もしなくても、俺らは、失敗してたよ。結局こうなってたか、最悪気付かないまま、二人で、バッドエンドルートに、入ってたかも」

『二人で共依存して、ズブズブの関係になっちゃうルート?』

「いや……まあ、ざっくり言えばそう、かな」

『“共”、でも、やっぱり嫌なんだね』

「……そこに少しでも、ディアナの後悔があれば」

『なくても、本当にイチ兄は受け入れられたのかな』


 気づけば電話の向こうの碧音の声は軽くなっていた。


『……でも、イチ兄はまだしも、ディアナさんにそういう面があるのは、完全に誤算だったね』

「うん。危ういのは、わかってたんだけど」

『真面目で純朴で、ちゃんと大人な見た目より内面は幼くて、イチ兄にはちょうどいいと思ってたんだけど』

「碧音、事実だとしても、言い方がある」

『ごめんなさい。……でも、そこに魔性があるのかも』

「魔性?」

『ふ、なんかディアナさんに全く似合わないね。まあ、あったとしても絶対無自覚だろうし、……私も、ディアナさんは本当に優しい人だと思うよ。優しくて、弱さを持ってる人』

「その根拠は?」

『女の勘』


 笑ってしまって、キレる碧音をなだめている間にようやく公園へたどり着いた。

 見回してもやっぱり誰もいないけど、一応トイレは確かめておかなければ。


『だからイチ兄、ちゃんとディアナさん連れて帰ってきてね』

「うん。本当に見つけられたら、だけど」

『見つけても、ちゃんと帰ってきてね』


 そこでようやく、碧音の声がだんだんと弱くなっていたことに気付いた。


『絶対、早まってディアナさんについて行くとか、絶対、絶対やめてね』


 そして碧音に、これからも心配をかけ続けるということにも。


「ありがとう。碧音」

『は、はぁ? べ、別に』

「あのさ、碧音」


 そこでまた、不安になってしまった。


「……俺、このままディアナ探しに行っていいと思う?」

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