源平合戦異聞 全てを破壊しながら突き進むバッファロー編

葉野ろん

倶利伽羅峠/一ノ谷/鎌倉地獄変

 大夫房覚明には三分以内にやらなければならないことがあった。

 所は倶利伽羅峠、時は寿永二年。右手には仕える主・木曾義仲が、左手にはその妻・巴御前が。背後には五千騎の軍勢が、そして眼前には——十万はあろうかという平家軍が厳然として構えていた。


 覚明は興福寺の僧であった。平家追討の機運に浮き立ち、卓越の才智と生来の悪口でもって、逆徒清盛なにするものぞ、などとしたためてしまったのがまずかった。怒り狂った平家に追われ、ついには自ら漆をかぶり、人相を変えて逃げ出した。しかして、檄文を書いたときも漆をかぶったときも、身ひとつでどうにでもしてやる、という心持ちは揺らぐことがなかった。それが今はどうだ。拾われた義仲の軍に、右筆として取り立てられたはいい。が、当の義仲は豪放にして傲慢、率いる軍は精兵でも僅少、いま目前に迫る平家の軍勢に敵うはずもなかった。それを義仲は先刻から、

  覚明の策に任せる。

といって動かない。大概にしていただきたい。この大将はいやなお人だ。粗暴。尊大。考えなし。私に何をさせようというのか。策といって何ができる。兵法だって読んではいたが、神業を起こせるわけじゃない。ほら、敵はしびれを切らしている。もうあと三分ほどで、我々はひとたまりもなく潰される。

 とそこへ突如、敵軍へ向けてまっしぐらに駆け降りる黒い塊を覚明は確かに見たのだった——



 多田蔵人行綱には、三分以内にやらねばならないことがあった。所は鵯越、時は寿永三年。あの木曾義仲の華々しい軍功から、わずか一年しか経ていない。しかし目まぐるしく戦局は変わっている。平家は都から逃げ出し、あの義仲もすでに滅んだ。その一方で少しも衰えをみせない、無鉄砲な将の一番駆けに、行綱も付き合わされていた。


 摂津の武者行綱は気を見るに敏、と噂された。褒めそやされているのではない。平家の権勢強かりし頃、平家を討たんと集まった仲間を、清盛に売って歓心を買った。そう噂されていたのだ。その行綱が、義仲の勢い強しと見るや、平家を敵とし始めた。確かに平家はみるみるうちに立場を悪くしていった。ついには義仲に追われ、都落ちの憂き目を見た。しかしここでも行綱は、義仲に楯突くことになる。するとどうだ、今度は義仲が滅んでいくではないか。

 その義仲を討った大将・源九郎義経が、今の行綱の友軍である。平家を討とうと言って、ぐんぐん軍を進めていった。正面は自分が行く、行綱は裏手から頼む、とは言った。しかしその裏手というのが鵯越、切り立った崖なのだ。

 義経は何を考えているのか。わかりきっている。自分のことしか考えていないのだ。行綱がうまくやれば自分の手柄にするだろう。遅れれば責めるだろうか。あるいは義経が、信用のない行綱を陥れたのだと言う兵までいた。では行綱は何を考えているのか。彼のほかは、誰にもわからない。ただ明らかなこと、あと三分ほどで義経の軍は一ノ谷に至る。

 まさにそのとき、行綱たちを押し出すように、背後から迫る何かがあった——



 文治五年、梶原平三景時にはやるべきことがあった。平家が滅んで四年。ここ鎌倉には、いまだ安穏は訪れていない。内紛。謀略。族滅。血闘。そして今も、未曾有の危機が刻一刻と近付いている。


 梶原景時は武人であった。抜き身の刀と評され、柄を持つのは頼朝ただ一人とも言われた。実際、彼は頼朝のためにのみ戦った。頼朝と鎌倉を守るためなら誰でも斬った。宇治川、一ノ谷、藤戸、壇ノ浦、数々の戦場に景時の姿はあった。武士団を統率し行動を監督することが景時に与えられた任務であった。戦だけでなく、文書記録や雑事訴訟にも彼は取り組む。こう見えて和歌や器楽の修練も積んでいる。あらゆる仕事にたゆみなく心血を注いだ彼は、いまや鎌倉の顔役にまでなっていた。連日さまざまの人々が彼のもとを訪れる。

 平家に追われて興福寺から逃げ出し、義仲に仕えていたという僧にも先日会った。景時に言わせれば、粗暴で尊大な輩だった。

 次々と立場を変えながら戦いを続け、鵯越を駆け降りた武将とも対面した。景時の目には、無責任で自分本位の男と映った。

 ただどちらも、戦場の日々を楽しげに話していたことがどこか棘のように胸に残った。付き従った主、轡を並べた友、思いもかけない出来事を、まるで昨日の事のように物語っていた。それがほんの少し、景時には羨ましかったのかもしれない。景時は戦いを楽しまなかった。源九郎義経の下で戦ったときには、彼の奔放さにほとほと困り果てたほどだ。しかし景時が源九郎を追い落としたのは、決して個人の恨みではない。源九郎はいずれ鎌倉を壊す。そう判断したから追い出した、その結果がこれだ。

 かつての源九郎との会話を思い出す。


——船を出せ。今より戦に出る。来たいものは来い。

 お待ちください。今はその機ではありません。戦には駆け引きというものがあります、時に進んで、時には退きもして、より正しく動いたものが勝つのです。今は進む時ではないと存じます。

——知ったことか。それで何が楽しい。お前の足は留まるためにあるのか。お前の馬には逃げることを教えたか。お前の船には逆さに櫓をつけてやろうか。

 そうではありません。戦は楽しむものではない。勝つために戦うのです。勝ちの見えぬ戦など、身を滅ぼすだけの……

——みな、梶原の言うことなど聞くな。おのおの好きに戦え。ただ、退きはするな。退けば味方でも斬るぞ。

 ついてゆけぬ。それでは誰もついてはゆきませんぞ。

——好きにすればいい。


 結局、景時はこのとき陣に留まり、源九郎たちは戦果を挙げて帰ってきた。この者は修羅だ、獄卒だ、と思ったのを確かに憶えている。いずれ牛頭馬頭を引き連れて、鎌倉を地獄に作り替えてしまう。そう思ったからこそ、鎌倉に彼を入れぬよう手を尽くしたのだが……


 そこここに築かれた砦は、見る間もなく潰れてかき消える。進む兵も退く兵も、区別なく倒れて踏み敷かれる。射掛けた矢を払いもせずに、武蔵坊弁慶が先陣を切る。白髪を奮い立てて、十郎兼房が負けじと駆ける。あの兵は平家の落人、あの兵は義仲の郎従。多くの戦場を見てきた景時には、思い当たる顔がいくつもあった。どうしたことか、例の大夫房覚明も、多田行綱もいるではないか。まるで羅刹か亡者の軍勢。その軍の奥には確かに、あの者の姿が見える。そして彼らを背に乗せ、道々を押し流すように鎌倉に迫るのは、地響きを伴って寄せ来る、全てを破壊しながら突き進む——

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