23 推しになりたい

 三日、ジローは何もできなかった。

 ルネは以前のように部屋に閉じこもっている。

 そして、ライブの開催日は刻々と近づいていた。


 三日の間、ジローは何度かルネの部屋を訪ねようと考えた。でも、実際にルネに会って何を言えば良いのか、何をすれば良いのか、思いつかないままだった。

 それでも三日目、ジローは意を決してルネの部屋を訪れた。


「導師様、ルネ王子のことをよろしくお願いします」


 扉を開く前、ルネの侍従は小さな声で言って頭を下げた。そう、城の誰もがルネのことを心配しているのだ。

 そして今、閉じこもったルネを救い出せるのはジローだけだと、誰もが思っていた。

 それらの期待も、今のジローにとっては重い荷物だった。けれどきっと、ルネはこれまでこれ以上の重さを抱えていたのだ。


「ルネ王子」


 最初に会ったときのようにソファーにうずくまるルネに、ジローはそっと声をかける。

 ルネはますます小さく丸まって、顔をあげようとしない。


「そのままで良いです。聞いてください」


 ジローはルネの隣に立つと、目を閉じて深呼吸した。

 それから目を開けて、歌い出す。

 それは、ここまで二人で練習した『寄り添う光』だった。


 ──「ねえ、どうしたの?」

 ──声をかけずには いられなかった


 ジローは歌に関しては素人だ。これまでルネに教えるために何度も歌ってきたけど、カラオケで歌ったことがあるくらいの技量しかない。

 しかも今は、緊張で声は震えて、弱々しく聞こえていた。


 ──「俺に話してよ」

 ──それで 気持ちが少しは 楽になるなら


 それでもジローは歌い続けた。

 目の前のルネを思って。これはルネのための歌だと思って。


 ──Ah ひどい雨の日も

 ──案外 悪くないかもねって


 悪くないかもなんて言えるのは、その後を知っているからだ。

 ルネの心の中に降っている雨は今まで、止んだことがあるのだろうか。

 もし、これまでのアイドル活動が、ルネの心の晴れ間になっていたのなら、少しでもルネの気持ちを明るくするものであったら、良いのに。

 ジローには今、その自信はなかった。


 ──Ah 涙の後には

 ──虹が輝く 空が見えるよ


 ルネの頭上で、精霊の光が渦を巻いている。

 その悲しみに反応して、精霊が集まっている。精霊も、ルネを励ましたいのだ、きっと。

 精霊はやっぱりルネのことが好きなのだ。ルネが好きで、だからルネが嬉しいときも、悲しいときも、こうやって寄り添おうとしてるのだ。


 ──君に寄り添う光になりたい

 ──柔らかく 暖かく 優しく 照らす光になりたい


(ルネ王子、俺はあなたの光にはなれなかった……でも、そうありたい)


 ジローは、涙を流す。喉が引き攣って、ただでさえ下手な歌が、余計に酷いものになった。

 でも、諦めない。ジローは歌い続けた。


 ──君の悲しみも 全部受け止められるかな

 ──この言葉が 君に届きますように


 一番のサビを歌い切ったところで、ジローは嗚咽した。もう歌は続けられなかった。


「る、ルネ王子……この歌は、俺の気持ち、ですっ。俺は、俺はただ純粋に、ルネ王子のアイドル姿を見たかった。でも、それがルネ王子の……あなたの心を苦しめるのなら……」

「違うんだ!」


 弾かれるように、ルネは顔をあげた。両手でジローの胸元を掴んで、涙に溢れるルビーの瞳でジローを見つめる。


「僕は……アイドルが嫌なんじゃない!」

「でも、アイドルは俺がルネ王子に押し付けたもので……」


 ルネが大きく首を振る。金糸の髪が乱れて広がる。


「導師さまは、こんな僕に『アイドル』っていう光を見せてくれた。こんな僕でも一番になれるって言ってくれた。だから僕はアイドルになりたかった。でも、気づいたんだ。本当は、僕は……」


 うぅ、とルネは声を漏らして、涙を溢れさせた。ジローも涙が流れるまま、ルネを見ていた。


「僕、導師さまの一番になりたい。導師さまの『推し』になりたいんだ……!」


 でも、とルネは言葉を続ける。


「でも、でもこんな僕じゃ、導師さまが言う『アイドル』にはなれない……。だって僕はみとみとさんにはなれないんだ。こんな僕じゃ導師さまの『推し』に、なれないよ……!」

「そんなことない!」


 ジローは、自分の胸元をつかむルネの手を両手で包み込んだ。

 お互いの体温が、伝わり合う。二人は涙に濡れた瞳で、お互いを見た。


「ルネ王子のパフォーマンスを見て、俺は嬉しかったんだ。王子はアイドルで、俺はまたアイドルを推すことができるって……」


 ルネの手を包むジローの手に力がこもる。

 ジローはルネのルビーの瞳を覗き込んで、力強く告げた。


「ルネ王子、どんなあなたでも良い。楽しくパフォーマンスしてる王子だけじゃない! そうやって自信がなくてうつむいている王子も、泣いている王子だって、うずくまっている王子だって、全部ぜんっぶルネ王子だ! そして、ルネ王子はそんな全部が丸ごと、アイドルなんだ!

 俺はっ……そんなルネ王子を丸ごと全部、推しています・・・・・・!!」




 ──「何も言わなくても 良いよ」

 ──俺は 隣にいるから


 王城のテラス。そこにひとり立ったルネは、拡声魔法の杖を片手に持って右手を大きく前に出して、歌う。

 眼下の広場には、たくさんの国民が詰めかけている。中には、普段は王城で働く人たちの姿もあった。誰もが、テラスに立つルネを見上げていた。


 ──「そのままで良いよ」

 ──それで 気持ちが少しは 落ち着くなら


 集まってくれた国民たちに、この場を用意してくれた城のみんなに。

 でも何よりも、ルネはジローのために歌っていた。

 ジローのことを思うと、自然とこの歌のことが理解できたのだ。あんなに苦労していたのが嘘みたいに。


 ──Ah 落ち込むのって

 ──何度だって めげるよね


(そう、僕は何度だって落ち込む。だって、僕には何もないから。僕は弟たちの引き立て役。何もできない「名前だけの第一王子」。それでも……)


 ──Ah それでも俺は

 ──あの時の君の笑顔 覚えてる


(僕の存在を、導師さまは認めてくれた。導師さまの言葉が、笑顔が、僕を支えてくれている)


 そして歌は二番のサビに入る。


 ──君に寄り添う光になりたい

 ──いつだって ここにいて この先 照らす光になりたい


(僕にとって導師さまが光であるように、僕も導師さまの光になるんだ。導師さまの「推し」になるんだ)


 ──君の痛みだって 全部包み込めるかな

 ──あの笑顔が また見れますように


(涙も、痛みも、悔しさも、悲しみも全部、丸ごと「アイドル」だって言ってくれた導師さまのために……)


 ルネはもう、光人みとみとの──『きらめきぼし☆』のアイドルたちの真似じゃない、自分の歌が歌えるようになっていた。

 その歌声が、広い広場に、そこに集まった人に、高い空に、その空の下暮らす人たちに、届いてゆく。精霊の光も歌声に乗って広がってゆく。


 ──Ah 俺の中にも

 ──本当は 寂しい気持ちはあって


 静かでゆったりとした歌声に、広場に集まった観客たちは聞き入っていた。

 ルネの中の様々な感情を込めたその歌声は、パフォーマンスは、観客たちの心にちゃんと届いていた。

 その証拠のように、観客たちが持つペンライトが、柔らかな優しい金色の光を灯す。


 ──Ah だけれど君が

 ──俺に笑顔を 思い出させて くれるから

 ──今度は 俺が


 そして、祝福の雨が降り始めた。

 テラスの奥で、横からルネを見つめて、ジローは泣いていた。

 その涙のように、光の雨が降り続ける。テラスだけでなく、その前の広場にも。そして、王城の先、歌声が届くその先まで、精霊は祝福していた。


 ──君に寄り添う光になりたい

 ──柔らかく 暖かく 優しく 照らす光になりたい

 ──君の悲しみも 全部受け止められるかな

 ──この言葉が 君に届きますように


(導師さまの言葉、届いたよ。ありがとう……!)



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