18 見捨てないで
ルネはジローとのレッスンの時間までには泣き止んで、腫れた目元も冷やしてなんでもない顔をしていた。
だからジローは何も気づかずにレッスンをはじめてしまった。
「次のライブに向けて新しい曲をパフォーマンスできるようにしましょう」
ジローの言葉に、ルネはことさら嬉しそうにはしゃぐ。
「わ、楽しみだな。新しい曲はどんな曲なの?」
「次は『寄り添う光』という曲です。みとみとのソロ曲で、優しい雰囲気がきっと王子に合うと思います」
「うん、頑張って覚えるね」
言葉通りにルネは頑張った。
──「ねえ、どうしたの?」
──声をかけずには いられなかった
歌詞を覚えてメロディを辿る。手探りで、ジローの頭の中にある本物と照らし合わせる。
──「俺に話してよ」
──それで 気持ちが少しは 楽になるなら
ジローの真似をして歌いながら、ルネはジローの表情を見る。
難しい表情をしている。それを見て、ルネは自分の何が足りなかったのだろうかと考える。
「導師さま、僕何か間違ってた? 駄目なところがあったら言ってね、僕、ちゃんとやるから」
ルネの言葉に、ジローは微笑んで首を振った。
「いえ、駄目なところはありません。良い感じですよ。このまま次に進みましょう」
(どうして何も言ってくれないの? ねえ、導師さま、僕のことをもう見てないの……?)
落ち着かない気持ちで、ルネは何か言おうとして、でも震える唇からは何も言葉が出てこなかった。
「ルネ王子? 次、いけますか? それとも少し休憩しますか?」
「ううん! 大丈夫! 僕大丈夫だから! だからもっとやろう!」
(だから、見離さないで……!)
ルネの心はジローにすがりつこうと必死だった。けれどジローはルネのそんな気持ちに気づいていなかった。
──Ah ひどい雨の日も
──案外 悪くないかもねって
それでもルネの必死さは歌声に出てしまっていた。
ジローがわずかに眉を寄せる。その様子に、ルネはますます必死になってしまう。
──Ah 涙の後には
──虹が輝く 空が見えるよ
絞り出すようなルネの声に、ジローは歌を止める。
「ルネ王子、ひょっとして何か調子が悪いとか、ありますか? なんだか、その、歌声が安定していないというか……」
「大丈夫! なんでもないよ!」
ルネの言葉はけれど、ジローには届かない。
ジローは小さく首を振った。
「いえ、ちょっと休憩しましょう。ライブツアーが終わったばかりで、王子も疲れてるのに、すみません……」
「あ……」
(大丈夫なのに……導師さまが僕の言葉を聞いてくれない……どうしよう、このままじゃ、導師さまにも見捨てられちゃう……)
ルネは項垂れて、小さな声で返事をした。
「うん、少しだけ休むね」
ルネはその場に座ると、膝を抱えてうずくまる。以前部屋に閉じこもっていたときみたいに。
心臓がどくどくと鳴って、耳にうるさかった。
ジローに見捨てられたらどうしよう。そんな不安が頭から消えてくれない。
そうならないために頑張らないといけないのに、そのために頑張れば頑張るほど、ジローの姿が遠ざかってゆくような、そんな気分だった。
「ねえ、導師さま」
ルネは膝を抱えて、顔だけあげてジローを見上げた。
ジローは微笑んでルネの隣に自分も座った。
「はい、なんですか?」
(導師さまは隣に座ってくれる。まだ僕は見捨てられていない、大丈夫)
そんな些細なことでほっとして、ルネは力なく微笑んだ。
「この曲って、みとみとさんの歌なんだよね? みとみとさんって、どんな人だったの? 歌の参考に聞きたいな」
「それは……」
ジローは口ごもって視線を揺らした。話そうかどうしようか迷ってる様子を見せてから、視線をルネに戻した。
「ルネ王子は、みとみとのことを知らなくても大丈夫ですよ。これは確かにみとみとの曲だけど、ルネ王子の解釈で歌って良いと思います」
「でも……」
ルネは困ったようにうつむいた。
「できれば知っておきたいんだ。導師さまの好きな……大事な曲なんでしょう? どんなところが好きなの? どうして大事なの? みとみとさんはどんなふうに歌っていたの?」
ジローは戸惑っていた。
ルネは調子が悪そうに見えた。無理せずにもう一日休んだ方が良かったのだろうか。それでも、朝のランニングの時は元気そうに見えていたのに。
「ねえ、みとみとさんはどんなふうに歌っていたの?」
ルネの言葉に、ジローは前世の記憶を蘇らせる。
その歌詞には光人の優しさが詰まっている。光人が持っている、ファンへの、スタッフへの、周囲の人たちへの、何より仲間への優しさ。それをうまく掬い上げた曲だ。
それだけじゃない。
光人は本当は寂しがり屋で、周りを気遣っているようで、そんな周りに助けられている。そんな姿も見えてくる曲だ。
ジローはそう思っている。
でも、ルネは光人じゃない。
ルネにみとみとを──みとみとだけじゃない、『きらめきぼし☆』のアイドルの姿を求めるのはもうやめようと、ジローは思っていた。
だからこの曲を──この歌詞を、ルネには自由に受け取って欲しい。ジローはそう考えていた。
そのためには、ジローが考える歌詞の──
それよりは、ルネの中の優しさや素直さをもっと引き出せるようにした方が、良いのではないだろうか。
「俺は……この曲の優しさが好きです。それは確かにみとみとが持っている優しさが表現されているからなんですけど……でも、ルネ王子はみとみとじゃない」
ジローの言葉に、ルネは目を見開いた。
「僕は……みとみとさんじゃない……?」
「はい。だから、みとみとの優しさを目指さなくても良いんです。ルネ王子には、ルネ王子の優しさがある。この曲は、そんなルネ王子の優しさを引き出してくれると思った。だからこの曲を選びました」
「僕は……」
ルネは視線を揺らす。その顔色は青ざめていた。
「だから、みとみとの話はしません」
本当は、話そうと思えばいくらでも話せるけれど。ジローはその誘惑を振り切った。
そしてルネを見て、穏やかに微笑んだ。
「ルネ王子は王子の解釈でこの歌を歌ってください。俺はそれが聞きたいです」
「僕の……解釈……」
ルネは青ざめた顔で、床に崩れ落ちた。
ジローが慌てて声をあげる。
「ルネ王子!? 大丈夫ですか!? 具合が悪い……? どうしよう」
「ごめん、ちょっと……気分が悪くなって……ごめんなさい、導師さま……見捨てないで……」
「待って! 今!」
ジローが立ち上がった時にはもう、控えていた侍従が城お抱えの医務官を呼びに走っていた。
駆けつけてきた医務官には疲労が溜まってるご様子ですと言われ、三日間、ルネとジローのレッスンはお預けになったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます